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枯れ木も山の賑わい

50歳を過ぎてから資格を8つ取った。
うち6つは、「みんな、もっと向上心を持とうよ」という社長の思いつきで、合格証一つにつき1万5千円の褒賞金が支給されたから取った。
受験料も会社持ちだった。
もちろん何でもいいというわけではなく、多少なりとも業務に関わるものということで、指定された範囲から選択して受験した。

しかしあくまでも「奨励」だったので、この制度を活用している社員は少なく、4年目には「廃止」となってしまった。
理由として「特定の人だけが恩恵を受けること」に異論が出た。
「仕事が忙しくて勉強する時間が取れない」とか「休日の過ごし方まで会社に命じられたくない(命じているわけではないけれど、「圧」という意味で)」という意見である。

在宅介護をしながら、月に80時間残業していた会社だ。
努力してスキルを向上させることを「不平等」と感じる社員がいたことに失望した。
残業代は未払いのままで、そういうところに金を出すのかという憤りはわからぬでもないが、それとこれとは別の話。
労基法違反を無視する社長も社長だが、この制度にクレームをつける社員も社員だという気がした。

しかし「おめぇ、金目当てじゃねーか」と言われたら、それは確かにそうなのだった。
現預金が2万円しかないのに熟年離婚し、預金もなく収入は年金5万円のみの末期がんの兄を引き取って介護する私には、一時的とはいえ1万5千円は大きなお金である。
ほかの社員たちが「経済的にそこまで切羽詰まっていない」ということに、疎外感を抱いた。
未払い残業代のこともあって「辞めよう」と思っていたから、口には出さなかった。

そもそも私は子供の頃から、テストが好きだった。
試験勉強は嫌い。
矛盾しているけれど、そうなのだ。
だから、不登校の時代も、テストの日は必ず登校した。

いずれの資格試験も、大学受験のときから長い年月を経てのもの。
受験票や受験会場の雰囲気に私の心は湧き立つ。
昔、落ちた大学が試験会場になっていたときは、お門違いのリベンジ感に燃えた。

会社とは関係ない資格の受験料は、もちろん自腹で出した。
そうして、これらは実生活には何の役にも立たない。
ただ好きだというだけの自己満足。
一円でも惜しい暮らしをしている中で、こんな「人生の余興」にお金を出す自分が愚かで、そしてその愚かさゆえに楽しいのだった。

履歴書の資格欄は「枯れ木も山の賑わい」状態になっている。
そこには、お金目当てに取った資格と並んで、この100%趣味の資格も書いてある。
派遣先の面接や面談で、私の経歴やスキルシートに目を落としながら、業務に使えそうな前者ではなく、後者について「これは何ですか?」と突っ込み、雑談を展開していく会社が、私にとって「いい会社」「いい面接官」の判断基準となっている。

読んでいただきありがとうございますm(__)m