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【発達障害】空っぽな自分を埋めるには、思いを書くことが鍵。

 過去記事でも触れましたが「自分の人生が他人事に感じていた」や、人から「軸がなく風見鶏のような人」などと言われたりと、自分は自身の空虚さを常々感じていました。

 当時はこれらのことを他人から言われると、言いようがない違和感と不快感を感じました。

 しかし、自身の発達障害を知り、疾病理解や当事者研究を進めるうちに、これまで感じていた疑問に対して一定の納得がいく解を得られたと感じます。 

 加藤先生の論文に記載されていた「自己像認知、自分が何者かという認知が、一番深いところで決定的に欠けているよう」という一節に、やっぱりそうだったかという納得感を感じました。
 また、別な医師の解説動画では「経験する自己の欠如」といった、自分が何を感じているか分からず、自分の気持ちに鈍感で、主体がない感じということも示唆されており、「ふわふわしていて、自分が無いような漠然とした虚無感」に対する疑問の解としても納得がいくところです。

 自分の経験則になりますが、この「自分が無いような虚無感」は書くことを通して思考を明確にすることで、少しずつ埋まってくるような感触があります。

 書くとは、自分の漠然とした考えに形を与えて、他人にもわかるようにする行為なのだ。したがって、書くことによって考えに筋道が生まれる。頭の中にある連続的な思考を整理し、分析的にとらえなおし、思考の塊を言葉に改め、それを文にして論理的に繋げて、一つのまとまりのある文章にしていく。それはまさに自分の思考を外からも見えるものにしていく作業なのだ。書くことによって、もやもやしていたものが明確に意識化される。特に自分がどこに疑問を感じていたのかがわかる。

 上記は『「頭がいい」の正体は読解力』の引用です。自分の思いを文章にし、それを読み返すことで思考の客観視を促し、その作業を通じて整理されていない思考から、輪郭を伴った一つのまとまりのある思考として徐々に移行していく実感があります。これらを繰り返すことで、自分が何を感じ、どう考えているかの輪郭が少しずつ明確になり、それが自己像認知を促していくと感じます。

 発達障害者は自己像認知が弱いと言われており、当事者の間でも「自分がない」という思いを抱える方を一定数見かけます。もし、この「自分がない感覚」に対して不快感や違和感を感じるなら、興味関心のあることなどを経験しながら、それらを文章にして振り返っても良いかもしれません。

 このnoteというプラットフォームは、そういう作業にうってつけだと思います。

※参考文献



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