私になるまで49

翌日は、朝、手術着に着替えさせてもらい、テレビを見ながら、その時が来るのを待つ。2度目ではあるが、ほとんど前にした手術と同じことを前日、手術担当の看護師から聞いていた。しかし手足が冷えて震えている。そのうち寒くなり、上からタオルをかけてもらう。

そうして待つ間にPTの先生が様子を見に来て「怖い?」って聞く。が、笑って「大丈夫!」と答えた。両親は手術が終わるころ来るらしい

「浅野さん、そろそろ行こか!」ベッドに寝かされ、寝たまま手術室に向かう。

ドアが開き、手術担当の看護師にバトンタッチ。「終わったら迎えに来るからな。」2度目なのに心臓が口から出そうなくらい緊張する。先生の優しい目と合う。手術台にひょいと乗せられた。もう逃げられない。麻酔医が、点滴から眠くなる薬を注入する。「浅野さん」と何度も呼ぶ声が次第に遠のいて記憶は薄れて行った。

次の瞬間、「浅野さん」とまた遠くで呼んでいる。

一瞬の出来事のようだった。が、夕方の4時をまわったくらいだった。ここは手術後3日間は2人部屋に入ることになっているらしい。その日は、私1人だった。両親は病室で待っていた。

先生が来て、「逃げずに手術受けてくれて良かった。これ逃げられたら、手足が動かなくなるとこやった。偉い偉い」って言うのを聞いて、まだ麻酔の冷めきってない頭はポーっとするだけだった。が、この後またもや手術後のものすごい痛みが出る。

今回は絶対泣かないって決めていた。一晩中担当の看護師が一人ついていた。泣きわめいたところで痛みが治まる訳では無い。目を閉じてじーっと我慢をする。血圧が低いので無闇に座薬を入れられない。目を閉じていたが、一睡も出来ずに朝を迎えた。次の日から、食べる練習をする予定だった。が、一睡もしてないし、気持ちが悪くなって吐いてしまった。胃液が喉を刺激して気持ち悪さが増す。親は昼過ぎに来て、帰って行った。結局その日は何も食べられずに過ぎる。ここは2人部屋。夜に骨折したおばあさんが運ばれてきた。そのおばあさんの叫ぶ声にまたもや眠れない。ナースコールを鳴らし横に向かせてもらう。看護師が「浅野さんごめんね。寝れんなぁ。」と、申し訳なさそうに言う。

術後3日目、ドレーンが取れ、リハビリの先生が車椅子に乗せに来た。頭の重みはあるが、何とか10分座ることが出来た。

その日は少しだけペースト状の物を食べられた。痛みは随分楽になるが何故か耳の後ろが痛い。

大部屋に戻ってからもその痛みはおさまらず、先生に訴えると、ハローベストを装着する時に空ける穴が微妙にズレてそのために痛みが出てるということだった。また少しだけずらして穴を開ける事になった。

これはめちゃくちゃ怖かった。部分麻酔でドリルで穴を開け、またボルトで固定する。耳元でドリルのシューっとなる音。思わず、「怖いわ!」

すると、「僕も怖いわ。」と先生。その言葉に恐怖心は吹っ飛んだ。おかげ様で痛みは治まった。

鏡を見て、思わず吹き出す。前に2つ、後ろに左右2つ、合計4つボルトが刺さった状態。まるでフランケンシュタインになってしまった気分だった。こうしているうちにまたリハビリが、始まる。

今はまだ修行中の身ですが、いつの日か本にしたいという夢を持っています。まだまだ未熟な文章ですがサポートして頂けたら嬉しいです。