見出し画像

人の心も輝くジュエリーを届けたい

私がジュエリーブランドを立ち上げるに至った背景に、15年以上ジュエリー業界にいて感じた想いがあります。

「関わる全ての人に笑顔が宿るジュエリーを提供する。」

そう使命感を感じた瞬間がありました。

「人間は微力だけど、無力じゃない。だから、無駄ではない。」

どこかで耳にしたその言葉を胸に、まずは自分が変わることで、その微力な行動が積み重なって結果的に世の中がちょっとでも変われたら。

この記事ではそんな話を書いています。


↓オリジナルジュエリーブランドのプロフィールはこちら↓

three x seven

↓最新のお話はこちら↓


↓Harper's BAZAAR|独占インタビュー日本語訳はこちら↓




デザイナープロフィール

Asuka Saito
three x seven Jewelry 代表 / Miseki Jewelry オーナー & CEO

北海道札幌市出身。美しい自然と豊かな文化の中で育ち、幼い頃から創造的な活動に魅了され、日本の美意識を大切にする感性を育んできました。2005年に渡米、サンフランシスコの老舗ジュエリー店で販売を経験。その後、ゼネラルマネージャーとして、仕入れ・企画・販売促進・広報のディレクションを担当し、10年間の勤務を経て独立。

2020年10月、エシカルジュエリーブランド「three x seven Jewelry」を設立。美しさと感情、倫理的価値観を大切にするジュエリーは、ただ身に着けるだけのものではなく、持ち主の人生に物語と意味をもたらします。ジュエリーを通じた「つながり」を生み出し、心を満たす笑顔を届けることがブランドの核。サステナビリティに焦点を当て、2022年にはフェアマインド認証を取得。2023年には、コロンビアのフェアマインド認証金鉱山を訪れ、採掘者たちと直接交流することで、持続可能なものづくりへの信念をさらに深めました。

また、2023年10月には、1967年創業の「Miseki Jewelry」のオーナーシップを引き継ぎ、新たな挑戦を開始。サンフランシスコにおける伝統あるジュエリー店の価値を継承しながら、二つのブランドの運営と経営を両立しています。



⋒ GIA Applied Jewelry Professional

(米国宝石学会ジュエリープロフェッショナル)

⋒ CPAA Certified Pearl Specialist

(米国養殖真珠協会認定パールスペシャリスト)

⋒ Sustainable Fashion, Copenhagen Business School Online 
(サステナブルファッションコース修了、コペンハーゲンビジネススクールオンラインコース)

⋒ Sensational Color Certified Color Specialist

(センセーショナルカラー認定カラースペシャリスト)

⋒ A’ Design Award & Competition Jury

(Aデザイン国際デザインコンテスト審査員)


ブランド設立の背景にあった想い

新たに購入するなら見た目も気分もいいもの
=環境やコミュニティに配慮したものであったらいいなとの想いで、

社会問題の解決の一端を担うような、
または地球の自然環境や社会の持続可能な発展を目標としたサステナブルなライフスタイルに沿うような、

「美しさの背景にも配慮したジュエリー」

そういうのものを提供していきたいと始めた
スリーバイセブンジュエリーですが、

立ち上げるに至った背景に、10年以上ジュエリー業界にいて感じた想いがあります。

宝石・鉱物採掘の背景にある負の側面

大手ブランドであろうと小規模ブランドであろうと、宝石の採掘から販売までのサプライチェーンというのは相当入り組んでいて、

とても複雑な経路を経ているため、

「金やダイヤモンドがお店のショーケースにたどり着く頃には、その原産地がどこか、そしてそれは環境汚染や人権侵害を引き起こしたものかどうかわからなくなっている」

という現状を目の当たりにしてきました。

何百万人もの採掘労働者にとって、金やダイヤモンドの採掘は重要な収入源である一方で、労働環境は非常に苛酷です。

低賃金や無償の労働、命の危険がある鉱山での児童労働。負傷したり、死亡する事故も起こっています。

水路や土壌は、鉱山採掘に使用する化学物質により汚染され、地域に住む人々の健康や生活を脅かしてきました。

紛争中には反政府組織がダイヤモンド鉱山を武力で占拠し、子供から大人まで地域住民が劣悪な環境の中で強制労働を強いられ、生産されたダイヤモンドは武器調達の資金源とされるなどしています。


問題解決のために採択された国際認証制度もありますが、それも完璧なものでは有りません。今でも多くの課題を抱えていることも事実です。

実際には一般の消費者には知らされないジュエリーの裏側であり、商品を買うことで知らずして環境問題や社会問題の悪化に加担してしまう恐れがあるわけです。

人の心も輝く・関わる全てが笑顔につながるジュエリーを届けたい


ジュエリーとは本来、想いをつなぐものであったり、お守りとして、または気分を上げるものであったりと、人の深い想いが反映されるもの。

そしてなにより、自然からの恵みとしての神秘的な美しさに心打たれ感動する、まさにジュエリーは人間的な心の動きに働きかけるものです。

そういう心の豊かさや、人の想いをつないでいく手助けをしてくれるジュエリーの背景に、貧困問題、環境問題、児童労働、強制労働などによる人的被害があってはならないのではないか。

最終的に完成されたジュエリーを手にする人には笑顔があっても、ジュエリーの素材の生産者たちには悲しい顔がある。

その現実を知ったときに、何とも言葉では言い表せない複雑な想いに駆られ、いてもたってもいられなくなりました。

美しいジュエリーの背景にも配慮

→多角的な視点から見て、環境問題や社会問題などの解決に貢献できる素材や仕組みを用いたジュエリーを提供

→サステブルな社会の実現へのサポートを目指す

そこに使命感を感じた瞬間が確かに有りました。今でもはっきり覚えています。

ジュエリーは見た目も中身も美しい楽しいものであるべき。

そうして私自身、クリエイティブなプロセス自体は変わっていないけれど、ジュエリーを作る意味、提供する意味が変わったのです。

そこから時間はかかりましたが、信頼できるサプライヤーさんや職人さんを見つけ、2020年に自身のジュエリーブランド「three x seven Jewelry」をローンチすることが出来ました。


人間は微力だけど、無力じゃない。


宝飾業界に限らず、これまではその裏側にある負の側面をシークレットにして儲けることが当たり前とされていたわけですけれども。

またそんな大きな問題に自分一人の力で何か変えられるわけないという囁きも聞こえつつ。

そういった常識みたいなものに縛られて、じゃあしょうがないよねって諦めるのも違う気がして。

「人間は微力だけど、無力じゃない。だから、無駄ではない。」

どこかで耳にした言葉を胸に、まずは自分が変わることで、その微力な行動が積み重なって結果的に世の中がちょっとでも変われたら。

そもそもサステナビリティにも明確な正解があるわけではないですし、なので私自身も完璧な答えを目指そうとせずに、自分にできることからやっていこうと思ったのです。

そして未来に繋げていけるように。


国際社会問題に目が向いたきっかけ

まず、政治的・経済的・社会的問わず、国際問題に関心を持ったきっかけは、大まかに大学時代と中学時代にあった気がします。

全ては繋がっている


私が小学生の頃、あの時代に早くから世界に目を向けるような視野の広さを持っていた坂本龍馬に恋をしていたことが影響あったかどうかは定かではありませんが、

自分が今いる世界から一歩外に出て自分の視野を広げたい、いろんな価値観に触れたい、と留学を決意し渡米したのが2005年。

カリフォルニア州サンフランシスコにある大学で、心理学と並行して国際関係学の勉強をしていた時期がありました。

そこで触れる情報により、世界を取り巻くさまざまな社会課題をより深く知り、考えるようになりました。

タイトルを忘れてしまいましたが、20代前半の頃、社会問題を題材にした映画をいくつか見たのがきっかけで、

世界ではいくつもの紛争やテロなどが起っていて、その地域で暮らす人々は生活を脅かされているという現実問題に気付かされ、関心が向いたんですよね。この同じ地球上で、同じ時代に生きる人達にそういったことが起こっている。

政治的なことが複雑に絡んだ社会問題、民族や宗教間での対立、土地・資源の奪い合い、それが権力闘争が背景だったり憎しみ合いから生まれた負の連鎖だったりと、到底自分には太刀打ち出来ないような出来事が起きていて、

そういった問題において被害を被っているのは大体何の罪もない一般市民や子供たち。。。

それまでほとんど外国人と触れ合う事がなかった日本暮らしから、多種多様な人種がいるのが当たり前の環境に身を置いたのが、関係あったかもしれません。

また世界同時多発テロ(2001)から数年しか経っていない当事国にいたからかもしれません。

何となく知っていたようなことが、よりリアルに考えさせられて。

比べるものではないのは百も承知だけど。
その頃抱いていた自分の悩みや生きづらさみたいなものが、本当にちっぽけに感じて。

またそれらが、自分が住んでいる世界から全く関係の無い遠いところで起こっているようで、実は関係ないとは言えない、そんな事実を知りました。

物理的に地球の裏側で起こっていることでも、

例えば世界経済だったり、環境問題だったり、はたまた普段の何気ない自分の生活で使用している生活用品にでさえも密接に関わっていて、全ては繋がっているんですよね。

あとはやはり留学先がカリフォルニアだったこともあり、メキシコ人など中南米から来た人達に出会うことも多く、

いつもニコニコ陽気な彼らも実はその笑顔の背景には、自国に家族を置いて一生そのまま会えないかもしれないリスクを負ってまで、その家族を養うために本気の命懸けで不法で越境してくる理由があったりと、

なんだかそれまでは遠い国のニュースだったことが現実にとても身近に感じるようになりました。


アフリカの貧困にあえぐ子供たち


それ以前にも、国際問題に関することに関心を持った記憶が、思い出せるところで私が中学生の頃。

高校生だった2つ上の姉が、「アフリカの貧困にあえぐ子供たち」を題材にした研究発表が、高校生国際研究発表大会で県知事賞を受賞したことがありました。

研究発表のきっかけとなった、ルワンダ難民の取材途中で墜落事故死した元・共同通信社ナイロビ支局長の沼沢均さん(1992年からアフリカを担当)は、当時の姉の担任の先生のご友人だったそうです。

『神よ、アフリカに祝福を』は、彼の遺稿集。

1994年12月、ルワンダ難民取材でゴマへ向かう途中事故死した著者の遺稿集。ケニア、ソマリア、ルワンダなどの危険地域に踏み込んでの取材で、悲惨な現実にも目をそむけずに綴った、一人の記者の記録。

そういった現状に、間接的にも少し身近に感じた瞬間がありました。


そういうことを経て、いつしか世界の問題に対して自分に何かできないかと思い始めてはいたけれど、当時はまだ、自分は戦争もない平和な国で生まれ育ち、今もなお何でも物が揃っていてインフラも整っているような豊かな国で生活しておきながら、

そういう風に思うこと自体おこがましいというか、偽善になるのかもと、行動を起こせずにいました。


環境問題への意識


自然に対する純粋な愛着


幼少期から自然豊かな北海道・東北で過ごし、両親にはよく大自然の中に遊びに連れて行ってもらったりもして、自然が身近にあった私にとって自然を愛すること、そして自然を敬うことは当たり前でした。

車窓から見る木々や草花、道路脇に小さく生えている草ひとつとっても、よく見ればそれぞれに表情や個性があるということを感じながらドライブを楽しんでいたんですよね。

自然の中で浴びるあの心地良い空気、木の葉が擦れ合って奏でる音、川のせせらぎやコロコロ表情を変えていく空。四季がある日本で育ったことも感謝ですね。春夏秋冬どれをとっても本当に美しいですもんね。

自然についての純粋な愛着から、環境問題について意識が向いていったように思います。


得体の知れないエネルギーに涙した日

それまで日本国内で自然を身近に感じてはいたけれど、

渡米してきて間もなく、初めて訪れたヨセミテ国立公園では、それまで以上に雄大な自然の偉大さを感じました。特にヨセミテ渓谷に入ってすぐに目の前に現れる世界最大の1枚岩。

垂直なその巨大な花崗岩を見た瞬間の、得体の知れない自然のエネルギーの強さに恐怖すら覚えた記憶が、今でも鮮明に思い出されます。

敵わない。人間はとてもちっぽけだ。と、そこですごく思わされたんですよね。自然と涙が出てきたんです。

そんな自然様を壊さず、人間もどうにかうまく共存していきたい。と。

ヨセミテ国立公園

1997年公開のジブリ作品『もののけ姫』でも、人間と自然との関わりついてとても考えさせられました。自然と人が憎しみ合わずに共存するにはどうしたらいいのか。

これは先述した国際関係について考えたときにも感じたことですが、互いに憎み合うことは負の感情を連鎖させるんですよね。

自分がここまで便利で快適な暮らしが出来てきたのも、 先代の人々が一生懸命いろんなものを開発して暮らしやすい環境を整えてきてくださったからであり、それは感謝ですし後世の人々にも引き継ぎたいと思います。

そんな中でいかに、大好きな自然と調和して共存していけるのか。

自然が好きとは言え、大人になるにつれ虫は大の苦手になってしまったけれど。それでもハイキングやトレッキングは大好きで、今でも定期的に自然と触れ合いに行きます。



色に関わる仕事がしたい


職業的にジュエリー業界と出会う前は、広告デザインやCM制作、パッケージデザインなど、クリエイティブなことに興味を持っていました。

色に関わる仕事がしたいとずっと思っていたんですよね。

小中学生の頃は、学校の課題で水彩画を描けばほぼ毎回入賞していたこともあり、幼少期からずっと色を使って絵を描くことが好きだったのです。

真っ白な画用紙の中の何もない世界に、モノクロの下書きに色をのせて色のある世界を作り上げていく。そんな工程がすごく好きでした。

また「色は人の感情に影響を与える」ということに魅了されていたのも理由です。人の心の動きに対して、小さい頃から関心があったように思います。

これはジュエリーデザイナーとしての今もそうですが、ゼロからデザインして、それが形になって出来上がったものを見るのは本当に楽しいです。また、自分がデザインしたものを手に取ってくれた人が笑顔になるのを見るのも大好きです。

自分の作ったもので、少しでも人の心を動かす事ができたのかなと思える瞬間ですよね。

クリエイティブな仕事をするにも、技術的なことよりもまずは基本的には人間の心理を知る事が必要でしょう、と当時考えていて(技術ももちろん大事ですよ!)、大学では基礎心理学から応用心理学まで、心理学をメインに専攻していました。

心理学を専攻していた理由は他にもありますが、それはまた別の機会に。

ちなみに幼稚園の時のアンケートに書いた将来の夢は「ケーキ屋さん」。

幼稚園生ではありがちな将来の夢ですよね。

特に意識せず何となくこんなもんかなって書いた記憶がありますが、渡米前の19歳〜20歳でパティシエをやり、自分が作ったスイーツをお店で提供していたので、この夢は叶ったと言っても過言ではないでしょう。

スイーツの見た目の美しさへのこだわりから丁寧なものづくりを意識していて、

自分が作ったものが館内パンフレットでフィーチャーされたりと、なかなか向いていた気がします。

美しいデコレーションケーキなどを見るのも大好きで、後のジュエリー造りにおいてデコレーションケーキに着想を得たこともあります。


小学校に上がると、遊びの一環で、同級生と3歳下の弟を引き連れて近所に「金」や「ダイヤモンド」を掘りに行っていました。

もちろん本物の金やダイヤモンドではないのですが、金色や半透明の小さな石を土からホジホジ掘り起こしては「金だー!」「ダイヤモンドだー!」と言って遊んでいました。

今となっては現在のジュエリー業と通ずる行動だったかなと思っています。


ジュエリー業界との出会い


2010年あたりに、友人の紹介でサンフランシスコにあるジュエリー店とご縁がありました。

ファッションが好きだったのでジュエリーそのものも好きでしたし、母も祖母も宝石を身につけるタイプだったのでジュエリーは昔から馴染みがあったこと、

またジュエリーの世界にも色が関わっていて、ジュエリーにおけるデザインも制作もクリエイティブなことだったので、まさに自分が関わりたいと思っていた世界が合致して、

「これだ。」という感覚があり。

またジュエリーを手にしたお客様の笑顔に触れる回数が増えると、どんどんジュエリーの仕事にのめり込んでいきました。

そこでまず店頭で経験を積みながら、

ジュエリーに関する知識をより高めるため、世界で最も認められている宝石の研究・教育を行う機関 Gemological Institute of America(米国宝石学会)で資格取得、

その他現地サンフランシスコの彫金教室でジュエリー制作を学んだりしていったんですよね。


ジュエリー業界の負の側面に気付いたきっかけ

『ブラッドダイヤモンド』

前述したように、もともと大学時代に国際関係学を学んでいた中で、金などの資源が戦争や世界経済に関係していることを知ったということや、

以前から、自分が生きる上で社会貢献に繋がる何かがしたい、との思いが心の中にまだずっとあったので、ジュエリーに携わる中で何か自分にできることはないかと思い始めていた頃、

レオナルド・ディカプリオ主演の映画『ブラッド・ダイヤモンド』を見たのがきっかけで、ジュエリー業界にいながらも自分の知らないところで大変なことが起きていることを知り、より想いを加速させました。

1999年のアフリカ・シエラレオネのダイヤモンドを巡る内戦で、反政府軍が地元民を強制労働させる様子、少年達を麻薬漬けにして兵士に仕立て、自分の故郷や家族を襲わせる様子、襲撃した村人の手足を切断する様子など、実話をベースに描かれた映画です。

この映画によって、綺麗な宝石の裏側の負の側面が世界にも広く認知されるようになりました。

解説: 1990年代後半のアフリカ、シエラレオネでの激しい内戦を描いた社会派アクション映画。“ブラッド・ダイヤモンド”というダイヤモンドの不正な取引をめぐって起きる不毛な争いをサスペンスフルに描く。地域紛争が激化する“ブラッド・ダイヤモンド”の現実問題に言及した内容について、米国務省が批判したことでも話題となった問題作。

シネマトゥデイ

「無知の知を知る」の勢いで色々調べ始めると、そこにはとても胸が苦しくなる現実ありました。

もしかしたらお客様に提供しているこのジュエリー達は、このお店に辿り着くまでにそういった紛争に関わる道を通ってきた可能性があるのではないか。。。。

そう思うと正直いても立ってもいられなくなりました。

これはそのお店を批判しているとかではなく、これまでのジュエリー業界では、完全なる流通経路が相当複雑で、不透明なことが当たり前とされてきてしまっていただけなのです。

『ダイヤモンドより平和がほしい―子ども兵士・ムリアの告白』


『ダイヤモンドより平和がほしい―子ども兵士・ムリアの告白』

後にシリアで犠牲になったジャーナリスト後藤健二さんの本です。

これもまた同じように、舞台はダイヤモンド生産国シエラレオネ。

長年に渡り政府軍と反政府軍とで戦闘が繰り広げられ、内戦状態にあったこの国で、反政府軍が特産品の最高品質のダイヤモンドの鉱山を押さえるために犠牲になった残虐の限りを尽くした少年兵にまつわる悲劇、目を背けたくなるような惨状について書かれています。

説明:アフリカの西部に位置するシエラレオネ。ダイヤモンドの産地として知られるが、その利益は戦争の費用となり、武器にかえられ、そして、その銃を、子どもも握ったのだ…。「やぶの殺し屋」と呼ばれていた元・子ども兵士を取材。

人生の大切な瞬間を刻む象徴的な存在であるはずのダイヤモンド始め、その他の宝石や金の採掘場などでの悲惨な背景を知り、

人の深い想いを繋いでくれるはずジュエリーの裏で、紛争や貧困問題、環境問題、児童労働、強制労働から搾取などによる人的被害があってはならないのではないか。

とは思ったものの、

どうにかこうにか国の内側から改善していくしかないのかとも思いつつ、国家間の問題や政府絡みに立ち向かって自分の命無くしては意味がないと思いとどまり、

じゃあせめて自分が提供するジュエリーは、見た目にも背景にも配慮したものでみんなの笑顔につながっていくものを提供していこう!

と思ったのでした。

それはもはや直感めいた使命感を感じた瞬間でした。はっきり覚えています。

2013年のことでした。


社会課題解決と経済的なメリットの両立

何事もまずは関心を持つことから始まるとは思いますが、しかしただ平和を願っているだけでは何も変わりません。

サステナビリティーの観点で考えてみると、そこには3つの要素があります:人、地球、そして利益です。

もし物事が利益を生み出さなければ、つまり財政的に持続可能でなければ、社会的変化は起こりません。

持続的な変化を起こすには、財務的な観点から持続可能でなければならないのです。

経済が回らない事には、ジュエリーの原材料の生産国の人達の生活はますます困窮します。

愛があるからこそ、まずそういった社会課題の解決には、結果として経済価値も創造されるものでなければいけないと思い、

まずマネタイズできるよう、そして課題解決につながるシステムを用いて、ビジネスそのもので取り組む必要があると考えました。

そうして、利益の向上、環境への負荷低減、人権の尊重を実現することができると、思っています。

そうして自分でジュエリーブランドをオープンすることを決めていきました。

“単なる環境保護・社会活動ではなく、環境への対応と経済的なメリットを両立する”


アメリカを拠点にやっていく決断

サステナビリティに関する情報やそういった機関へのアクセスのし易さから、このままアメリカを拠点にやっていこうと決意。

そうなると外国人として住んでいる身として立ちはだかるのが、ビザ(滞在資格)問題です。


F1ビザ留学からO1ビザ取得を経て滞在していましたが、その時の自分の状況的に、ビジネスをしていくなら永住権(グリーンカード)を取ってしまった方がやっぱり後々ラクになるので、

そこからは何がなんでも取ろう!という感じでした。とにかく行動!

抽選や、アメリカ国籍保持者と恋にでも落ちて愛し愛され結婚となれば取れるという方法もありますが、こればっかりはわたくしはそうもいかず😇


目指すはセルフスポンサーで第一優先枠のEB1カテゴリーでのグリーンカード申請。

このEB1カテゴリーというもので申請するためには、いろんな必要条件があり、

それを満たすためにまず実績づくりや人脈作り、アレやコレやと足も時間も使い、頭を下げ、分厚い資料を作り、お金も使い😇
(弁護士費用等まぁまぁ高い💸)


いろいろ厳しいと噂されていたトランプ政権下での申請だったため少しドキドキでしたが、

噂は噂で、申請から約1年程で無事に許可が降りました。

「やっとスタート地点に立てた!」

無事に申請許可されたことが分かった時の喜びは、一生忘れたくないかもしれません。

振り返れば、これを取るためにいろいろ頑張りました🥲

無事に取得できたのは、国内外問わず国境を超えてたくさんの方々のご協力があったからだと思います。

そのご厚意への感謝の気持ちは一生忘れずに、どんな形であれ恩返しにつながることをしていきたいと思っています。

ちなみにグリーンカードの写真の写りが気に入らなくて、撮り直したいと申し出たけど、それはあえなく却下でした。笑


さらに余談ですが、弁護士さんが作った資料のデザインが見にくいからこうしたらどうかと意見を言ったら、審査員はデザイナーじゃないからそんなの審査する上で関係ない!と怒られました😇

そうですよね。完璧主義なデザイナー目線が働いてしまい反省でした。ごめんなさい。


そして未来に繋げていけるように

先立って2018年にすでにサンフランシスコベイエリアを拠点に設立していた会社から、

こうしてやっとの思いでジュエリーブランド「three x seven Jewelry (スリーバイセブンジュエリー) 」を立ち上げるに至りました。

2020年のパンデミック真っ只中でのオープンとなりました。(パンデミックは言わずもがな予想外😇)


サステナブルな素材を使ったとしても、良質なジュエリーを。タイムレスかつベーシックで上質なアイテムを。

まだまだ道半ばですが、ジュエリーの輝きが本当の意味でよりクリーンで美しくなるように、スリーバイセブンジュエリーでは可能な限りトレーサビリティーに取り組み、

人、環境、社会にプラスのインパクトを与える方法を模索しながら、努力とアップデートを重ね続けていきます。


これからもよろしくお願いいたします。


Asuka

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?