第22話 狼血
その日の夜。私は焔の家の居間でぐったりソファに横たわり、天井を眺めていた。あの後、私はSPTの一室に連れていかれ、焔からSPTの歴史や組織構造、法規、機密情報の取扱い、そして、敵であるミレニアについての説明を受けた。とはいえ、まだ1日目だからザッとした流れだけど…。
考えてみたら、自分の身の振り方に必死で、私を狙っているミレニアについて考える余裕がまるでなかった。
今日知った情報によると、ミレニアが暗躍し始めたのは十年前のこと。ミレニアは終末思想―つまり、現在の世界を破壊した後に新たな秩序や楽園を作ることを目的として、活動しているらしい。
そして、そんなミレニアの最重要案件が、幸村藍子、私のおばあちゃんが見つけたという強力な磁場エネルギーがある場所を見つけ、手に入れること。だが、ミレニアの活動はそれだけではない。宗教団体であるミレニアは学校や商店街、企業などと積極的に関わり、着々と信者を増やしているという。
そんなミレニアの信者は多岐にわたり、今では警察内部や政府関係者の中にもいるといわれている。さらに、ミレニアの勢力がどれほど強大かを示す事件が、昨年神奈川県内の中央刑務所で起きていた。ミレニアは、刑務所を襲撃し、収監されていた全員を拉致したという。そして、そのうちのひとりが、私を襲撃したあの小男だというのだ。
「あいつは、元々十年以上空き巣を繰り返していた男だ。本名は塚田亮だったか」
私は、ソファに横たわりながら、さっきSPTで焔に言われた言葉を思い出していた。小男の襲撃は本当にビックリした。突然だったこともそうだけど、動きが常人離れしていたから。
「でもあの人、どうしてあんなに常人離れしてるんでしょうか?凄く足も速くてビックリしました」
私は焔に尋ねた。
「…人狼族の血が与えられているからな」
人狼族と聞いて、ギクッとした。焔の寝室で読んだ、あの人狼族。そして、丹後はかつて言っていた。焔が人狼族の末裔だと。その血が拉致された人たちに与えられている?
「この世界に唯一残る、呪われた血だ。人狼族は覚醒して人狼化するとあんな風に常人離れしたことができるようになる」
私は息を呑んだ。そうだ、あの本にも書いてあった。「人狼化した人狼族は、常人を遥かに凌駕する力と俊敏性を手に入れる」と。焔は人狼族なのだろうか。私は意を決して口を開く。
「あの、焔さんは…」
焔の眉がピクリと動く。聞けない、やっぱり。この話は禁句なような気がした。瞬間的にそう思った私は話を変える。
「その…。人狼族の人たちは、今はどこに?」
「村があったが、今はもうない。残った人狼族はごくわずかだ」
「そうなんですか」
その言葉はまるで他人事のように感じられた。どう話を続ければ良いかわからなくなり、私は目を泳がせてしまう。
「…この世に、あってはならないんだ」
「え?」
「人狼族などという穢れた血を持つ民族はな」
焔の言葉はいつも通り冷静だった。だが、冷静さの裏に深い悲しみのようなものが感じられた。あってはならないなんて、どうして…。
「塚田たちにも、穢れた人狼族の血が入っている。野放しにはできない」
「…じゃあ、その人たちも捕まえないといけないんですね」
「そうだな。捕えて一生逃げ出すことがないよう、鎖でつながねばならない」
私は驚いて言葉に詰まる。一生?
「…あの、捕まえれば更生させられるんじゃ…」
「それは無理だ。奴らはミレニアに洗脳されている」
「洗脳?」
「ミレニアの常套手段だ。拉致した人間に人狼族の血を与え、自我を崩壊し、都合のいい戦闘マシンにしている。そうなった以上、もう救いようがない。そんな連中を野放しにすれば、必ず新たな争いを生むことになる」
「じゃあ、どうすれば…」
私は複雑な気持ちだった。いきなり拉致して洗脳して、人を襲わせるなんて。そんなのあんまりだ。だが、そんな私の心を見透かしたように、焔の目つきは一段と厳しくなる。焔はフーッと息を吐いた後、こう続けた。
「君は、SPTを正義の味方のように思っているのかもしれないな。だが、我々の使命は、ミレニアを壊滅させ、世界の脅威である磁場エネルギーを永久に葬り去ることだ。洗脳された人間を更生させることじゃない。厳しいことを言うが、今後塚田のような洗脳された人間に会っても、決して同情するな。奴らは君を狙っている。隙を見せれば君は拉致されるか、あるいは―」
そこまで言って、焔はハッとした表情をする。私は完全に委縮していた。いきなり現実を突きつけられたような気がして、途端に怖くなった。私たちはしばらく目を合わせていたが、沈黙に耐えられず私は俯いてしまった。
「凪」
呼びかけられて、私は恐る恐る焔を見る。
「前にも言ったが、君にとって最も安全なのは私のそばだ。これから何があろうと、君が気に病むことはない。君はただ、自分が知りたいことを真っすぐ追いかければいい」
そう言うと、焔は立ち上がった。
「今日はここまでにしようか」
部屋の隅を見ると、棚の上でヤトがスヤスヤと眠っている。
「帰るぞ。起きろ、ヤト」
焔はヤトを起こそうとするが、ヤトはなかなか起き上がろうとしない。
「あと五分…」
ヤトがむにゃむにゃと言う。だが、焔はそんなヤトをペチペチと軽く叩く。
「甘えるな。起きないなら、晩ご飯抜きだぞ」
晩ご飯抜きが相当嫌なのか、ヤトはむっくりと起きる。が、ボーッとした様子だ。そんなヤトを見て焔はクスっと笑う。
「しょうがないヤツだ」
そう言って、焔はヤトを優しく抱きかかえた。そんな姿を見て、私は胸が締め付けられる思いだった。どうしてこの人は、自分の血を、人狼族の血を「あってはならない」なんていうんだろう。焔の過去に、一体何があったのだろうか?