見出し画像

ビールとコロナと墓参り

「そういえば、そろそろ盆の時期だけど、たまには墓掃除とかしてやってな。去年俺一人でやっておいたけど」
滅多に連絡を寄越さない兄からのLINEを受け取ったのは、コロナと長引く梅雨の影響で全くと言っていいほど外出する機会のなくなった7月の初めだった。
埼玉にある、かつて私たち家族が住んでいた地方のお彼岸は新盆といって7月の15日を中心に行われている。

去年俺一人でやっておいたけど————。

俺の代わりに頼めるか、とでも言えば良いものを、「お前は知らないだろうけど、いつもは俺はやってやってるんだ」と恩着せがましいことを匂わせてくる兄に、微かに苛立ちを覚えるも、言われてみれば何年も墓参りなんて行ってなかったと、気持ちが罪悪感の方へと移っていく。
兄は今転勤で沖縄にいる。
去年の夏はたまたま本社のヘルプで東京に戻ってきていた。あまり長くこっちにいない兄は、多くない機会に一人先祖の墓参りに行ったのだろう。

『わかった』
釈然としない思いを飲み込んで、けれどそれとなく不服の気持ちを忍ばせるように出来るだけ淡白に返した。

私たち家族はあまり頻繁に連絡を取り合ったりしない。特に大人になってからは極力お互いに依存したり干渉したりしないで生きてきた。
冷めてる、とかドライというのともどこか違う。
5年前に父方の叔父が亡くなった時、父は目に涙を浮かべて弔問客に挨拶をしていた。
父は実の兄と特別親しくしていたようには見えなかったので少し意外な気もしたけど、それが私たち一族らしいとも思った。
必要とあれば駆けつけ、どんなことにでも力になってくれるだろう。
自分から手を差し伸べることはなくとも、手を貸して欲しいと言えば必ず助けてくれる。その自信があるから私たちは簡単に手を貸してくれとは言わないのだ。
私はそれぞれが独立し、互いに深く立ち入らないけれど、根っこの部分で繋がっている。そんな関係がとても気に入っていた。

「うちは基本放任だから」
あるとき父はぽろっとそう言った。
確かにウチは勉強の事についてこそ口煩く言われたが、それ以外で何か説教めいたことを言われたことはあまりなかったように思う。
けれど、その理由の一つに「面倒だから」というのも含まれていたようにと思う。
分かるのだ。
なぜならまさに私自信がそうだからだ。
変に身内で深く干渉するのは疲れるし面倒だ。お互いが独立していればそれでいい。
信じているから、と言えば聞こえはいいけど、実際ある種の信頼があるから放っておけるのだと、それがお互い居心地が良いのだと、家族皆がそう思ってると私は確信している。
だからこそ「墓掃除をしてやれ」などと突然言い出す兄に違和感を覚えたし、正直面倒だなとも思った。
とは言え、叔父の三回忌からもう3年も墓参りなどしていなかったので、流石に嫌とも言えず渋々了解したのだ。
それでも、仕事がひと段落ついてからとか、コロナの最中あまり電車で遠出もどうなのか、などと都合の良い言い訳で先延ばしにしていて、結局重い腰を上げたのは8月に入ってからだった。

画像2

朝起きてテレビをつけると、前日の長崎の原爆慰霊祭の様子が流れている。
長崎市長が神妙な表情で核兵器の廃絶を訴えていた。続いてコロナ関連のニュース。毎日1000人単位で増え続けている感染者。
続け様に流れる深刻なニュースに、何も反応しなくなっている自分に気付いた。
少し前まではスマホの速報通知に日々の感染者数が流れるたびに一喜一憂し、政府の杜撰な対応に苛立ちを覚え、Twitterで皮肉いっぱいに批判ツイートなどをしていたが、日々繰り返されるなんの進展もない報道に辟易し、やがて関心がなくなっていった。

今、世の中はコロナ禍のストレスに支配されている。
私のようにストレスに疲れ、ただ精神を蝕まれるだけの人間もいれば、ありのまま発散させる人もいる。
世界中でコロナを発端としたデモや暴動が起こり、ネットではコロナの対応で政府も企業もタレントも、あらゆる批判の対象となっていた。
マスクをするしないで諍いが起き、自粛を無視して帰省をすれば地元で執拗な嫌がらせの憂き目を見ることになる。
誰しもが常に何かに怒り、熱を帯びて濁った感情を吐き出し続けている。
テレビもSNSも自分から積極的に見にいってるはずなのに、見ると暗然とした気持ちになり気がつけば嘆息しているのだ。

テレビを消すと、昨日のうちに準備していた線香とロウソク、仏花、軍手がバックの中にあるのを何度も確認すると、
ああ面倒くさい、と言いそうになるのを、
「それじゃあ行きますか」と独り言で上書きして立ち上がる。
出る前に寝室を覗くと妻はまだ寝ていた。
妻の横には生後2ヶ月になる娘が小さく寝息を立てていた。
————行ってきます。
心の中で言って家を出た。

画像3

外は午前中にもかかわらず、すでに30度を超えていた。
冷夏といわれた7月が嘘みたいだ。
刺すような日差しがコロナ禍でなまった体に容赦なく降り注ぐ。世界の彩度が高すぎて色が飛んでしまっているように見えた。
家から電車とバスを乗り継いで1時間くらいのところに私たちがお墓を納めているお寺がある。
それも兄から教えてもらった。
祖父母や叔父の法事で何度も来てるはずなのにお寺の名前すら思い出せなかった。
私は何も知らないのだ、と改めて思った。
干渉をよしとしない私たちはあまりお互いのことを話さない。だから知らないことが多い。

5年前に亡くなった叔父が叔母と双子だったと知ったのは叔父の死後、つまりつい最近の事だった。
親族の誰それの話はタブー、みたいな事もその「誰それ」の話をペラペラと親族の前で話して顰蹙を買い、後日父親から嗜められ、その元兇たる人物による狼藉の数々を聞かされる事になった。
両親は私たち兄弟には話す必要がない、または知らない方がいいと思ったのか。
いや、兄は知っていたかもしれない。
何事にも如才ない兄は言わずともその辺の事情を察知している節がある。
そしてまた兄はその事を私には話さない。
何も知らないのは私だけかもしれない。
一児の父となった今も私は子供のままだ。

画像4

お寺についたときにはもう太陽が真上に来ていた。バスを降りて間もないのにすでに汗が首筋を伝っている。日光が痛い。天気予報では今日は猛暑日になるとの事だった。
本堂を避け、そのまま離れの自宅らしき建物の脇を通っていくと、その先に墓地がある。
墓地に入るすぐ手前に木々に囲まれた空き地のようなスペースがあり、そこに小さな水場や、手桶や柄杓などがかけられた棚がある。
手桶を持つなり、
————さてどうしたものか。
と今日何度目かのため息をつく。
作法が分からない。いい歳して一人で墓参りなんて来たことがなかった。
用意した仏花も線香も、前日にネットで調べてコンビニで調達したものだ。
昨日からずっと私はなんだか恥ずかしくて、そして苛立たしかった。
分かったような口を聞く兄にも、そういう事を一切話さない、教えない両親にも、それらに何の疑問も抱かず今日まで来てしまった事も。
たかだかお盆の墓参りに、手桶を持ってぎこちなく右往左往する自分がつくづく惨めで情けなかった。
手桶に水が溜まるのを待っていると、足元の陽だまりにセミの抜け殻がふたつ落ちているのが目に留まった。
ふと気付くとあたりは蝉時雨で覆われていた。

画像3

真夏の炎天下。35度近い気温の真っ只中にいる。さっさと終わらせないとぶっ倒れそうだ。
急いで水を汲んで墓前に向かう。
3年ぶりに一族の墓と対面して唖然とした。
ひどい有様だった。さして広くもない墓の四方に所狭しと雑草が生い茂り、その隙間は落ち葉で覆われていた。墓石は彫った名前がかろうじて読めるくらいまでに汚れて茶色く変色してる。花受けには黒く濁った泥水が覗いている。
左右にある誰かの墓と比べてみても圧倒的に汚い。
兄は去年本当に掃除したのか?
たった一年でこんなに荒れ放題荒れるものだろうか。
今からこれ全部自分一人で掃除するかと思うと気が遠くなる。
考えてる間にも全身から滝のように汗がふきでてくる。

去年俺一人でやっておいたけど————。
なるほど、それは嫌味の一言も言いたくなる。
すまなかったな、兄貴。

この炎天下だと長く活動できない。
私はまず、大量の落ち葉を手で広い、ビニール袋に詰め込む。それから軍手をして雑草をむしり取った。時折綺麗な花の咲いた草が生えていてこれが雑草なのか植えたものなのか分からず悩み、結局放置した。
たったそれだけのことで着ていたタンクトップが汗でびっしょりになった。
上のシャツまで慣れると困るのでシャツを脱ぎ不敬と思いつつも隣の墓を囲う石で出来た柵の上にかけた。
花受けをブラシで洗い、水を入れ替える。
さて、本丸だ。
まず中央の墓石に水をかけタワシで擦る。
墓石は思った以上に大きく背が高かった。
正面の墓石の他に、ひとまわり小さい石がある。これも墓石なのだろうか。
こちらも上から水をかけてタワシで擦ろうと思ったら、花受けのところにかりんとうみたいな黒い物体がふたつ重なるように佇んでいた。
猫を2匹飼っている私は、一目でそれが野良猫の落とし物だと分かった。
先祖の墓に————。
暑くてやけになっていた私はそれを手で摘んでちりとりに放り投げた。
猫の糞はカサカサに乾燥して硬くなっていた。
それから正面左側にある厚さ15センチくらいの石板(墓誌というらしい)を同じように磨いていると、見覚えのある漢字が彫られているのに気がついた。
5年前まで生きていた叔父の名前。
そうだ。このお墓には私の知る限り叔父と祖父母が眠っている。墓誌にはさらにいくつかの名前が刻まれていた。
当然だ、ここには私の祖先の名が刻まれている。いずれ両親も、いや私もここに入るのだろうか。そう思うと急にこのお墓がとても尊く感じられた。
先祖を顧みず何年も放置してきた私はここに入る資格があるのだろうか。
羞恥と後悔で胸がいっぱいになる。
これは本来一人でやるものなのだろうか。
やっぱり家族で来るべきだったのではないか。
怠惰な私たちは改めて家族の事を少し見直す必要があるように思う。

一通り掃除し終わり、ようやくお参りだ。
億劫だった来る前とは全く違う気持ちでいる。

花受けに買ってきた仏花を刺す。
ハサミを持ってきていなかったのでそのまま入れると、茎が長くはみ出して不格好に傾いている。
駅で買ったビールを正面の水鉢のところに置き、左右に蝋燭を立てる。
蝋燭に火を灯し、それを線香に渡すと、あたりに懐かしい匂いが充満する。
今はタワーマンションになっている場所にあった祖母の家は、いつもこの匂いがしていた。
畳と縁側、天井の染み、階段の軋む音。
祖母に最後に会ったのはいつだっただろう。
早く死にたいと言っていた病院の祖母とは違い、この匂いのする家にいた祖母はいつも穏やかに笑っていた。
夏休みになるとそんな祖母のもとにみんなが集まった。
叔父や叔母、従兄弟も、もちろん私たち一家も。
コロナ禍で年をとった両親と会うことも控えている今、あのとき気が遠くなるほど退屈だった時間が愛おしく感じられる。

香炉に線香を入れ、一歩下がって手を合わせた。
目を瞑るとセミの声がより一層高く大きく耳を刺激する。

ご無沙汰しています。
ずっと待たせてごめんなさい。
5月に長女が生まれました。
いつかここにも連れてきます。
私たちは今、とても幸せです。

この夏を覆っていた殺伐とした空気への感情が、今静かにほどけていく。濁った心の膿みが身体中の汗とともに流れ出す。コロナ禍のストレスも、わだかまった家族への感情も、本当はひどく個人的な問題だったのではないかと思えた。
生まれたばかりの娘の成長の速さに日々驚かされていたが、大人もまた成長するのだ。
最後に一礼してお寺を後にする。
天を仰ぐと、祖母のもとに大勢が集まったあの夏休みの時と同じ、吸い込まれるような群青色の空がどこまでも続いていた。

画像5

「ただいま〜」
「おかえりなさい、叔母さんがウナギ買ってきてくれたよ!」
産後の妻を気遣ってちょくちょく様子を見に来てくれる叔母がキッチンで夕飯を用意をしてくれていた。
上機嫌の妻の声に、疲れきっていた私もテンションが上がる。
これはきっとご褒美だ。ご先祖様からの。

高級百貨店の通販で買ったという鰻はどんぶりからはみ出るくらい大きく分厚い。
湯煎しただけなのに香ばしい匂いが鼻を刺激する。
どう考えてもこの鰻にはビールしかない。
急いで冷蔵庫からビールを取り出し、栓を開ける。
プシュッと華やかな音を鳴らすと、中から小さなしぶきと同時に真っ白な泡が吹き出してくる。
いつもなら缶のまま飲むビールを今日はビアグラスに注いだ。
琥珀色の液体の底からキラキラと輝く細かい粒が絡みあい弾けながら上昇し、やがて散っていく。
出産、原爆の慰霊祭、コロナ、蝉時雨、猫のフン、墓前の祈り。
この夏の全てが泡沫となって消えていく————。
グラスを持ち上げて3人で乾杯した。
「乾杯!」
私たちの先祖に————。
心の中でそう付け加えて一気に飲み干した。
ビールの冷気と炭酸の刺激が火照った体に染み渡る。
心地良く疲れ、弛緩した上半身がテーブルに沈んでいく。
自重にまかせてまぶたを閉じようとすると、視界の端にバウンサーで眠る娘が映る。
その無垢な寝顔にわずかに笑みがこぼれたような気がした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?