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私になるまで39

ツツジが咲く4月中旬、先生のいる病院に転院した。頭には重さ約1.5キロの鉄の重り。それを支える2本の支柱が身体を覆う鎧のようななものに続く。手術から、2週間ほど経つと、随分身体が慣れてきていた。がっしり固定された頭のおかげで首を勝手には動かせないと自分の脳が把握したらしい。手足はちゃんと動くし、心配していた食べ物の飲み込みもスムーズだった転院してすぐに案内されたのは整形外科の急性期病棟だった。しばらくここで過ごしたあと、回復期病棟に移るらしい。急性期病棟ではできるだけ安静にと先生に言われたが、じーっとベッドにしてたら、「ちょっとは車椅子に乗らないとあかん。筋肉が衰える」と先生。「オイオイ!先生が安静にというから我慢してたのに」と心の中で呟く。ここでは、1日一度30分程PTのリハビリがあった。「浅野さん、散歩いこか」って小太りの男の先生と今年入ったばかりの若い先生が来た。

とりあえず車椅子に乗る。その時は自分で乗れるようになっていた。が、もし転んだりしたら危険だと絶対ナースコール押してくださいと口うるさく言われた。

検査入院以来のリハビリ室に車椅子を押してもらいながら、ちょっとした問診、その日は、リハビリ室の平行棒の間を歩くだけで終わる。最後に退院後の希望について聞かれ「歩いてゆずライブに行きたい。」と思わず即答してしまった。うふっと笑う先生。あっと「とりあえず歩けるようになりたい。」と言い直す。

「俺もゆず聴くよ。WITHYOU

とかいいね〜」思わず笑顔がこぼれた。

母はこの時京都に住む娘の家からほぼ毎日通ってきた。「そんなに毎日来なくていいで。きても、私を起こされへんやろ?車椅子に移るって時も看護師呼ぶから。」って言ったけど、娘の部屋にはテレビないからと、毎日昼前に来て4時前に帰る。ほんとにご苦労さまな話ではあるけど、私の事が心配だったのだろう。交通費も馬鹿にならないのでめちゃくちゃ恐縮した。急性期病棟で穏やかな日が過ぎた。車椅子に、乗って母と病院の玄関に咲いているツツジを見に行く。もう春やなぁ。もうすぐこの穏やかな日が終わる。回復期病棟に行ったらしごかれるよ!とPTの先生は笑って言う。

その時は、まだその意味を理解していなかった。

今はまだ修行中の身ですが、いつの日か本にしたいという夢を持っています。まだまだ未熟な文章ですがサポートして頂けたら嬉しいです。