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公認心理師・臨床心理士が「自然」から考える身体的・精神的健康その3〜栄養バランスと食事の回数・タイミング〜

「糖質制限ダイエット」や「もっと野菜を食べよう!」「足りない栄養素はサプリメントで!」など、栄養のバランスやダイエット、食事制限などに関する話題はいつの時代にもあります。

本記事の「その1」「その2」から考えてきたように、ここでは「その3」として、「栄養バランスと食事の回数・タイミング」ということを「自然」から考えてみたいと思います(筆者は医師や保健師、管理栄養士、栄養士ではないため、ご自身のダイエットや食事改善に関して、注意深く食事や栄養について考える必要のある方は特に、必ず医師や保健師の指導のもと行ってください。ここには、過度な栄養制限などは決して推奨しないことを書き留めておきます)。

現代人は糖質を摂りすぎ?

現代人は、糖質を本当に摂りすぎなのでしょうか?では、先の記事と同じように、原始時代のことをもとに考えてみたいと思います。

人間はその昔、米や麦などを食べていませんでした。日本では弥生時代にあたる時期ですが、みなさんもご存知のとおり、米や麦を育て始めたのには「食糧の保存」という理由がありました。原始時代は、自ら必要とする食糧を調達する必要があったため、その日その日で狩猟採集を行っていたと考えられますが、毎日毎日潤沢といえるほどの肉や魚を狩れるかというと難しかったでしょうし、また採集といっても木の実や果物がそんなに都合よく毎日見つかるわけでもなかったでしょう。

原始時代の人々にとっては、毎日の食糧を調達することは、生死にかかわることであり重要事項だったと思われます。そのような中で、高床式倉庫に米などを保存し、食糧難に備えるということを始めたのが(日本では)弥生時代にあたります。米を育てるために、定住生活が始まりました。

また、麦は西アジア〜中央アジアで、1万年前から栽培され始めたそうですが、麦や米は人間が人工的に栽培を始めたことから増産されていったため、その前には麦や米は主食ではなかったと考えられます。

糖質、脂質、タンパク質、ビタミン、無機質といった栄養素のバランスの細かい部分に関しては栄養学に譲ることとします。米や麦といった糖質は、上述のように食糧を保存するために、多く摂取されるようになりました。このことから考えると、やはり自然界に元々存在する(そして、人間が食べうる)栄養素の中で、糖質は元来期待されていたよりも、現代人によって摂取されすぎるようになった、と考えられるのではないでしょうか。

完璧に創造・設計された「自然」が教えてくれること

さて、ここで「元来期待されていた」とは、どういうことでしょうか。まずは、このような仮定をしてみましょう。

「地球、自然は、何者かによって元来、完璧な形につくられている」

ここでは特定の宗教の話はしません。この記事を読んでいる人は、キリスト教を信じているかもしれないし、仏教を信じているかもしれないし、あるいはイスラム教か、はたまた無宗教かもしれません。

「地球」や「自然」というものが、創造主によって創られたとしても、そうでないにしても、地球や自然が「良くできすぎている」というのは疑うまでもありません。人間が、どんなに技術を持って時間をかけても、地球をもう一個同じように作ることはできないどころか、何もない無の状態から生命を誕生させることすらできません(IPS細胞云々という話になるとややこしいので、「何もない無の状態から」という条件にしました)。

つまり、創造主の存在を仮定してもしなかったとしても、地球や自然、そして動物、人間の身体は「良くできすぎている」し、非常によく設計されているといえます。

生態系にせよ太陽と地球の位置関係にせよ、少しでもずれていれば(設計ミスがあれば)、もうすでに地球上には人類はおろか生命は存在しない可能性だってあります。

話が大きくなりすぎましたが、このような自然の中では栄養素もバランスよく存在している可能性があります。その中で糖質、脂質、タンパク質などのバランスはどのような比率なのでしょうか。

草ばっかり、野菜ばっかり摂っているのでは栄養が足りません。かといって、原始時代の石器しかない時代に、動物や魚をうまくたくさん狩れたのかというのも怪しい話です。現実的に考えると、虫や貝なんかは取りやすかったでしょう。貴重なタンパク源だったと考えられます。他にはなんとかして鳥や魚、小動物を狩って食糧にしていたのでしょう。

栄養と寿命

そこで以下のような疑問が出てきます。

「人間の寿命はどんどん延びてきており、現在が最長寿だ。そのことは現在の食スタイルや栄養バランスが良いからではないか。矛盾するのではないか。」

人間の寿命が長くなったのは、以下のような理由が考えられます。

ひとつは、過去記事「その1」で述べた「人間が細菌やウィルスに抗えるように、またケガから回復できるように、薬剤の開発や手術、公衆衛生が発達したこと」です。昔は非衛生的で、少しのケガでもそこから感染を起こすなどして人が容易になくなる時代でしたが、そういう危険が激減しました。これらによって、人間の寿命は飛躍的に伸びました。
2つめは、他の捕食者に襲われる危険性が減り、比較的安全な人間社会ができてきたことです。人間にとって住みやすい安全な社会を作り、戦争など人間同士の争いはあるものの、その他の動物からの脅威は、人間自らが取り除きました。
3つめとして、「栄養バランス」というよりも「栄養を十分摂れる社会になった」ということがあります。ご想像のとおり、原始時代は慢性的な栄養不足だったことが考えられます。そもそも、弥生時代のような米や麦など保存できる食糧がない時代には、食糧自体が足りておらず栄養素自体が枯渇していました。

さて、上記3つめの「栄養を十分摂れる社会になった」ということを考えると、やはり矛盾するのではないか?と思うかもしれません。栄養が十分摂れなかった過去は、ひとつも「よく設計されている」なんていえない、と。

それは、人間を中心に考えるとそういう結論に陥ってしまいます。人間はあくまで地球環境からすると自然の一部でしかありません。
地球環境は、「人間が長寿で長生きするために」存在するのではありません。適者生存といわれるように、その環境に適さなければ滅びるだけです。人間が滅びることで、地球の覇権を別の生き物が握ることになりますが、それも含めて地球は存在するといえるでしょう。

別の話になってしまうのでここでは省略しますが、これは人間の出生率にも関わってくるのかもしれません。

食べる回数とタイミング

最後に、食べる回数とタイミングについてです。食べる回数は朝昼晩の3回がいいとか、4回の方がいいとか、色んな事がいわれています。また、タイミングについても、夜寝る前にはあまり食べないほうがいいとか、朝にしっかり食べた方がいいとかいわれたりしています。

ここでまた自然、あるいは原始時代に戻って考えてみましょう。先述のように、原始時代には十分な食糧を確保することは難しいことでした。朝には食糧を確保するために狩猟採集に出かける必要がありましたし、もし少しでも食糧があれば、その日動くためのエネルギーの源として、朝しっかり食べておく方がよかったことでしょう。手にした食糧を「夜のために(明日のために)残しておこう」と考えるよりも、その日のうちに「食べられる時に食べる」ことが優先されていたと考えられます。また、電灯もない時代、夜には身を安全なところに隠して寝る必要がありました。

つまり、食べる回数やタイミングは決まっておらず、1日中食べているときもあれば、まったく食べていないときもあったと考えられます。暗くて何も見えない夜よりも、朝や昼間に食べていたことでしょう。

これらから考えられる現代への応用としては、

「一日に必要なカロリー数を計算し、食事の回数を一日の中で分散させ(1回1回の食事の量を減らし、食事の回数を増やす)、暗くなってはあまり食べない(歯磨きは頻繁に)」

ということが考えられます。これを実践するのは、なかなか難しいですが、ここまでできなかったとしても、食事回数を増やし、夜暗くなってからはあまり食べないということができれば、健康に一歩近づくのかもしれません。

思ったより長くなってしまいましたが、いかがでしたでしょうか。食事、栄養は、生きていく上で非常に重要なことですので、これを機会に食生活の見直しに少しでもなればと思います。

もう一度同じことを書きますが、筆者は医師や保健師、管理栄養士、栄養士ではないため、ご自身のダイエットや食事改善に関して、注意深く食事や栄養について考える必要のある方は特に、必ず医師や保健師の指導のもと行ってください。ここに書くことは一個人の意見です。

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