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私になるまで

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#ハローベスト

私になるまで36

私になるまで36

大阪市内の交通量と道路が迷路のように見える。電車ではよく行っていた大阪市内も車で行くと、田舎者にとっては大変な思い…それでもなんとか病院にたどり着く。天王寺駅からまっすぐ歩けば簡単だったが、首の痛みを考え、慣れない大都会の車両を走ってくれる父には感謝しかない。

病院の受付を済ませ、整形外科の診察室の前で待つ。首の痛みは相変わらず気休めに湿布を貼っていた。ここはかなり患者数が多くてかなり待たされた

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私になるまで37

私になるまで37

手術までの1ヶ月。塗り絵に没頭した。何にも考えずにたくさんの色鉛筆を使い、ひたすら塗る。何かに集中してないと、「未知なる世界」が頭をよぎって不安になる。

そうしてるうちに手術へのカウントダウンが始まって、とうとう入院する三日前を迎えた。下の子は、中3で、まだ春休みだったので入院の3日前に京都の娘の部屋へ家族で大移動。狭い部屋に五人で

雑魚寝し、次の日には、京都市内に初めて出来たポケモンセンター

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私になるまで38

私になるまで38

翌朝、手術着に着替えさせられ、時期が来るのを待つ。その間に先生が来て前の筋肉を引っ張って「これ気になるなぁ。これも切っていい?」と聞く。

それでなくてもドキドキしている心臓が飛び出そうになって、「えっ!」と私。少し先生苦笑いしながら「切った方がいいと思ったら切るから。手術室で待ってるな。」と言い残し出ていく。ここまで来たら肝を据えるしかない。

手術開始は8時。来るはずの両親がまだ来ない中、時間

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私になるまで39

私になるまで39

ツツジが咲く4月中旬、先生のいる病院に転院した。頭には重さ約1.5キロの鉄の重り。それを支える2本の支柱が身体を覆う鎧のようななものに続く。手術から、2週間ほど経つと、随分身体が慣れてきていた。がっしり固定された頭のおかげで首を勝手には動かせないと自分の脳が把握したらしい。手足はちゃんと動くし、心配していた食べ物の飲み込みもスムーズだった転院してすぐに案内されたのは整形外科の急性期病棟だった。しば

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私になるまで40

私になるまで40

ゴールデンウィーク間近に控えた朝。大荷物をまとめ、リハビリ室の上にある回復期病棟に移る。看護師に「お世話になりました。」と丁寧に挨拶して、さぁいざ出発。長い廊下を通り自動ドアをくぐる。まだ新しい建物らしい。今までと違う景色が広がる。そこは通称「西病棟」と言われていた。西病棟は4階建て1番下はリハビリ室その上の2階からは病室と大きなデイルーム。

私の病室は、西1と呼ばれる、リハビリ室の真上だった。

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私になるまで41

私になるまで41

キツいリハビリは、その病院の方針で土日祝日関係なく行われる。流石に先生は交代で休むが代行の先生は当たり外れがあった。私の担当の先生を私は「鬼コーチ」と「スマイルデビル」と密かに呼んでいた。「鬼コーチ」はPTの先生。ちゃんとしたら優しい笑顔だったが、疲れて休むとドスの効いた低い声で「もう出来んのか!」と怒る。一方、「スマイルデビル」はOTの先生。笑顔で何でもやらせる。

リハビリの中で楽しみはOTの

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私になるまで42

私になるまで42

CTの結果、骨はどうやら首の1部になったらしい。ハローベストがようやく取れる。先生が病室に来て「ハローベスト取るの2週間後でええか?」と聞かれ、私は「はよ取って〜!」と即答する。

「わかった。今からとる!」と先生。「えっ!」と思ったが、セルシンを注射され、ぼーっとしている数分後には、ハローベストから解放されていた。即座に首をハードカラーで固定する。「絶対横向かないように!」と言い残し出ていく。

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私になるまで48

私になるまで48

また大荷物を車に積んで、病院へ向かった。娘に私の部屋を貸切にしていいのを条件にインコの世話をお願いした。後ろ髪を引かれる思いで家を後にする。

手術まで一週間あったが、その前に前の筋肉の筋をもう一本切る事になっていた急性期病棟に到着。すっかり顔見知りだった私は「ちかちゃんお帰り。」と言われる始末。

親は病院の手続きだけして帰って行った。病室に案内されると、6人部屋の奥のベッドにハローベストをつけ

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私になるまで49

翌日は、朝、手術着に着替えさせてもらい、テレビを見ながら、その時が来るのを待つ。2度目ではあるが、ほとんど前にした手術と同じことを前日、手術担当の看護師から聞いていた。しかし手足が冷えて震えている。そのうち寒くなり、上からタオルをかけてもらう。

そうして待つ間にPTの先生が様子を見に来て「怖い?」って聞く。が、笑って「大丈夫!」と答えた。両親は手術が終わるころ来るらしい

「浅野さん、そろそろ行

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