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「ほんのついででいいんです」~季節のない街

今季のドラマを見始めたときに、これぞきっと私のベストと予想した「季節のない街」の第8回を見終わった。
大河と朝ドラを除けば、やはりダントツである。

ここでは、「光る君へ」の行成と違った渡辺大知、「虎に翼」の優三さんとは別の仲野太賀が見られ、いずれもその演技とキャラクター作りにうなる。
池松壮亮、三浦透⼦、濱田岳と申し分のない役者さんたちの群像劇。
巧みな脚本は、セリフやシーンの少ない人も取りこぼさない優しさを持っている。

7話と8話は「がんもどき」の前後編だった。
ナニから12年。
世間の変化からそこだけポッカリと抜け落ちたような仮設住宅で暮らす人たち。
とりわけ、母親に「潰れたがんもどき」と評されたカツコ(三浦透子)の暮らしは貧しい。
社会と切り離されたような空間にも、コロナは入り込んできて、カツコは不織布マスクの袋詰めをしている。
現実には、よもや1枚1枚手作業でやっているとは思えないけれど、いったい1枚いくらの手間賃なんだろう?

私は小学生の頃から、既製服の予備のボタンの小袋や、製品ラベルの札をつける内職をしていたが、1枚いくらだったかは忘れてしまった。
中学生になると、ほかのパートさんや下請けさんに負けないスピードで、トップの座を許さなかった。
高校生のとき、はじめて某大手スポーツブランドの倉庫で同じ作業のバイトをしたが、一緒に働いていた人の中で評判となり、ベテランから新人までが「どんな子?」と作業の様子を見に来たというのが、数少ない自慢話である。

ほとんどの人は知らないだろうが、一時期流行った「アメリカンクラッカー」の球に紐を通す内職もやったことがある。
いまも私は、時給や月給よりも出来高払いの仕事が好きである。
やってもやらなくても同一の報酬は不公平だという感覚がある。

そういうこともあって、カツコへの親近感は他の視聴者より強いと思う。
産みの母は彼女を置いて家を出て、金持ちの男とくっついたらしい。
彼女は、おじ夫婦と暮らしているが、おじは血縁関係はない模様。
働いている様子はなく、酒を飲む金はカツコの稼ぎと、カツコ母の仕送り?で賄っているという、見るからにろくでなしである。
おばが倒れ入院しているあいだに、カツコはおじにレイプされる。
といっても、もはや抗う気力もなくなすがままという感じ。

このカツコに、かねてから想いを寄せていたのが、コンビニ酒屋のオカベ(渡辺大知)。
仮設の中と外を結ぶ人だ。
カツコにプレゼントしようと、服を選ぶ。

カツコは、彼の想いに気づいている。
しかし、それを喜ぶ余裕すらない。
立場の異なる他者の同情や愛は、ときにうっとおしいものだ。

おじにレイプされたカツコは妊娠する。
しかも、相手が自分の夫で、自分の入院中に孕ませたのだと知らないおばは、彼女を責める。
クソの上にクソを積んだような人生が続く。

しかし、演じる三浦透子には、泥沼のような境遇にあって、その名の通りどこか透明感がある。
それはもしかしたら絶望が飽和してしまったからかもしれない。
だから、見ている者の同情や共感も飽和する。
なので、涙も出ない。
すごい演技だ。

カツコはオカベの働いている店を訪ね、プレゼントを抱えて出てきた彼を刺してしまう。

カツコの殺したかったのは自分自身だろうか。
このシーンを見たときは、自分を恋う相手を刺すことで、自分を刺した、と感じた。

たぶん取り調べの拘留のあいだに、彼女は子を流す。

オカベは無事で、彼女を訴えなかった。
河原で二人が出会って、彼はギターで歌を聴かせる。
泉谷しげるの「季節のない街」。

それまで一言も発しなかった彼女がハモる。
「勝手にハモんないでくれる?」と彼が言う。
いままでどこか腫れ物にさわるようだった彼の口調が、ちょっときつめに聞こえるのは、そういう演出を望んだのだとクドカンが語っている。
垣根を超えた感じがする。

歌詞は、私のミミタコ。
「季節のない街に生まれ 風のない丘に育ち 夢のない家を出て 愛のない人にあう」と紡ぐ。

子供のころ、これを聞いたとき
「今日ですべてが終わるさ 今日ですべてが変わる
今日ですべてがむくわれる 今日ですべてが始まるさ」
のところがよくわからなかった。

「終わること」は絶望で、「むくわれること」は喜びではないのか。
このふたつが、今日という日に同時に存在するの?

でも、いまはすこしわかる気がする。

この瞬間のために、これまでの日々があったということが、人生にはあるのではないか。
でも、ほんの一瞬で、それは終わる。
一瞬だとわかっていて、人はそれを求めずにはいられない。
しかもたぶん、多くの場合、そのむくわれた瞬間に、人は気づかないのだ。

オカベになぜ自分を刺したのかと問われたカツコは、「忘れられるのが怖かった」と答える。
季節のない街で、愛のない人に囲まれて生きてきたカツコは、たぶん自分の存在をも肯定してこなかっただろう。
でも、オカベに忘れられたくないと思った。
それはオカベの存在だけでなく、自分という存在も肯定し始めているのではないかと思った。

土手を去っていくカツコが、身に着けているのはオカベに贈られた服だ。
後ろの襟首に、外していない製品ラベルの札が揺れている。

そうか。
彼女は、彼に新しい服を着た自分を見せに来たんだ。
終わって、変わって、むくわれて、始まったんだ。
涙がドッと出た。

春夏秋冬には、後半
「汚いところですが 暇があったら寄ってみてください
ほんのついででいいんです 一度寄ってみてください」
という歌詞がある。

いつもでなくていい。
暇があったらでいい。
ほんのついでに寄ってみるという関係が救うものはたぶん大きい。
求めすぎず、拒みすぎず。




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