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私でなくてもいい

今日は、とてつもなく仕事がなかった。
先週はフルで働いたけれど、それが終わったらすっからかんである。
なんとか探し探して午前中は持たせたけれど、午後はもう尽きた。
こういうときに限って、問い合わせもない。

teams電話がかかってきた。
「風待ちさんって、いつまでの契約なの?」
「6月末までなんですけど、延長といわれていて。でも、そのあと具体的な更新手続きについて何の音沙汰もないんです。。」

相手は、30代後半の男性A氏。
私がいまの会社の仕事に就いたとき、一番信頼していた40代前半男性B氏が去年の9月で退職したタイミングで、いったん私のやる気も失せた。
そのあと、補充というかたちで11月にA氏が来て、なんとか盛り返した。
私は、このくらいの年代の男性社員とわりと気が合う。

相手も私を姉か母かという感じで親しんでくれて、「風待ちさんだけに言うんだけどね」と愚痴や悩みを吐いてくれる。
まあ、私は、グループで人と交流することがないので、他言される恐れを感じないからなのだろう。

「実は、まだみんなに言ってないけど、6月で辞めるんです。」
えっ!?
B氏のときもそうだったが、まったく想像したこともなかった。
仕事熱心で、しかも有能な人ほど、途中退職していく。

「ショックです。。でも。
でも、自分の人生が最優先ですもんね。」
と、B氏の退職を打ち明けられたときと同じセリフを言った。

私の労働意欲が一段と引いていく。
あー、もう私も辞めたい。
会社がイヤなんじゃなくて、働くのがイヤ。

昨日書いたけど、小学生のときから(内職とはいえ)働いてきたんだよ。
介護もあったし(通算6名)。
特に、兄に続いて母が死んだあと、もう私一人の暮らしが立てばいいんだとなってからは、これまで家族の生活や医療・介護費に回してきたぶんを預貯金できるはずなのに、その気が起きない。
むしろ働いているのが、人生の残り時間を無駄にしているように感じてしまう。

そのあと、部の指揮命令者からも連絡が来たので、正直に「やることがないのがしんどい」と告げた。
正確には「私でなくてはできないことがない」だ。
組織としての力を上げるために「〇〇でなくてはならない仕事」を減らそうとしてきた、つもり。
担当でなくても、見ればわかるように、いちいちPC画面のスクショを貼ったマニュアルを作ってきた。
もう、どんな処理だって、誰でもできる、はず。

家事も介護も、私がやらねば誰がやる、と思ってきた。
実際、そうだった。
精神的な必要感はありがたいが、物理的に求められるのはもうたくさん。

でも、実際そうなってみると、もう「私がやらなくてもいいや」という気になり、一気に労働意欲がなくなってしまうのだった。

会社や仕事を辞めるというと、多くの人は「なんで?」とか「辞めてどうするのか?」と質問する。
世間は「何か別のことをする」からと言わないと、納得しがたいらしい。
私は、ほかに何かしようとは思っていないし、何もしないことを楽しみたいので、そのために辞めたい。

中途半端な収入が一番もったいないので、今年は絶対に住民税非課税にしたいとは思っている。
幸か不幸か副業(校閲)もほぼ受けていないので、会社で週3日で働いて、7月がもうギリギリ・・・。
五十肩もあるし、もうさ、早く私を「高齢者」と認定してほしい。
「働かなくても暮らしていける高齢者」になりたい。
「隠居」とか、最高よな。


読んでいただきありがとうございますm(__)m