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幻の駅

他人の夢(眠りの中で見るほう)の話ほどつまらないものはない。
当人の経験も感情も知らないのだから、深層心理など探りようもないし、一般的な「夢判断」とか「夢占い」(誰にでもどこかは当たるようにできている)みたいなものは、私は好まない。

それでも、自分にとっての奇異な夢は、忘れるがままにするのが惜しい気持ちもある。
だから備忘録として書くだけなので、私がよそさまのそれらをスルーするように、みなさまもスルーされたし。

昨夜(今朝)は、4時40分に時計を見た記憶がある。
それまで眠れなかった理由は不明。
眠剤を飲んでいても、たまにそういう日がある。
そのあと、どうやらウトウトしたらしい。


ヨークのB&B

エレベータは、トロッコのような箱がただ吊り下げられているだけだった。
吊り下げている金属製のチェーンも、剥げたコンクリートの壁もむき出しで、片足を乗せただけでガクンとバランスが崩れた。
傾きをなんとか補正するように力加減をして箱に身を沈める。
3人ほどの乗客が箱の隅に乗り込んでくる。

思ったほど揺れずに箱は降下した。
ボタンは私のいるほうとは反対の壁面にあり、1階の表示を押せなかったが、まあみんなどうせ1階に行くのだろうとたかをくくった。

まもなくスッと箱は止まる。
降りる者は誰もいない。
途中階だからだろうと、再びたかをくくる。
しかし、そのあと箱は上昇した。

えっ、もしかしてさっきのが1階だったの?
で、乗降が済んだと判断して、また上がって行ってるの?
あわてて、手を伸ばして押したのが4階だった。

降りると、ショッピングモールだった。
乗ったときもたぶんそうなのだろうが、その場面はない。
降りるエスカレータの近くに看板があり、駅を表すピクトグラムが描かれている。
ああ、下は駅に直結しているんだ。
途端に安心した。
駅と線路は、私を安心させる。

3階にホームがあり、蒸気機関車が停まっていた。
私は、そこが「スウォンジー」駅であると理解した。

ウェールズには行ったことがない。
スウォンジーという名を何で知ったのか見当もつかない。
スペルもわからない。
書かれてあるのを見るというシーンはなかったのに、突然そうだと理解したのだ。

覗き込むと列車にはいくつか空席があった。
こげ茶色の木のフレームに深紅のシート。
やはり木製のテーブルを挟んで向かい合わせの4人掛けの座席は、昭和の名曲喫茶を思わせる。

乗ろうか、乗るまいか迷いながら、4両編成くらいの一番前まで歩いた。
車両が途切れたホームからは、すこし離れた水平線が見える。
岩場の海で、駅は崖の上にあるとわかった。
ああ、だから3階なのか。
1階で降りたら、海辺に出られたのかもしれない。

どこ行きなのか知りたくて目を凝らすと、日本の「三陸鉄道」と提携している旨が日本語で書かれていた。
ん?
そんな話は聞いたこともないが(私は観光地理検定に合格したことがある)、否定する理由もない。
そのうち、何の合図もなく赤い木枠の焦げ茶色のドアは閉まり、列車はゆるゆると動き出した。
シートと色が反転しているのが記憶に残った。
いま、走り出してドアに手をかければ、開くと思った。
きっと乗れる。

でも、私はそうしなかった。
すぐさま、乗れば良かったと後悔した。
こんな経験、めったにできるものではない。

列車が抜け落ちて丸見えになった海は、青色と銀色が混じっていた。
眺めているうちに銀の割合がどんどん増えてくる。

日暮れに宿を探したことは数回ある。
どれも、すごく心細かった。

その日に泊まるところはその日に決めるというのが私の旅のやりかたで、午前中に移動して宿を決めて荷物を置いてぶらぶらする。
気に入れば連泊し、そうでなければ明日は別の町に移る。

でも、たまにそうでないときがあって、到着が夕方となり、しかもなかなか宿が見つからないことがある。
知らない町の暗い道を荷物を持ってうろうろしたくない。
かといってタクシーも乗りたくない。
日没と勝負をするように、場所か値段か設備にこだわる自分の心とも勝負し、決着をつけねばならない。

エスカレータのピクトグラムを見ると、2階にはインフォメーションがあるらしい。
そうだった。
知らない町では、まずインフォメーションに行って無料の地図とホテルリストをもらうのが常だった。
しかし、もうそういう旅をした日は遠い。
ルーティーンを忘れている自分に老いを感じる。

私の背にはいつものバックパックもない。
荷物も何もなしに旅に出たというのか。
いや、私はただショッピングモールのエレベータに乗っただけ。
しかし、それと意識しないで人生の大きな転機にぶち当たることは、まあなくはないよな。

インフォメーションのカウンターには、各国語の表示があり、中に日本語もあった。
一応、宿を探している旨の英語の定型文を反芻する。
ウェールズ語はひとつも知らない。
行く先の国の言語を調べないままで行くなんて、私にはありえないこと。
私は、フランスやイタリアやドイツなど英語圏以外の国々で、英語を話すことを好まない。
日本でも、共通語として当たり前に英語で話しかけてくる海外の観光客にはムッとしている。
「コンニチハ」でも「チョットー」でもいいから、日本語を覚えてから来いよ。
知らない文化に触れようとしているんだからさ。

自分を恥じて責めながら、スタッフの顔を見ると、それは日本人だった。
私と変わらぬおばさんだ。
彼女は、愛想の良い笑顔で「ここには宿はない」と告げる。
「さっきの列車に乗れば良かったのに」とダメ押しされて私は凹む。

今夜はどこに泊まればいいのか。
いやいや、駅で明かした夜もある。
新聞紙をかぶると、わりかし暖は取れるし、いまは寒くない。

そして、またエスカレータの段に足を踏み出す。
ここを降りると1階のはずだ。
建物の前には海が広がっているのだろうか。
もう日が暮れてしまったのだろうか。

大丈夫。
もう背負った荷物はない。
すぐに降ろさなくてはつらいほどの荷は。

エスカレータが下りていく。
地上が近づいてくる。
私の意識が戻る。


スコットランド「ピトロッポリー」の駅

目覚めて検索してみたら、スウォンジーは、もっと市街地っぽい。
サッカーチームがヒットしたが、もちろん知らない。

かつて「スウォンジー・アンド・マンブルズ鉄道」という馬車鉄道が走っていたことを知って驚いた。
日本の三陸鉄道とはなんの関係もない。

※冒頭の写真は、ベルギーの画家ポール・デルヴォーの「夜汽車」の絵葉書


読んでいただきありがとうございますm(__)m