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「となりのシムラ」から学べ!

今の自分が限界だと思うのはいいが、明日は違うと思えることが前提だ。

「のりもの、どんなおと?」~メルヘン馬車とスクショのこだわり~
http://www.materialize.jp/art/internship/8950/

カヌー→馬車に選手交代
「もっと面白い音ないかな~」というフワっとした希望があったので、いろんなサイトで音をあさってみました。
「今ある20種類がすでに選りすぐりなのに、これ以上見つかる?」と半信半疑だったのですが、何事もやってみるものですね。いや、今まで諦めが早すぎただけというべきか。自分的にはイイなと思える「馬車」の音を見つけました。

自分を信じて一番のものを作り出した、その自信とプライドは大事だが、だからこそ、明日、将来はさらに自分は良いものを生み出せる、という信念が大事だと常々思う。

過去にやったからもうそれを振り返らない、過去に満足した、だからやっても無駄、という人はかなり多いと思う。歳を追えば追うほど、そうなっていくと思う。

以前に書いたが、アプリ会社に営業を経由して改善要望を申し上げたいと願ったら、「運営が気を悪くするからやめてくれ」と言われた件も同じで、自分たちが作ったものを誇るのはいいが、だからこそ、フィードバックからさらに高みを目指す誇りを持ってもらいたい。

何故、諦めてしまうのだろうか。

単純に、それは怠惰でしかないと思う。

年末にもやっていた「となりのシムラ」、初回から観ているが、改めてすごいと思った。志村けんは今も深夜で昔と変わらないベタなコントをやっていて、それだけを見ると完全に進化を諦めて、過去の良かった時代のコントを忘れたくなくてそれに縋っているように思えるのだが、毎年やっている舞台や「となりのシムラ」を見れば、そうではないことが分かる。

「となりのシムラ」は日常で誰もが思う違和感・矛盾を得意のベタなコントで表現しつつ、それは大げさなことではなくて本当に日常に垣間見る風景で、それも含んだ人情的なコントドラマになっている。

志村けんがいつからこれを目指していたか分からないが、ベタに縋っていた過去の栄光に縋っていたのではなくて、そのベタを日常に返して人々の心をくすぐる感動させるところまでコントを昇華させたのは、本当にすごいことだと思う。真剣に毎回、鳥肌が立つ。

「松本人志のコント(MHK)」と比較されて、松本人志が酷評されているが、それは分かる気がする。松本人志のコント(映画も)は芸術性を問う側面が強いと思う。自分としてはそれも嫌いではなくて、松本人志がどこまでコントを進化させるかも観てみたいが、今の時点では、志村けんが目指していたものがすごすぎて、松本人志が霞んでしまう。

明日の自分は更に進化できる、という思いを無くしたら、それで終わりだと思う。志村けんがこうなるとは、十年前、二十年前には思わなかった。いつか、自分にできると思えるかどうか、思い続けられるかどうか、簡単なようで、すごく難しい。

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