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勝手につぶやき&日記<光る君へ(第21回)+古畑任三郎>
今朝は突然の肩痛で、今日の大河の感想などとても書けまいと思ったのだが、ロキソニンテープを貼り、ロキソニン錠剤も飲んで、何もしないでいたら、想像以上に回復した。
友人数名に電話して「痛いよー!」と弱音を吐き、「うんうん、私もやったことあるからわかるよ」と言ってもらい、「冷やすべき」とか「お風呂で温まったほうがいい」とか「安静にしないとダメ」とか「動かさないと筋肉が固まって動かなくなる」とかいろいろなアドバイスをもらい、どうしていいものやらと迷いつつ、安静という口実で怠惰を選択した。
まだ、肩より上には腕は上がらないが、黙っていても「疼く」という事態からは逃れられた。
ロキソニンの効力おそるべし。
これが「若さアピール四十肩」なのか「遅れてきた五十肩」なのかまだわからない。
六十肩も三十肩も、一発変換できないところを見ると、やはり40、50が通例なのかもしれない。
毎週土曜日は定例として洗濯、日曜日は掃除とすることが多い。
あとは気になったときに都度追加。
洗濯を昨日しておいて良かった。
洗えるけど干せない。
掃除はパス。
ちょっとくらい掃除しなくても死なない。
今日の「光る君へ」で印象に残ったポイントは以下。
★長男と母
とことん幼さと愚かさを強調して描かれる伊周。
自分も一緒に行くから、なんなら出家もするからと遠流の息子に付き添う貴子は、帝の命令で引き離される。
そりゃそうよ、普通の転勤じゃないんだから。
「私にはこの子しかいない」と泣き叫ぶ貴子だが、定子だっているじゃん、隆家だって死んだわけじゃないじゃん、と思った。
私は母親が特別に「長男」に固執するのが好きじゃない。
まあ、自分の元姑がそうだったというのもある。
「長男の嫁」という圧は、私にはしんどかったのよな。
★仮病と火事
どうやら、呪詛は女院の演出だったようだ。
先週、「私にお任せください」と倫子が申し出たとき、道長が、途中で「あ」という顔になったのは、姉の仕業に気づいたからかと得心した。
それを遠回しなれど、当の詮子に言う倫子の底知れぬ怖さ。
二条邸の火事の原因はなんなのだろう?
失火?放火?
★答え合わせ
終盤、越前行が迫ったまひろが道長を呼び出して、10年前の本音を告白するシーンは、私としては不要だった。
答え合わせをしないのが恋の滋味。
相手の心が見えぬまま、最後まで割り切れない思いを抱えつつ、それをどうにか自分の中で折り合いをつけていくさまに、人としての愛おしさを感じるから。
これでは、前回、無言ですれ違ったのが台無しではないか。
★ものの価値
今回はなんといっても「枕草子」の誕生だろう。
清少納言は、中宮定子ただひとりのためだけに、枕草子を書き始めた。
すこし前から、地上波で「古畑任三郎」の再放送が始まっている。
私は以前、CSでやったのを全話DVD録画済なのだが、ベスト1と言われたら迷わず、シーズン2の「動機の鑑定」をあげる。
澤村藤十郎が演じる骨董商「春峯堂」の主が、自分を陥れようとした贋作の名人である陶芸家の百漢を、美術館長とグルになって殺す。
捜査が自分に及ぶのを防ぐために、罪をなすりつけたうえ自殺に見せかけて美術館長も殺してしまう。
春峯堂の手元には真作と贋作と2つの「慶長の壺」があって、事件の際に割ってしまったのを指して、トリックを看破したあと、古畑は「あれは残念でしたね」と言う。
「あわてたのでうっかり本物で殴って割ってしまった」というのが、古畑と視聴者の解釈だ。
しかし、春峯堂は、古畑の間違いを指摘する。
自分は、間違えたのではなくあれを「本物」と知って割ったのだと。
慶長の壺は、いうなれば、ただの古い壺です。
いまひとつは、稀代の名人百漢が、私一人を陥れるために焼いた壺です。
どちらが私にとって価値があるか。
ものの価値とはそういうものなんですよ。
正確ではないが、そういう感じのセリフが春峯堂から語られる。
このときの藤十郎の色っぽさと相まって、これは、私の古畑任三郎シリーズの中でのベストシーンとなっている。
そう。
ものの価値とはそういうものだ、と私も思う。
価値は、他人や社会が作るのではなく、自分で見出すものなのだ。
有名になるとか、利益を生むとか、万人ウケすることではなくて、ただ愛する中宮様の心を慰め、喜んでもらうためだけに、清少納言が筆をとる。
帝のいなくなった世界で、もう生きることすらどうでもよくなった定子の心に、季節の移ろいを通して外の空気を運ぶ。
その空気で定子は呼吸するのだ。
花が舞い、蛍が飛び交い、紅葉が散る中で、定子が「春はあけぼの」と読む絵柄が美しい。
それだけに、終盤のまひろと道長のラブシーンはないほうがよかったなぁと。
武力で制覇していく物語じゃないんだから、いちいち決着は要らないのよ。
読んでいただきありがとうございますm(__)m