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重いテーマを自分事に変える「ファシリテーション」のありかた~若い世代との戦争体験伝承ワークショップで考えたこと~

 Potage株式会社代表取締役 コミュニティ・アクセラレーターの河原あずさです。様々なワークショップやアイデアソン、ハッカソンのファシリテーションやプロデュースが仕事の1つです。伊藤園、三和酒類、サントリー、長崎県、NTTドコモなどなど、さまざまな企業とコラボレーションしたワークショップ型イベントを企画しています。

 ワークショップでは様々なテーマについて取り扱います。テクノロジーを扱うこともあれば、食を扱うこともあれば、地域課題に取り組むこともあります。そんな中、今年から新たに取り組んでいるテーマがあります。「戦争」です。

 この記事の執筆日前々日の2021年8月15日は76年目を迎える終戦記念日でした。今年は新型コロナウイルスやオリンピック関連の報道に埋もれている印象は正直ぬぐえませんが、7月末くらいからメディアは様々なかたちで先の大戦(主に太平洋戦争)について特集を組み、それぞれのスタンスで報道しています。

 さて、戦後76年という数字は、戦争を知る人がどんどん減っているという事実を容易に想起させます。下の記事によれば、戦後生まれの人は日本の全人口の84.5%を占めるそうです。海軍にいた千さんが今御年98歳という事実が物語っているように、戦前生まれ世代の中で、実際に戦地を体験した人の割合はますます減っていて、戦前生まれの方も、当時子どもだった方の割合が増しています。

 そんな中、あるプロジェクトとの出会いをきっかけに「中高生、大学生に戦争体験を伝承するワークショップ授業のファシリテーション」にかかわることになりました。今回の記事では、若い世代に「戦争」のような重いテーマについて考えてもらうワークショップのファシリテーションを通じて実感した「重いテーマを自分事として捉える上で大事なこと」をお伝えできればと思います。最後までお読みいただけると嬉しいです。

戦時中の日常を伝えるテレビ番組「 #あちこちのすずさん

 今回、私がコラボしたプロジェクトは、NHKの番組「#あちこちのすずさん」です。

 2016年に上映された、戦時中の広島県呉市に暮らす女性「すずさん」の日常を通じて戦争の姿を描く「この世界の片隅に」というアニメーション映画にインスパイアされたこの番組は、SNSなどの投稿を通じて戦時中の生活体験談を集め、その体験談の数々をショートアニメーションで紹介しています。2019年夏にNHK総合ではじめて放送され話題を呼び、以降毎年8月に放送される風物詩番組となっています。

 チーフプロデューサーの春日真人さんはこの記事にもあるように、特に若い世代に戦争体験を伝承したいという強い想いを持っています。そんな春日さんから最初の相談があったのは2021年1月のこと。「戦争体験を可視化していく方法を若い世代と一緒に考えるワークショップを開催したい」という趣旨でした。想いはあるものの、コロナ禍というのもあって、なかなか実現に苦労しているというのです。

 そんな春日さんの思いを起点にスタッフのみなさんと一緒に考えた施策は、学生さん・生徒さんにオリジナルの「地域の戦争体験デジタルマップ」をつくってもらうワークショップ型授業を、オンラインやオフラインで展開することでした。地図SNSの「Stroly」を使って、自分たちで取材した戦争体験をマップに落とし込んでもらい、その過程を通じて、戦争について自分事で考えてもらおうというものです。

 Strolyは、オリジナルのイラスト地図に緯度経度情報を埋め込んで、デジタルマップ化できるプラットフォームサービス(当記事では便宜上「地図SNS」と表現しています)です。つくったオリジナル地図はブラウザで表示され、GPSをONにしたスマートフォンを持ちながらマップ上を歩き回ることも可能になります。

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→ 法政大学でのワークショップ授業で制作されたマップ ←

 2020年5月から7月にかけて、東京都多摩地域の法政大学、上野・浅草地域を取材した駒込高校、聖学院中学高校、平和教育が盛んな広島の崇徳高校と数回にわたってコラボレーションし、ワークショップ授業を開催しました。中学1年生から大学3年生まで幅広い層が参加。戦争体験をネットや図書館で調べていただいたり、実際に高齢者の方に直接取材いただいたりしながら、オリジナルの地図に取材した戦争体験情報を記録していきました。

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→ 広島市の崇徳高校新聞部のみなさんがワークショップ授業で制作したマップ ←

 今回は、地図制作ワークショップに加え、参加いただいた崇徳高校、駒込高校、聖学院中学高校の3校合同で、それぞれの地図を発表し、お互いに交流する会も実施しました。地域が変われば当然、マップも変わりますし、掲載された体験談も変わります。地域による体験の違い、感じ方の違いを知ることで、それぞれが持っている「戦争に対する価値観」に新しい気づきをもたらそうという趣向です。

 原爆体験が体験談のメインの広島と、東京大空襲の体験談がメインの東京の生徒さんの価値観の違いを共有しながら、戦争体験を伝えていくために何が必要なのかを、参加者の若い世代のみなさんと一緒に考えていきました。

 他にも、長野県、神奈川県の地方紙と連携したワークショップを開催し、各地域でそれぞれの戦争体験マップができあがっていきました。各学校さんにも好評で、さっそく来年に向けて、どのような形で継続していけるかを議論しているところです。

重いテーマをいかに自分事に落とし込んでいくか

 ファシリテーターとして最も苦慮した点は「戦争」という重いテーマを、参加する生徒さん、学生さんにいかに自分事として捉えてもらうかでした。重くしすぎず、しかし軽んじたり美化したりすることもしない。そのバランス感覚がとても大事になるのです。

 この繊細なバランスをとっていくために、事前アンケートや事後のアンケートを都度都度とり、生徒・学生さんの反応もよくよく観察しながら、慎重にワークショップの進行設計のチューニングを重ねました。

 まずワークショップを始める前にアンケートを学生さん、生徒さんにとると、戦争体験の伝承について「必要である」という回答がほぼ100%でした。理由を尋ねると要約すればおおよそこのような感じです。

戦争は悲惨でありよくない。繰り返さないために後世に伝承されるべきだ。

 まったくその通りですし、私もそう思います。街中でいろんな方をつかまえてアンケートをとったら、おそらく有効回答のうち7割くらいの方はこれに近い回答をするのではないでしょうか。

 しかしこの響きは、正直な印象として、どこか他人事のようにも感じられます。このアンケート結果は日本の戦後の平和教育が戦後76年経った今もなお機能していることを証明する一方で、ステレオタイプな「正論」「べき論」が判を押したように繰り返されているようにも見えます。

 アンケートや、学生さん、生徒さんとの対話の内容を踏まえると、心理的にはこの図のような状態といえるのでは、とまず考えました。

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 戦争は悲惨である。そのため自分の近くではなく、遠くにとどめておきたい。目を覆いたい。そのため戦争に対する問いについて「よくない」という正論を返すことで、自分とは客観的な距離を置く。

 このアンケート結果分析は、多くの社会問題に対して、若い世代のみならず、多くの現代人が抱えている心理を反映しているように個人的には考えています。

 そしてワークショップを進める上で注意すべきは、この状態で対話をしていっても、参加者は「戦争」に対して距離感をとったまま発言をするので、本音ベースの話が出てこないという点です。

 ワークショップファシリテーションのプロセスにおいて大事なのは、テーマを「参加者にとっての自分事として落とし込んでいく」ことです。ファシリテーターの仕事は合意形成をとることとよく言いますが、参加者が本音で語り、フラットに様々な意見と向き合えていることが、合意形成の大前提になります。それができてない状態でなんらかの結論を出しても「かりそめの正論」「どこにでも転がっている一般論」「実現不可能な理想論」「その場でしか通じない飛び道具なネタ」のようなものしか生まれないわけです。テーマが重く、巨大なものになるほど、この傾向は増していきます。(そして残念ながら、そういう結論しか出てこないワークショップは世の中にたくさん存在しています。)

 ではどのように自分事に落とし込んでいけばいいでしょうか。今回はこの自分事化のプロセスに「地図づくり」が役立ってくれました。

自分事化をうながした「地図づくり」プロセス

 そもそも「#あちこちのすずさん」は、視聴者のSNS投稿による参加型の仕掛けと、やさしいテイストの戦争体験談アニメーションを通じて、巨大で重くて目をそむけたくなる「戦争」というテーマと、今まで戦争を意識してこなかった層との接点をつくっていこうという趣旨の企画です。

 ジャニーズのタレントさんや声優さん、みんなが知っている有名な俳優さんを起用したり、若い世代が視聴している番組とコラボしたりすることで、それまで意識してこなかった層が「戦争体験」と触れる機会をつくっています。

 ただ「#あちこちのすずさん」をワークショップ前に参加者に視聴してもらい、アンケートで感想を聞いたところ、正直な反応としては、要約するとこのようなものでした。

思ったよりも面白いけど、自分からすすんでみたり、周りにすすめるかというと、そういうものでもない。

 たまたまテレビをつけていて流れ出したら、家族と一緒にみるのも悪くないかもな……けど自分の世代は、よっぽど出演者のファンでない限りは自分からこの番組にアクセスしないだろうな……という本音が見えてきたのです。

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 図にするとこのような感じと思われます。「#あちこちのすずさん」は、戦争という重くて触れづらい対象を「触れやすく」はしてくれます。そして、オブラートみたいなもので、触ると気持ちいい感じはある(観てみると面白さを感じる)。けど、自分事としてとらえられるほど距離が近いかというと、あくまで距離感は客観的なままで「(客観的な目線で)いい番組ですね」くらいの感想しか出てこないという状態です。

 中には「教育番組っぽい」という直接的なアンケート回答もあったのですが「みたら思ったより面白いけど、あくまでも授業で見させられたものだし、自分からはすすんでみないかな……」という感覚がストレートに表現されていたなと感じています。

 (チーフプロデューサーの春日さんにこの見解をオープンに共有した際に、非常に悩ましい表情をされていたのも印象に残りました。この若い世代の本音と製作者が向き合えたのも、一緒にワークショップをつくった大きな収穫の1つだと感じています)

 しかし、「#あちこちのすずさん」とのコラボレーションで地図づくりワークショップを実施した後のアンケート結果には、明らかな参加者の意識の変化が反映されていたのです。

すずさん三校合同分析

 これは「ワークショップをおすすめしたい理由」について中学生高校生のワークショップ授業参加者に全日聞き続けたアンケート結果を「タグクラウド」を使ってビジュアライズしたものの推移です。タグクラウドでは、アンケート回答で頻発する単語が大きくハイライトされるのですが、「平和」「機会」というキーワードが3日目に頻発していることが一目でわかります。

 実際にアンケートの内容をみると「違う地域の地図をみて、高校生との交流をすることで、平和についてより深く考えるいい機会になった」という趣旨の回答が多数見られたのです。

 「深く考える」の主語は明らかに「自分」。ということは、これらの回答は「戦争というテーマが自分事として落ちてきた」ことの証拠の1つとなります。好奇心がそそられるような体験を通じて「自分が漠然と知っていた"平和"って一体なんだろう」と、それまで持っていたバイアスをはずして更に深く考える機会が創出できたことがうかがえます。このバイアスをはずす装置として機能したのが「取材⇒地図づくり⇒地図の発表(共有)⇒対話」という一連のワークショップ体験でした。

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 地図づくり体験を通じて「#あちこちのすずさん」の世界観と自身が接続され「一緒に世界観をつくる(具体的には、番組とコラボしたデジタルマップをつくる)」モードへと切り替わります。そして、自身で戦争体験を取材し、自分も知っている地域に体験談をマッピングしていくことで、戦争体験が、遠い話ではなく「自分にとって身近に感じる話」として実感できるようになるのです。

 その結果「自分にとって戦争ってなんだろう」「平和ってなんだろう」といった具合に、主観がまじり、自分事化した思考が走り出します。


 ワークショップでは、地図の共有のあとに、中高生に寄り添ったファシリテーションをしながらこの思考を言語化していきました。言語化のトリガーになったのは「取材していて、どの場面にエモさを感じたか?」という問いです。

 「エモい」とは「なんだかグッときた!」という感情が動いた瞬間を指す若者言葉です。聞いてみると、取材する中で感情が動いた瞬間は生徒さんによってさまざまでした。例えば、丁寧にファシリテーションする中で、こんな言葉が高校生たちから出てきました。

・当時としては珍しい鉄筋コンクリートでできた浅草のデパートの地下に逃げ込んだ住人が東京大空襲で助かった。焼夷弾という近代が生み出した「壊す技術」と、コンクリートという「守る技術」が対峙して、結果人を救った点が興味深かった。

・上野動物園では戦時中、空襲で逃げたら危ないからと、猛獣たちを毒殺をしたことを知った。一方で、空襲にあった人の話を直接きくと、怒声をあげて我先にと逃げ惑う人たちの姿がまるで猛獣のようだったという。猛獣を殺した人間だけど、実は人間自身が猛獣になる、これが戦争なんだと感じた。

・広島の爆心地付近には数えきれないくらいたくさんの碑がある。できるだけ多く地図に反映しようと調べていたら、そのうちの1つが、高校生の募金活動によって2001年に建てられたことを知った(世界の子どもの平和像)。自分と同じ年齢の高校生が当時建てたと知って、今の自分にも何かできることがあるのではないかと感じた。

 感じたことはそれぞれ多様で「戦争は悲惨でよくない」というステレオタイプな言葉とはまったく異質なものです。それぞれがユニークで、独自の切り口を持っていて「戦争」というものをそれぞれのフィルターを通して再解釈し、自分の言葉で話していることがうかがえます。遠かった「戦争」が、自分の身近なテーマとしてとらえられ、主観的な解釈が生まれたのです。

いかに「もやもやの種」を残して発芽させるか

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 ワークショップ授業では、中高生とファシリテーターの対話をグラフィックレコーディングに記録しました。担当してくれたグラフィックレコーダーの方には「答えやわかりやすい発言を切り取って描くのではなく、もやもやした感情や心の揺れを記録してほしい」とお願いしました。

 ワークショップ全体を通じてファシリテーターとして最も意識したことは「参加者のみなさんに、いかにもやもやの種を残すか」でした。

 善悪の線をひいたり、爽快な企画を考えたりといったアプローチで、わかりやすい「答え」を出すと気持ちいいとは思います。しかし「戦争」というテーマはそんなに単純に語り切れるものではありません。そして議論を単純化すればするほど「よくない」「繰り返してはならない」というきれいな一般論、客観的正論で終わってしまうし、その正論や一般論を隠れ蓑にして、参加するみなさんは自身の本音を巧妙に隠すのではないでしょうか。

 重いテーマを取り扱って自分事を促す上で大事なのは、できあがっている客観的正論の奥に見える、もやついた感情や、絡まってまだ言語化しきれていない言葉の断片をいかに丁寧に拾っていくかだと私は考えています。

 ワークショップで行ったのは、そのもやもやする感情を拾い、ゆっくりと問いかけながら、少しずつ自分なりのペースで言葉にしてもらうというプロセスの繰り返しでした。(細かいところを言うと、ファシリテーションというよりは、コーチングの手法に近い対話をワークショップ内で行いました。)

 結果、中高生からでてくる言葉は、まだモヤがかっていて、クリアになりきっていないものです。しかし、拙くとも言語化し、同世代の参加者に共有してみることで、何かひとつでもひっかかるイメージが心の奥に残れば、いつか遠くない未来にそれが発芽して、それぞれの新しい気づきにつながっていく。そしてその本音の言葉は、他の参加者の心の中にも、少なからず「考えるきっかけ」を与えるはずです。

 決して派手さはないし、わかりやすさもありません。しかし、ファシリテーターの役割の1つは、参加者1人1人の変化の触媒になることだと私は考えていますし、改めてその重要性に気づかされた一幕でした。

重いテーマに向き合うために「ファシリテーター」ができること

 若い世代に対して戦争体験を伝承したい……そんな現場スタッフの思いから始まった今回のワークショッププロジェクトでしたが、一連のプロセスを進めながらずっと考えていたのは「若い世代」というくくりで提供することにどれだけの価値があるのだろう?ということです。

 戦争の話を重いものととらえるのは、若い世代に限らず私たちの世代(30~50代)でも同様です。政治、原発、コロナ、ジェンダー、人種差別、環境問題、貧困などの話も、同様に重さをはらんだテーマで、自分から距離を遠ざけたい、目をそむけたいという気持ちが少なからず存在するのは、ほとんどの人が否定できない事実ではないでしょうか。だからこそ、問いかけられたときに「よくない」「なんとかすべきだ」という客観的正論でもって、これらの事象を自分の視界から外して、思考を止めようとするのです。

 一方で、いったん自分事としてそれらの重いテーマを意識すると「主観的な言語化」が促されます。いったん意識してみると、明確な答えはないけれど、何か自分の中に残る感情が見えてきます。感情を見つめることは、何か言葉にしよう、しなくちゃと思うスイッチになります。その次にようやく「行動の変化」が起きるわけです。

 そしてこの「行動の変化」が求められるのは、何も若い世代だけではありません。これからの世の中の新しい価値観を産み出していくために、あらゆる世代にとって大事なことです。

 もちろん、たとえば戦争体験のような歴史にかかわるテーマを未来に伝承していくには、若い人たちに伝えていったほうが優位ではあります。しかし、若い人たちに「同世代や下の世代に伝える方法を考えてね!」という投げるのは違うのかもしれない。若い世代に対してワークショップをしながら、そんなことを考えていました。非常にシンプルな話として、若い人が考えているから、30~50代の人間が考えることを止めていいということにはならないわけです。

 結局のところ、重いテーマと向き合う場をつくるために大事なのは、世代や属性関係なく、近い問題意識を持った人同士で垣根なく話しながら、それぞれのバイアスを認めつつ、一緒に向き合ってゆるやかにお互いの言語化を支え合うことではないかと私は考えています。

 そして、そんな対話を丁寧な言葉で紡いでいけるコミュニティをつくっていくこそが、対話を促すファシリテーション、思考の言語化を促すコーチングの役割なのではないでしょうか。


 世の中には、分かりやすい答えを用意して、それが正解であるかのように誘導するような発信も多々見られます(中にはファシリテーターと称する人がそうふるまうこともあるかもしれません。もしあるのであれば、それはすごく危ういことです。)。しかし、答えがない時代だからこそ「答えのないもやもや」に向き合っていくことは大切です。そのもやもやを整理し、数年先になんらかのかたちで発芽するようにそっと落としていく。そんなプロセスを積み上げていくことが、今の時代にこそ大事なのではないか。そのようなことを、ワークショップ授業を通じて感じたのです。

 さまざまなテーマでファシリテーションに取り組んできましたが、今回のプロジェクトはテーマの重さの分、学びが非常に大きく、自身の今後の活動の糧におおいになっていきそうです。このように、答えのない問い立てと言語化のプロセスを一緒に楽しみたい方がいらっしゃいましたら、いつでもご連絡ください。それぞれの「もやもや」が発芽する未来への種まきを共にできると、とても嬉しいです。 

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