期待と葛藤と思想と冷静
はじめに
こんにちは。虐待サバイバーの明日葉 ありすです。
最近、長文です。今日も長文です。申し訳ありません。
ここ数年、自分の置かれている環境が目まぐるしく変化し、それは今年に入ってから、更に加速度を増している様です。その辺りのことについて、今日は書いていきます。
夫のマッドさんが冗談で、「歴史はありすに何をさせようと言うのか」なんて言いますが、けっこう一杯一杯なので、ちょっとやめて欲しい(笑)。
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私が動くと周囲が変わる
前もって申し上げておくと、「俺スゲー」という話では無いです。
例えばバンド活動を再開する時、かなりの自尊心の低さから、頭と心がマッハ級のスピードで迷いまくる葛藤を経験しましたが、それは今も相変わらず。
「やりたいんでしょ?迷ってる暇有るの?」
「そんな事言ったって、私なんかに出来るのか分からないし」
そんな会話を心と頭の中で、言葉を変え、手を変え品を変え、失敗体験を陳列し、イヤイヤそんな後ろ向きではダメだと掻き消し。
振り出しに戻ってまたグルグル。
でも、胃の中が空っぽになるくらいリバースしかねないメンタルを抑え込んで、新しい「場」に飛び込んでみたら、人間関係も見えてくる景色も、思いもよらなかった考えに出会う事もたくさん存在することを知った。
自分を構成する世界のカラーを塗り替えていく。そんな感覚です。
私を躊躇させる“親から刷り込まれた呪い”に後ろ足で砂をザッザとかけて、なんならドブ川に叩き込んで、唾でも吐いて、「ケッ」って言い捨てて、取りあえずミッションを1つクリアしてみる。
あんなに怖かった「自分からアクションを起こすこと」。
でも、動いてみたらどんどん世界が変わっていく。
何なら、私の歩幅やスピードなんてガン無視して、どんどん次のステージへ引っ張っていく。そんな体験を、今もしています。
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ミッション続くよどこまでも
本名で活動している時の私は、ある意味リアルな、本当の私では有ります。
でも、被虐待児だった事や、DV、モラハラ、性被害に遭ってきた事なんて、活動の場に必要のない情報です。今のところは。
ほんの一部を知っている人は数人居ますが、仲間たちと何かを作り上げていく場には関係がない。カミングアウトしたところで、理解できる人がほぼ居ないのは分かっているし、そこに時間と労力を使えるほど、次に決まっている予定をこなす為には、余裕もありません。
また、このnoteで、関連するTwitterで活動する私、明日葉ありすは、本名の裏に隠された私を開放する場でもあります。
あ、今更ですが「あしたば」と読みます(笑)。たまーに聞かれるので。
noteやTwitterで、ズブの素人な私の文章を楽しみにしている方が居てくださり、私に出来ることを「やってみたら?」と後押ししてくれる方たちが居ます。
そして、リアルの世界でチラッと“明日葉の顔”を見せる時に、明日葉にしか出来ないことをして欲しいと、最近になって求められています。
ここでも、前節のように「私が動くと周囲が変わる」経験をしています。
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マイノリティの中のマイノリティだという自覚
レジリエンスという言葉をご存知でしょうか。
とある記事から抜粋します。
元々、生理学的ファクターとしてレジリエンスが高い人も居ますし、その後の外的要因からレジリエンスを高める人も居るようです。
Wikipediaに有るように、レジリエンスを構成する要素は多く、かつ極めて複雑な相互関係を持ちます。そして、生得的なものからその人自身によって獲得されるもの、感じ方や考え方まで含むのですから、誰が優れて誰が劣っているなどという簡単なお話でない事は理解できます。
自分がどちらなのかは分かりませんが、奇跡的にまだ生存している事実、上記に有るように充実しているとは言い切れないまでも、七転八倒しつつも活動できている事を考えると、運良くレジリエンスを高めて来られたのかも知れません。
そして、血反吐を吐きながら生きていてくれる、全てのサバイバーさんもきっと、レジリエンスの高い方たちなんだろうと思います。
私に限らず誰にも言えることだと思いますが、誰しもが自分を“ユニークな存在”だと認めるところから思考に入らないと、簡単に「べき」と断言してしまったり、「なぜこういう風に考えられないのだ」と苛立ったりする羽目になるのではないかと思っています。
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私の思想と理想
ユニークな存在でレジリエンスが高く、更に発信力を手に入れた人達(私も含め)が気をつけなければならない事が有る、と常々思います。
以前の記事でも書きましたが、そういった人達が集まって(あるいは1人でも)、アクションを起こし、続けていく中でどうしても見落としがちなのが、「自分のユニークと違うユニークを持った人達を知らずに傷つけていないか」という事です。
同じ目標を持って一緒に進める人が多く居るというのは、素晴らしいことです。発言力を得るというのは素晴らしい事です。誰しもが出来ることでは有りません。
ですが、味方が増えれば増えるほど、嬉しさと使命感ゆえに見落としがちなのが、「他者のユニークを許容できない」心の動きです。
だからこそ、今は出来ない、将来も出来ないかも知れない人達の気持ちを置き去りにしたり、傷つけたりしてはならないのだと、自分に言い聞かせています。
極性化する可能性からは距離を置き、保守だリベラルだと二分割で考えることも、私はやめるようにしています。
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対話の重要さ
とはいえ、当然私も不完全な人間なので、
「は?何言ってんだコイツ」とか
「うわー無理無理」と思う相手も居ます。
そういう場合私は、戦わずにそっと離れます。
ただし、「そういう人も居る」事は覚えておきます。
敢えて戦う必要も、否定して攻撃する必要も無いと思っています。
(どうもサバイバーという生き物は、自分にとってストレスになる相手にほど気を使って疲れてしまいやすいようですし)
もし議論しなければならないのだとしたら、6秒だけ心を無にします。
直情的な気持ちを横に置いてから話すようにすると、意外に共通認識が見えてきたりします。
同じことに問題意識を持っていたとしても、アプローチの方法は人それぞれです。「そんなやり方じゃダメだ」とか「生ぬるい」と断罪するよりは、援護射撃と捉えたほうが自分の心も平和ですし、自分の生ぬるいところも見えてくるのかも知れません。
戦うべき相手は何なのか。
今の社会制度?子供の人権を真剣に考えてくれない行政?
自分とアプローチの違う誰かさんでは無いはずなのです。
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私の得意なことを続ける
白か黒かとか、良いとか悪いで物事を決められれば、よほど楽だろうなぁと思える、自分のこの性格。
なのできっと私は、誰かと一緒に活動していく、というよりは(音楽の現場ではなく虐待を知る者として)、傾聴し、時には同意し、また時には抱きしめあって、色んな人の話を聞かせてもらうのが向いているのだろうと思います。
そして、その話を私の中に落とし込んで、消化して、代弁させてもらったり、私見として伝えさせてもらったり、そんな生き方がしていけたら良いなと思っています。アドバイスも出来ませんし。
今も次々と与えられるミッション。
もしかしたら私の声が、何かを通してどなたかに届けられる機会が、近々訪れるかも知れません。
本名で活動している歌を通してか、明日葉名義で話す機会か。
いずれにせよ
「言葉は口から出た瞬間から、ユニークなそれぞれの人の解釈に全て委ねられる」事を肝に銘じて、活動していこうと思います。
最近覚えた「ゼンタングル」。
頭を空っぽにして、単純な作業を繰り返すことで出来上がるアートです。
一見複雑なこの絵が、線を一本一本、丁寧に書いていくだけで、想像していたより短い時間で完成してしまい、驚きます。
人生の困難さも、きっと同じなのだと思えます。
ゼンタングルを通して、マインドフルネスを実践しながら、前に進みます。
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