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なんちゃって選挙公約

一代没収制を提案する。
つまり、可愛い子や孫のために、1円たりとも遺せないということである。

自分が稼いだものは、自分限りで使いきる。
孫の学資だかに祖父母が使える上限みたいなのがあるが、私の思いはあれと真逆である。

そういうことをするから、貯め込むヤツは貯め込むのだ。
死んで遺ったものはすべて没収され、福祉予算に回すことにする。
だから、使いきって死ぬ。
消費が増え、経済が活性化する。

遺せないなら、働かない、という人がいるかもしれない。
よろしい。
働かなくても生きていける人は、働かなくていい。
明日のおまんまのために働かなくてはならない人が働くのだ。
働かなくては生きていけない人と、報酬には関係なくタダでもいいから働きたいと思う人だけが働けば良い。
そして、使いきって死ぬ。

一代没収であるから、夢のマイホームのためにムキになって働く必要はない。
自分の世代だけと思えば、テントとかキャンピングカーでもいい。
みんな自分のために生きるのだ。

病気や障害などがなければ、親の庇護を必要としなくなってからは、親は何も遺さなくていい。
遺してはいけないことに決める。
遺しても、没収されることにする。

現状、政治家は、代々の地盤とカネがあれば、アホでも継げるようになっている。
これを政治資金にならぬよう一代で没収する。
カネなど要らぬ、国のために仕事がしたいという志の者だけが、立候補する。
無論、北欧のように、行政の長と議員は無報酬とする。

そんなことをしたら、カネモチしか政治家になれないではないか、と言われるかもしれない。
しかし、そんなことをしていない今でも、政治家はもともとがカネモチなのである。

立身出世の思い出話ではなく、現状として、明日のおまんまが食べられないかもしれない政治家、というのを私はまだ知らない。
加速する経済格差、生活格差を縮めるのは、こんなたわけた妄想の実現くらいしかない。
私は社会主義者ではないけれども。

でも、貧しい家に生まれたら、なかなか一発逆転はない。
子供の頃の貧乏をずっと引きずっていく。
カネモチはその逆だ。
今の民主主義は、それを保つためばかりに作用している。

働いても可愛い子や孫に何も遺せないなら、労働意欲が後退する、という人がいるかもしれない。
しかし。

きっと、それでも人は働く。
働かなくてはいられない、と思う。
人は、自分がなにものをも生み出せないという無力感に耐えられないからだ。
無為無欲の達観した心境に憧れるのは、それが手に入らないものだからだ。
死ぬギリギリまで、自己の欲望のために働く。
何かを生み出し、何かを得る。
そうしないではいられぬ。

そうして。
死ぬときにすべて白紙にするのだ。
そうわかっていても、きっと、人は働く。
(でも、私は働きたくない。)

年度末の繁忙期。
本業では(英語が苦手なのに)英文に取り組み、副業では日本語の文章を編集している。
はかどらなくてイライラする。
こういうときは、くだらない妄想をして脳内をお花畑にするのがいい。

私が立候補したら、公約は「一代没収制」と「主婦定年制」。
笑ってスルーされたし。


読んでいただきありがとうございますm(__)m