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【障害受容】100記事が導いた「私の“解”」

 自分がnoteを始めた理由は、発達障害の当事者として感じることを文章にしたい。何かを表現したいという動機がありました。
 それは、今になれば自己理解を深める旅の始まりだったと言えます。

 そして記念すべき初記事はこちらになります。約3年前に書いたものです。

 ASDの特徴を解説しながら自らの体験談を記事にしたもので、これまでの生きづらさ、困り感は「発達障害」の影響が多大にあるということをつらつらと語っています。

 あれから少しずつ記事を積み重ねながら、気がつけば100記事書いていました。発達障害というテーマで100記事も書く熱量があったことに自分が一番驚いています。

 100記事も書けば、自身の障害に十分向き合ったという達成感を感じます。
 それと同時に環境も少しずつ変化していき、発達障害による生きづらさは軽減に向かい、その中には一種の「諦観」も含まれているのが自分の特徴だと思っています。(過去に投稿した「恋愛敗者宣言」もその一例です)

 もちろん、発達障害に対する理解もかなり深まった手応えも感じています。記事を書くにあたってはさまざまな文献や論文に目を通しましたし、他の当事者の語りから自分とは異なる視点を知ることもより思考を掘り下げる契機になりました。
 それにより物事を複合的、重層的にみる必要性を強く感じましたし、一朝一夕で解決する単純な問題ではないことを痛感しました。

 自分が100記事書いた末に出てきた“解”が「自己理解」と「障害受容」です。

 自己理解に関しては、障害特性や適切な環境、思考法を知ることはもちろんのこと、自分が抱えている価値観やどのような人生を歩みたいのかを理解することが特に大切だと感じます。

 そして障害受容に関してですが、こちらは一筋縄ではいかない難しさがあると感じます。それは自分が感じたくなかったこと、見たくなかったものに向き合わざる得ない場面が出てくるからです。

 自分が困難に感じたことの一つが「セルフスティグマ」の存在に向き合うことです。
 「セルフスティグマ」を理解するために、まずは「スティグマ」について説明すると、それは社会的に個人に押し付けられたネガティブな烙印や負のレッテルのことです。精神疾患の診断名のほか、精神科病院への通院歴、生活保護や障害年金の受歴といったこともスティグマとなって差別の原因となります。 
 スティグマを内面化したものが「セルフスティグマ」です。自分自身に烙印やレッテルを貼って、自分自身の存在を恥ずかしく思い、自分で自分を貶めるような意識につながります。

 自分が障害受容の過程で感じたセルフスティグマの原因として存在する社会的価値観に「優生思想」があると感じます。優生思想を簡単に説明すると、障害者はダメだ、知的な問題や障害がある人、精神障害がある人は、言ってしまえば子どもを産むのをやめさせようという発想です。

 強固な「優生思想」を持っている人は少数派だと思いますが、マイルドな優生思想を持ち合わせている人は当たり前にいると感じます。それは普段は意識されるものではなく、ある種、呼吸をするのと同じように無意識な形で根付いていると自分は感じます。

 そしてそれは障害を抱える当事者も例外ではないでしょう。優生思想が信念レベルの価値観で存在していると「自分は社会にとっていらないんじゃないか」と優生思想の影響を強く受け、著しくQOLを低下させる弊害が懸念されます。

 自身が社会に流通する障害者を否定する優生思想を内面化しているとき、当事者自身が自分を否定する、あるいは劣ったものとして取り込むでしょう。これがまた自身を否定する価値観を自ら強化し、否定的なアイデンティティに縛られ続けます。

 だからこそ自身に存在する「優生思想」に気付き、それをいかにやわらげられるか、価値観を変容できるかが、障害があっても「生きやすい」かに大いに作用すると言えます。

 自分が健常者と認識していた頃は、無意識にマイルドに「優生思想」を自身の価値観に取り込んでいました。これは障害者として生きることにならなければ気がつかなかった視点です。

 ここまでの内容をまとめると、100記事の積み重ねによって導かれた“解”が「自己理解」と「障害受容」でした。
 それは自分の内面を整理しながら特性や価値観を知り、さらに向き合いたくなかったことに対峙し、何らかの“解”を見出すという作業であったというものでした。

 今後も発達障害に関しての記事を更新し続けるつもりです。さらに記事を積み重ねていった先に、また新たな“解”を導き出すかもしれませんし、考え方や価値観に変化があるかもしれません。
 自分としてもまだ道半ばという感覚なので、ご興味あれば今後も記事を通して見守ってくだされば幸いです。
 ここまでお読みいただきありがとうございます。


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