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私になるまで42

CTの結果、骨はどうやら首の1部になったらしい。ハローベストがようやく取れる。先生が病室に来て「ハローベスト取るの2週間後でええか?」と聞かれ、私は「はよ取って〜!」と即答する。

「わかった。今からとる!」と先生。「えっ!」と思ったが、セルシンを注射され、ぼーっとしている数分後には、ハローベストから解放されていた。即座に首をハードカラーで固定する。「絶対横向かないように!」と言い残し出ていく。

何故か病室に、鬼コーチがいて、「良かったなぁ。言うてみるもんやな。」だがしかし…この後から大変だった。

身体が、ハローベストの重みに慣れてしまっていた。翌日からのリハビリは、バランスの取れない身体との格闘となる。

頭は少しづつ毛が伸びて来ていたが、まだ野球少年みたいだった。毎朝手ぬぐいを看護師に頼んで頭を巻いてもらってた。ある時は、手ぬぐいの両端をくくったり、くるくると巻いて耳のようにしてくれた。が、鬼コーチせっかくくくってくれたのに「似合わん!」とonepieceのゾロのように後ろ結びにしてしまう。それでよく喧嘩した。話を戻そう。うちの親は、ハローベストが取れて数週間後に来て再び帰る。

リハビリメニューが、よりきつくなった。腹筋とおしり上げ、。腿上げ。自転車。足には4kgの重りをつけて汗が吹き出る。一方でスマイルデビルは着替えの練習を服を着てまた脱いで畳むという作業を時間を計ってやらせる。塗り絵の時間はいつの間にかなくなり、何故か暑い中病院の裏山を歩かされて汗だく。どちらも汗がにじむリハビリだった。

主治医の先生は「無理せんようにね」とは言ってたけど。リハビリ室に来ることはほとんどなくてどんなことやってるか、よく知らなかったと思う。

梅雨が終わり7月先生に、「退院まだですか?と聞くと、「じゃ退院しよか」」という。うちの親が

丁度来ていたので、退院する日を決めて先生は去る。だがしかし、師長さんが「リハビリの先生にも聞いてないし、先生勝手に決めるのやめてください。」の一言で退院はお流れになる。とりあえず外泊することになった。距離が遠いので、普通は1泊2日のところ、2泊3日にしてもらい。数ヶ月ぶりに帰宅する。


今はまだ修行中の身ですが、いつの日か本にしたいという夢を持っています。まだまだ未熟な文章ですがサポートして頂けたら嬉しいです。