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もうなにも怖くないっ٩(ˊᗜˋ*)و✨✨✨(前編)

初めまして✨お久しぶりです✨こんにちは🎵こんばんは🎵

ひでと申します!

Twitterアカウントはこちら
ひで@楽話スクール第二期生 (@asuto0529)https://twitter.com/asuto0529

最近まったく稼働ツイート出来なくてすみません!m(_ _)m

ある出来事がありそちらに時間を割いてるので、稼働出来ていないです。
そしてその出来事があり、自分のツイート内容も大幅に変わりました!
その出来事についてどこかでお話したいなー、でも俺ブログやってないしなー(´-ω-`)Twitterで発信するか!でもTwitterでは(文字数)になるしなー(´-ω-`)

『そうだ!noteで書いてみよ!!!』

てことでnoteを初めて書いてみました🎶
そもそも文章を書くのでさえ初めてです٩(ˊᗜˋ*)و


まずは自己紹介!

千葉でパチスロ兼業で稼働しています!
多いときで稼働時間が200時間+本業?の工場勤務で170時間=合計で370時間
ちなみに1ヶ月は720時間なので睡眠時間を除くとほとんど仕事してるかパチスロしてるかになります✨
残った時間はすべて学びに費やしている、通称ストイック代表です❗️
それと、ポジティブシンキングすぎて自分でポジティブオバケと言っていますꉂ(ˊᗜˋ*)✨
そして現在、楽話スクールというところでコミュニケーション+心理学というなんとも妖しいスクールにて学んでいます!



自分は家族のことが大キライでした❗️

自分が幼稚園の頃に両親が離婚して、なんやかんやあり母親に付いてくことになりました。
親父は酒を飲むと暴れる最低な奴で、今でも覚えてるのが、居酒屋の前で母と口論になり、ビール瓶で母の頭を殴り、額から血飛沫が出て辺り一面血の海になったこともあります。
当時幼稚園生だった自分の黄色い鞄が真っ赤に染まったのを今でも覚えてます!

そんな父親と同じにはなりたくない、けどそんな父親の血を引いてるのが怖くなったときもありました。



そんな親父と離れて女でひとつで育ててくれた母親。


といっても初めは住むところもないしお金もなかったので、親戚の家~とか友達の家~に預けられました。

ある家に預けられたときの出来事が今思えば自分の人生を決定付けたなと思います!

母の友達の家に預けられて二週間・・・
その家にはおばさんと大学生くらいのお兄さんと猫が二匹居ました。
いつも大学生のお兄さんと当時大人気だったファミコンのロックマン!(エアーマンが倒せないやつ)で遊んでたのですが、その日はバイトなのか学校なのか分からないけど居ない日がありました。

自分はいつものように朝起きてゲームしてたのですが、急にお腹が痛くなり、トイレに行こうとお兄さんの部屋を出ました。
そしてトイレに入るときにふと、お味噌汁のいい匂いがして台所を見ると、エプロンを着けたおばさんがなにかの具材をトントントン♪と軽快な音を奏でてお昼の用意をしてました。
『今日のお昼はなんだろうな~🎶』そんな思いでトイレに入ったのを覚えてます(^^)


開かないトビラ

ことを済ましてトイレから出ようとしたら、なぜかトビラが開かなかったんです。
押しても引いてもなにか重いもので塞がれているようなそんな感覚でした。
当時自分は小学校一年生、不安になり泣き叫びました。
『ドアが開かないよー!だれか助けて!だれかー!』
それでもどこからも反応はありませんでした。
少し泣いたことで冷静になり、考える余裕が出てきて、窓から出れないか?など考えましたが、小学校一年生の体では窓には届かない。
もう30年くらい前の話なのでもちろんトイレは汲み取り式のどっぽん便所、落ちそうで怖かった
ふと、すぐそばの台所に居るおばさんのことを思い出しました!
『あっ!おばさんになら声が届く!!』
そう思い、精一杯大きな声で叫びました。
『おばさーん!ドアが開かなくなっちゃったよー!!助けてー!!!』
精一杯叫びました。
・・・・・けれども返事はありませんでした。
いや、正確には返事はありました。ニャーという猫の鳴き声がドアの向こうからしていました。
そうこうしているうちにまた不安の波が押し寄せてきて泣きました。
この頃から自分は泣き虫だったと思います!今でもよく泣きます(泣

ひとしきり泣いた後、またドアを開ける作業に戻ります!
もう一度、意を決して力いっぱいドアを押しました!
そうしたら・・・さっきまでのが嘘のようにスーーっと開きました。
『あれ??開いた??え??なんで??』
なんだかあっけなく開いたもんだから急にさっきまでの取り乱しようが恥ずかしくなり、急いで部屋に戻ろうとしました。
そのときふと、お味噌汁のいい匂いがして台所を見ると、エプロンを着けたおばさんがなにかの具材をトントントン♪と軽快な音を奏でてお昼の用意をしてました。

入る前とまったく変わらない風景がそこにはあった

『あれ??おばさん、ボクの声きこえなかったのかな?』
『なんかちがう・・・・・ああ!そうか!・・・』


子供ながらにはっきりとそう思ったのを今でも覚えています。


『ボクはここでは・・・あまりよく思われていないんだな・・・・・』と



聴くという人生

そこから自分の聴くという人生が始まりました。
相手の話を聞いて、聴いて、利いて、こんな思いで聞いていました。
『ぼくは敵じゃないよ、味方だよ・・・だから・・・』
『捨てないで・・・・・』

自分はいい子にしていないと捨てられると本気で思ってしまったんです。
もしも捨てられてしまったら生きていけない・・・
だってそこに母は居ないんですから・・・・・

この小学校一年生の子供のときの出来事が、今の自分を創っています。
ただ後で書くと思いますがこの出来事に今では感謝しています!
これがなければ今の自分はいないし、この時から身に付けた"聴く"という力がいま自分を助けてくれています!!




唐突ですが、みなさんは・・・
ドッグフードって食べたことはありますか??

自分はあるんです^^
その後、母とやっと暮らし始めたのはいいですが、うちの母親・・・
家に帰ってこないんです(つД`)
当時えっちなホテルの清掃員をしていた母は夜21時~朝の9時まで働いて、終わったらパチンコ屋に開店から行っていました!
そして勝てば夜まで打ち続け、そのまま、また仕事に行き、次の日も打ちに行くというサイクルで生活してました。
帰ってくるのは2日に一回、下手すりゃ3日に一回、もしくは負けるかしないと帰ってこないんです(つД`)
今思うと本当にダメなくそ親でパチンカスだと思います(泣

今ならパチ屋に行ってご飯代をもらえば済む話なのですが、当時はいいこちゃんなので家でおとなしく律儀に母が帰ってくるのを待ってました←
『今日は帰ってくるかなー?来ないかなー?明日はきっと帰って来てくれるよね!!』
ね?律儀でかわいいでしょ?w
待つのはいいけどやはりお腹が空く・・・初めは食料をすこしづづ食べてたけどやがて底を尽き、当時飼ってたマルチーズの名前がリリという自分と同じく泣き虫で目の周りが涙ですぐ変色してしまう、そんなかわいいリリにあげてたドッグフードを食べて飢えをしのいでました。
良く私の餌を食べるな!!とリリに怒られていました←
もちろん犬用の餌なので味なんてしなくてまずい!!!
もしもドッグフードを食べる機会があるなら断然ペティグリーチャムのほうがおいしいです!カリカリはあかんです!

ただ、こんな生活をしてるとある時ふいに思いました。
『ボクってなんのために生きてるんだろう・・・』
『ボクって必要とされているのかな?・・・』
『もしかしたら誰にも必要とされていないかも・・・』

当時小学校三年生
知識も増えてきて多感な時期
包丁を手に取り、自分の胸まで切っ先を持っていき本気でこのことを考えたことがあります。

もちろん、今生きているので踏みとどまれたのですが、今でもこの時のことは忘れずに覚えています!


とりはとりでもこわーいとりってな~んだ??

自分には兄弟が居るんです!兄兄姉自分!
といっても上の三人と自分は種違いなので、兄弟が居ることを知ったのも小学校一年生の時でした!今思うと本当に激動の年ですね!!

兄弟と自分の年齢差は上から17,16,14才差で、兄弟を認識したときにはみんなが結婚して子供が居ました!(一番上の兄貴の長男と自分は3歳差!)
その後姉が離婚して、自分と母と暮らしている家に子供二人連れて帰って?きました!


その子たちが作ったなぞなぞ
『とりはとりでもこわーいとりってな~んだ??』
答えはなんだと思います???


正解は・・・・・借金取りー!!!!!

小さい子供たちがこんななぞなぞを作るくらい家に借金取りが来るのが日常茶飯事でした!
そう・・・うちはお金にとてもだらしない家でした!

絶対大きくなったらこんな家、出て行ってやるんだ!!!!!

そんな思いで幼少期を過ごしていました。



てめぇ!!二度と顔を見せんなっ!!!

当時母に行った一言です。
やっとの思いで実家から家を出て友達とルームシェアし始めて、家の呪縛から解き放たれました。
夜勤の日のある日、夕方に『そろそろ準備するかー!』と思い、起きて部屋の襖をガラって開けると母が暗いリビングの片隅でちょこんと座っていました。急に居るもんだからオバケかと思いかなり焦りました(汗
田舎育ちで危機管理が少し薄いので部屋に居るときは玄関の鍵を閉めなかったのでたびたび不法侵入されてました←

辛気臭い母の顔を見てイラッとしながら聞きました。
『なんのよう?』   どうせ金だろ・・・
『お金を貸して欲しい』   やっぱりか・・・
『いくら?』
『12万』   ずいぶん切羽詰ってんじゃねーか

財布の中にあった12万を手に取り
母に向かってぶん投げました。怒りの台詞とともに
『てめぇよ!毎回毎回人の顔みりゃ金かね金かねいいやがって!!』
『たまにはよっ!!!』   母の作るクリームシチューが大好きだったから・・・
『シチュー作ったから食べにおいでとか言えねぇのか!!!!!』
そう母に怒鳴り怒りました。

そして母は12万円を拾い帰って行きました。といっても本気でぶん投げたので、テレビの下とか本棚の隙間に入り込んで、実際に持って帰ったのは7万円くらいだったと思います。


叱ると怒るの違い

自分はこの時、『これで少しは変わってくれるだろう、俺の気持ちを分かってくれるだろう』と期待感を込めてしまっていました。
当時二十歳。叱ると怒るの違いも分かりませんでした。

次の日に来たメールが決定的でそれから自分は母と家族と約15年間疎遠になりました。
次の日に来たメールが・・・


母『ひで・・・シチュー作ったから食べにおいで^^』

驚愕しました。落胆しました。がっかりしました・・・
こいつはなにも分かっちゃいない!俺の話なんか聞きもしない!
こいつには何を言っても無駄なんだ・・・
ていうかそもそもそのシチュー作ったお金も俺から借りたやつじゃねーかっ!!!!!


この出来事があり約15年間疎遠になりました。

母から電話きても無視し家のインターホンが鳴っても無視しメールもすべて読まずに削除。
いつしか母からの連絡も途絶えました。

たったひとつ・・・叱ると怒るの違いが分からなかったがために・・・




楽話スクールとの出会い

今、楽話スクールというところでコミュニケーション+心理学というなんとも妖しいスクールにて学んでいます!
2018,7月~通い始めて半年とちょっと。
そこでみんなに驚かれたのが、自分の"聴く"という力がとてもあるということ!
楽話スクールでは、マインドの部分を徹底的に鍛えます。
マインドとは簡単に言うと相手に矢印を向けること。
もっと簡単に言うと相手の話を聞いてあげること。
うなずきやあいづち、笑顔など。
目で聞いて、体で聞いて、口で聞いて、心で聞いて、耳で聞く!
総称して『傾聴力』と言います!


さて、ここまで読んでくれたみなさんなら分かるとおり、あのトイレでの一件から自分は"聴く"という人生を歩んできました!
楽話スクールに入って一番苦労するのが、たぶん聴くことなんです。

だけど自分は聴くという力がもうすでに備わってました。

その力がないと生きて来れなかったからです。
そんな‘‘聴く‘‘ということに特化した自分に、ある変化が訪れます。
楽話スクールでは、入って半年後にスピーチグランプリというものがあり、なんと・・・100人の前でスピーチさせられるのです!
だから入って半年間はマインド+話すことを学びます。

聴く事に特化した人間が話すことを学ぶ

話すことに苦手意識がありました。
話してるときに相手を待たせてしまっている感覚があって
『早く話さないといけない!!』
『相手を待たせてはいけない!!』
そんな思いで話すもんだから、息継ぎさえ忘れてしまい、ありえないタイミングで酸素が足りなくなり、話すたびに辛い思いをしていました。
というか、そもそも聴くという人生を送ってきたので、話そうとすることもほとんどしなかったし、聴くほうが楽だ~と思っていました。

だけど楽話スクールの授業では、ワークが多いです。そのため一日2~3回くらい強制的にみんなの前に出てスピーチします。
そしてみんなに言われることがあります・・・
『ひでさんのスピーチはうまい!!!!!』
『ひでさんのスピーチは聞きやすい!!!』
『ひでさんのスピーチをもっと聴きたい!』

息継ぎさえ満足に出来ていないと思っていたのに・・・


振り子の原理
おーおーきなのっぽのふるどけいー、でおなじみの振り子。
振り子が、‘‘聴く‘‘という方向に動いた分、‘‘話す‘‘という方向に動きます。
逆に話すだけで相手の話を聴かなければ、相手は聴いてはくれません!
人は話を聞いてくれない人の話は聴きません!


聴くことがスタート地点
自分は楽話の仲間の話を無意識に聴いていたんです。
だからこそ自分の話をしっかり聴いてくれて、受け止めてくれて、褒めてくれたんだと思います。


スピーチをするにあたって大事なことが三つあります

①心で思ってることを話す。
思ってることと言ってることとやっていることがイコールじゃないと相手に届かない。
②プレゼントを話す。
スピーチの中に、相手が受け取れる大きさのノウハウだったり思索や気付きを入れる。
③相手のことを考えて受け取れるように話す。
相手が分かるように言葉を選んで話すことにより相手の理解力を高めて心により響かせることが出来る。

スピーチをして、相手が何も変わらなければスピーチした意味がない。
この人はどう言ったら受け取ってくれるのか?
この言い回しで大丈夫なのか?
これは相手に心の矢印が向いているのか?
行動変容をさせるのか?、意識変容をしてもらうのか?
ここまで考えてやっとスピーチが完成します。


聴くことに特化した人間が話すことに特化し始める。

話すことに苦手意識がありました。でもそれはいつしかなくなりました。
話す手法を学んだから。
手法を学んだら、話すことが楽しくなり始めます!
話す楽しさ、話を聴いてくれる喜び、話すことの尊さ
聴く人生を送ってきたからこそ、話すことにのめり込んで行きました!



ある講演家との邂逅

楽話スクールでは授業内容を動画にとってそれをYoutube限定公開であげてもらいます!スクール生はそれを見て復習します。

話すことに特化し始めた自分は、いつものように仕事終わりにパチスロ稼動に行き、帰ってきたら寝るまで授業の動画を見て復習するという生活を送ってました。
Youtubeって見てる動画の内容によって出てくる広告がかわりますよね??
ホワイトボードの前で、講師の人が話してる。そんな動画ばっか見ていたからなのか、ある時今まで見たこともない広告が入りました。

坊主頭で年齢は見た目40歳前後、ビシッとしたスーツを着て、とても声を張ってセミナールームっぽいところでマイクを持って話しているんです。
とても熱意・・・いや・・情熱をもって話すもんだから、首の辺りの血管がぶわーっと浮き上がり、頭の血管が切れちゃうんじゃないかってくらいの勢いで話すんです。
普段なら広告が入った時点でスキップするのですが、その時だけは、手が止まりました。スピーチを学び始めて、興味を持っていたからこそ、一瞬にして引き込まれました。
『なんだこの人??めっちゃ話すのうまいやん!!ちょっと他の動画も見てみよっ』



炎の講演家、鴨頭嘉人さん

その坊主頭の男性は、鴨頭嘉人さんでした。のちに調べたら、炎の講演家呼ばれる有名な方でした!
一瞬にして虜にされた自分はその人の動画を見漁りました!
その方、Youtubeに動画を千本以上上げられてるので、いまだに見終わってはいないのですが、その人の動画を見るたびにさらにファンになり、いつしか・・・・・

『この人のような講演家になりたい!!!』

『この人のように、話すことで人の心を動かすそんなひとになりたい!』
そう思う自分が居ました。


楽話に入る前から思っていたこと

自分が楽話に入る前から思っていたのは、ここに来れば自分のやりたいこと見つかるだろうと思ってました。

今までの自分には、夢や目標がなかったんです。
今までの自分は、本気で夢中になれる、やりたいこと、成し遂げたいこと、やり遂げたいことがなかったんです。
でも!それを見つけたくて、得たくて、欲しくて、
一人で、悩んで苦しんで抱え込む、そんな日々を過ごしていました。

自分の生きている理由、存在意義、誰かに必要とされたい
幼少期に包丁まで持ち出して本気で考えたあのこと

そんな自分が楽話に入って見つけた
目標・・・
それは・・・


『講演家』

聴くという人生を歩んできたからこそ持った目標
・・・これからは・・・・・・・・・・・・・・・

話す人生を歩んでもいいんじゃないか・・・・・な。と。

はっきりいって自分の幼少期の体験はひとつひとつがトラウマレベルの事だったと思います。ここに書いていない衝撃的なこともたくさんあります。
でも、自分はそれをひとつひとつ乗り越えてきました。
聴くという人生を歩んできたからこそ、相手に100%矢印を向けることが出来て、それにより自分よりも人を優先できるからこそ、出来事に対して受け取りを変える事ができました。
その事を人に発信して行きたいな、今の自分、聴くことに特化した人間が話すことを学んだからこそ言える事、それにより救われる人がいるんじゃないか・・・・・自分がそうだったように・・・・・
そんな思いが込み上げてきて・・・自分はこれからは話す人生を歩むと決めました。

『講演家として生きる!』

この目標を、去年(2018年)に持ちました!
そして今年(2019年)の抱負『家族と向き合う』と決めました。
スピーチをするにあたって大事なことの一つ目。
①心で思ってることを話す。
思ってることと言ってることとやっていることがイコールじゃないと相手に届かない。

家族と疎遠になったまま、人に話したところで、嘘になる。
だからこそ講演家としての第一歩は家族と向き合うと決めました。
まずは母親、お金をぶん投げて、怒ると叱るの違いを分からなかったがために傷つけてしまった母親。
年に二回、正月と自分の誕生日の日だけはメールが来てたので2019年もメールが来ました。
母『ひで・・・元気にしてるかな?今年はあいたいよ』
そのメールに、約15年ぶり返信しました。

俺『雑煮が食べたい』

そしたら母はすぐ電話してきました。
俺『予想はしてたけど、急に電話で話すのは勇気がいるなぁw』
そこを勇気を出してその電話に出ると・・・母は、
母『え?なに?なにが食べたいって??????』
俺『( ゚д゚)ポカーン』


今年(2019年)母は73歳になります。戦争後すぐ生まれた母は、満足に学校に通うことが出来なかったので字の読み書きが出来ません。
だから・・・・・

雑煮(ぞうに)が読めませんでした!

母がメールくれるときは無闇に変換するので解読が必要でした!
"雑煮"と書いたところでよめないだろうなぁ・・・と予想してたら案の定読めませんでしたw

その電話さえ15年ぶり、
母『え?なに?なにが食べたいって??????』
俺『雑煮だよ!ぞ!う!に!!!!!』
母『ああ!なーんだ!ぞーにね!わかった!作る!でも今日は仕事だから、明日作ったら電話するから来てくれる???』
俺『分かった!』
母『じゃぁ明日の夕方くらいにまた電話するね!』
俺『分かったよ!』
母『明日を楽しみにしてるー!』

15年ぶりの親子の会話はものの数分で終わりました。

次の日

母から電話があり『ぞーに出来たよー!食べにおいでー!』
俺『分かった。行くよー』
約束とおり夕方くらいに電話がありました!
その日は1/3、お正月でゲーム数狙いに行こうかと思っていましたが、朝起きてからずっとそわそわそわそわそわそわしててひたすら部屋の掃除していましたw

変わらない家・・・だけど時を感じさせる家

約15年ぶりに帰った家はなんにも変わっていませんでした。
ただただ15年分、歳を取ってさびれただけ。
まずは犬!昔に自分が拾った子犬が15年経って老犬になってました!
そしてもう一匹、とても犬とは思えないほどでぶな犬!
分かりづらいと思うので画像を!

でぶ犬はシングルの布団を一匹で多い尽くせるほどのでぶ犬です❗️

そして母!58歳→73歳になってるので、顔はしわくちゃ腰も少し曲がり出してて、もともと小さい背がさらにちいさくなっていました。
そんな母と15年ぶりに接していると、話す手法を学んだはずなのに、口から出る言葉はほとんど単語!

母『おもちなんこ入れる??』
俺『ふたつ』
母『久しぶりだね、元気だった??』
俺『うん』
母『仕事はどう??』
俺『普通』
母『彼女出来た??』
俺『居ない』

自分から出る言葉を耳で聞いてて笑いが込み上げてきました!
『こんなにも母を目の前にすると素直になれないんだなー』
15年ぶりに会った母の前では15年前の自分のままでした。


照れくさくて恥ずかしくて素直になれない自分

15年ぶりの母との対面はこの気付きを得て終わりました。
言ってることと思ってることが違う!
照れくさくて、恥ずかしくて、素直になれない。
母子一体感
『これは時間がかかりそうだ!』
『でも第一歩は踏めた!』
『あとは焦らずゆっくり行こう!

そう思って15年ぶりの母との対面は終わりました!


家族と向き合う

今年(2019年)の抱負は家族と向き合う!相手は母だけじゃありません。
一番上の兄貴、二番目の兄貴、そして

一番上の兄貴は、『どうしてもお金が必要だ!!必ず返すから!!』と言ってたのでお金を貸したら音信不通。←3年

二番目の兄貴は、『どうしてもお金が必要だ!!必ず返すから!!』と言ってたのでお金を貸したら音信不通。←17年

そしては、音信不通!!!!!

ではなく、今思うと昔から世話になりっぱなし!
母と二人で暮らしてたとき、家賃が払えなくて、家を追い出されたとき、『うちに来い』と住まわせてくれた。
一番上の兄貴と暮らしてたとき、些細なことで喧嘩して、俺が家を飛び出して、行くところがなかったときに『うちに来い』と呼んでくれた。

普段、冗談しか言わないふざけた姉で、だけどなにかあるといつも助けてくれて、でもそれは俺にだけでなく家族みんなにそうであった姉!

母と疎遠になってたときも度々連絡くれてた姉!

そういえば最近、精神的な病で元気がないって聞いたなー
楽話スクールの前半はスピーチグランプリ!
そして後半はカウンセリング。
よし!!カウンセリングを習ったら姉の力になってあげられるかも知れない!!!!
次は姉としっかり向き合おう!!!


もうなにも怖くないっ!٩(ˊᗜˋ*)و✨✨✨

そう思ってた矢先

姉が自殺しました。


ここまで読んでくれてありがとうございます!
ここで約1万文字。
キリが良いので今回はこの辺で終わらせて頂きたいと思います!

このnoteには色んなワードが散りばめられています。
・傾聴力
・怒ると叱るの違い
・期待感
・母子一体感

などなど。気になるワードがあればぜひ調べてみてください!
分からなければ、聞いていただけると簡単なことならツイートで、長くなりそうならnoteで説明させて頂きます✨

自分はこの出来事を悲観するだけじゃなく、未来に繋げようと思いこのnoteを書いています!
出来事はとても重いものです。目を背けたくなります。
ただ、それとしっかり向き合うことにより自分は乗り越えました。

時間が解決してくれたんではない。
受け取りを変えたからこそ、自力で・・・いや・・・
人に頼りながらひとつひとつ消化していきました!

同じような思いをした人たちにこんな方法もあるんだよと発信したく書いてます。

自殺はとても残酷です。誰かのせいにしたくても責める相手がいないから。
そして最後には自分を責め始める。
だけど後悔からは何も産まれない。

その事を同じ境遇の方に知ってもらいたい!

だからこそこの出来事を発信すると決めました。






次回‼️

『もうなにも怖くない!٩(ˊᗜˋ*)و✨✨✨後編』
『だってもうひとりぼっちじゃないもの🎶』

姉の死を境に止まっていた家族との歯車が動き出す。
お楽しみに🎶

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