アセクシュアルという概念との出会い
私がアセクシュアルという言葉を知ったのは、20歳の時だった。
その頃の私は、かなり楽しい生活を送りながら、でもどこか空虚さを覚えていた。
その空虚さは、「恋人がいないからである」と友達は言っていたし、私もそう思い込んでいた。
なんとなく自分はストレートだと思っていたけれど、ゲイ・レズビアンあるいはバイセクシュアルなのではないかと思い始めたのはその頃だった。
だが、同性を対象に広げたところで、「そういう意味」で好きになれる人は見つからなかった。家族として好き、友達として好き、つまり人として好き以外の感情を覚えることはなかった。
好きだなと思っている人(男女を問わず)から、性的な関心を向けられると、気持ち悪いと思った。裏切られた気がした。
ある時、友人がトランスジェンダーだと知った。トランスジェンダーということについて知ってはいたし、自分がそうなのではないかと思っていた時もあったけれど、実際に生まれた時とは別の性として生きている人に出会うのは始めてだった。
貪るように情報を集めた。
あふれる情報のなかで、性というのは、男と女とはっきり分かれるものではないという結論に至った。色で例えるならばグレー。限りなく白に近いグレーもあるし、限りなく黒に近いグレーもある。その濃さは十人十色。白か黒かなんてはっきり分かれるものではないのだと思った。
グレーをテーマカラーに据える、アセクシュアルというセクシュアリティに出会ったのもこの頃だった。アセクシュアルの人びとの体験談を読むたびに、心がときほぐれていく気がした。「自分の空虚さに名前がつく」と安心した。自分の空虚さをアセクシュアルという概念と結びつけることで、どのようにこの世界と対峙すれば良いのか初めて分かった気がした。
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