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発達障害と生きづらさ: ジュンイチさんのケースから見るASDの現実。

 今回は、発達障害の生きづらさを凝縮した記事を久々に読んだので、こちらをご紹介しつつ、自分の意見を述べていこうと思います。

 まずは、記事の要約を以下にします。

◾️「発達障害同士の会話に驚愕」 高校卒業後、5回以上転職を繰り返す30歳男性の言い分 要約

・ジュンイチさんの背景と現状
 30歳のジュンイチさんは発達障害を抱え、地元の高校を卒業後、正社員として自動車関連の精密機器メーカーに就職した。しかし、上司や先輩からのパワハラに遭い、5年ほどで退職。その後は派遣やパート、障害者雇用で働いたが、いずれも長続きせず、既に5回以上転職を繰り返している。

・職場での苦労と転職の理由

 ジュンイチさんが働いた職場では、たびたび上司や同僚からのパワハラや差別に直面した。例えば、有給休暇の取得を阻む発言や、紙を投げつけられる、行動を監視されるなどの脅迫的な行為があった。派遣で働いた大手自動車メーカー系列の研究施設では、「覚えが遅い」として契約期間中に解雇され、障害者雇用で働いた公務職場でも「仕事を減らされる」ことが続き、自ら退職した。

・障害者に対する社会の冷酷さ

 ジュンイチさんと彼の発達障害を持つ友人たちは、しばしばネット上の障害者に対する憎悪や差別的な言葉に傷つき、安楽死を望む声が上がる。ジュンイチさんは、友人たちがSNSや掲示板で見かける差別的な書き込みに影響されると述べている。例えば、「医者から障害は遺伝すると言われたので、私は結婚もしないし、子どももつくらない」や、「障害者は国益のために消えたほうがいい」という過激な意見に共感する場面もうかがえる。

・発達障害に対する社会の理解不足と支援の欠如

 発達障害については遺伝的な要因があるとされるが、まだ研究途上であり、また日本では安楽死についての議論が進んでいない。ジュンイチさんは、彼らがなぜ安楽死を望むまで追い込まれるのか、まずは社会のあり方を考えるべきだと感じている。しかし、現実的には職場や社会での支援が不足しており、発達障害を持つ人々は孤立しがちである。

・家庭内の対立と将来の展望

 ジュンイチさんは、正規雇用を望む両親との価値観の違いから家庭内でも摩擦がある。両親は「嫌な仕事でもこなすことが重要」という考えを持っており、ジュンイチさんがフリーランスとして好きな仕事をしたいという希望に対して批判的である。両親からは、正規雇用を探すように促される一方で、フリーランスを続けるなら家を出るように迫られている。ジュンイチさんが「生活保護は惨めじゃないですか」と拒絶したところ、記者が「生活保護の利用は国民の権利」と重ねると、「生活保護になるくらいなら、野垂れ死んだほうがいい」と強く拒絶した。

・自身が与える「被害」への無自覚
 ジュンイチさんや他の発達障害者は、自分が受けた「被害」については詳しく語るが、周囲に与えた「被害」については説明しないことが多い。ジュンイチさんも、自分のミスや失敗について具体的には語らず、「職場の側に問題が多かった」と述べるにとどまった。

・障害者排除の社会とその影響
 ジュンイチさんが以前働いていた職場では、2016年に神奈川県相模原市で起きた知的障害者施設「津久井やまゆり園」での事件が話題になった際、同僚が「障害者に金を使うのは無駄」と発言した。ジュンイチさんが「もし僕が障害者だったら?」と尋ねると、「排除する」と返答された。このような障害者に対する憎悪が現実社会でも見られることに、ジュンイチさんは絶望を感じている。

・まとめ
 ジュンイチさんとその友人たちは、社会からの差別や支援の欠如により、生きづらさを感じ、厭世的な考えに至ることが多い。発達障害を持つ人々が安楽死を望むまで追い詰められる社会状況を改善するためには、まずは社会全体の理解と支援が必要である。ジュンイチさんの経験を通じて、発達障害を持つ人々が直面する現実の過酷さを知り、より良い社会のあり方を考えることが求められている。

「発達障害同士の会話に驚愕」 高校卒業後、5回以上転職を繰り返す30歳男性の言い分 要約

 
 この記事を読んで、自分は発達障害、特にASD(自閉スペクトラム症)の生きづらさが凝縮されていると感じました。

 理解を得られないという点は、以前、合理的配慮について記事にしたので今回は割愛しますが、自分が思う特徴的な点を述べます。

 まずは「メタ認知の弱さ」です。自己の客観視がASDの人は特に苦手と言われています。
 今回の記事からは、「家庭内の対立と将来の展望」と「自身が与える被害への無自覚」という項目から、それが読み取れます。
 自分も「メタ認知の弱さ」に関しては現在も弱みとして感じています。自分の言動が周囲にどう影響を与えて周りを不快にさせているかという状況判断を誤ることが多いです。
 また、自分という存在を時間軸で俯瞰して、過去、現在、未来と自分の価値観や展望に照らし合わせて、連続体として見ることも苦手です。一般の健康的な人は、自分と周囲を俯瞰して見ながら、自分という存在を時間の連続体として捉え、適宜軌道修正できる人が多い印象です。
 以前、「発達障害と地獄めぐり」という記事を書きましたが、発達障害の人は不器用な人が多く、多くの失敗や否定的体験を健常者よりも重ねやすいです。それゆえ摩耗し、疲弊しやすく厭世的になることがあります。

 もう一点は、メリットが得られないこだわりの強さです。この記事の方は「生活保護になるくらいなら、野垂れ死んだほうがいい」と生活保護を強く拒絶しています。おそらく自尊心への執着が強いのでしょう。
 その背景には、仕事で思うような成功を求め、中流階級以上の暮らしを望み、自分の好みの異性と愛情を紡ぎ、子どもを残したいという理想があるかもしれません。
 しかし、生活保護を受けることは、自分の自尊心が打ち砕かれ、理想を諦めなければならないという状況に対する強い拒絶があるのだと思います。

 もし、上記のような状況なら、自分の場合はまず現状を受け入れ、自分の願望を一旦諦めます。そこから精神科を受診し主治医と相談し、デイケアに通う、就労移行支援施設に通うなど、社会資源を紹介してもらい、場合によっては生活保護も受給します。

 まずは就労よりも自分の健康と安心できる環境を整え、適切な社会資源に繋がり、安心して相談ができる環境に身を置くことが現実的ではないかと考えました。

 この中で一番難しいのは「諦める」という過程でしょう。自分がASD当事者として難しかったのはこの「諦める」という過程でした。具体的に何を諦めたかというと、「恋愛」「社会的成功」「同級生と同じように」です。

 ただ、諦めて絶望したかといえばそうではなく、別になくても楽しく生きられるという気づきでした。
 すべてができないというわけではなく、少しは自分にできることがあるはずです。その強みに焦点を当てつつ、この記事に登場するジュンイチさんにも希望の光が見えればいいなと思いました。

 今回は、久々に発達障害の生きづらさをテーマに記事を書いてみました。最後までお読みいただきありがとうございます。 

【参考資料】


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