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メランコリーそして終りのない悲しみ

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(試し読み)終りのない悲しみ ~New World~

(試し読み)終りのない悲しみ ~New World~

正式な公開を控えている最中の作品ですが、始まりの部分だけ試し読みとして公開します。

終りのない悲しみ ~New World~

 僕が琢磨(たくま)からの電話を受けたのは、2019年の春のことだった。
 琢磨はひどく切羽詰まった声で、慌てふためいて、僕にこう告げた。
「父さんが窓から飛び降りて自殺未遂した。透(とおる)さん、助けて。ボクどうすればいい?」

 2ヶ月前、僕は中学時代からの古い友人

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HONEY(7)

HONEY(7)


 春が来た。
 休日、俺は朝5時半に起きて、そのままTシャツと短パンに着替えてランニングに出る。30分とか1時間とか、そのくらい俺は平気で走れる。なぜなら中学までずっとサッカー部のフォワードで鳴らしてきたからだ。でも今はサッカーをするために走っているんじゃない。ロックバンドのベーシストとして、ステージ上で絶え間なく演奏を続け、アクションを披露するための体力作りだ。
 そこから少しずつ指を動かし

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HONEY(6)

HONEY(6)


 1999年がもうすぐ終わろうとしているとき、ワタルさんから連絡があって、「大事な用だから今すぐ来い」って言うからすぐにMilk Barに駆け付けた。すると、ワタルさんだけじゃなくて、リオさん、マコトさん、キタダさん――SKUNK全員だ――が揃っていた。3人とも、すごく重々しい顔をしていた。怖かった。
 でもこれから何を告げられるのかは、大体わかっていた。
「潤。キタダが、高校を出たら正式に脱

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HONEY(5)

HONEY(5)

5
 ワタルさんが、いつものMilk Barで、いつものように二人で話し込んでいたとき、少し耳に痛いというか酸っぱい忠告をしてきたのも、この頃だった。
 いつからかワタルさんは、Helter Shelterのことや、俺以外のほかのメンバーのことを、よく思わなくなっていた。
「涼はさ、なんか独自の世界があって。河村隆一みたいな? 洋楽の難しいやつがルーツってのは知ってるんだけど、ナルシストってしか周

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HONEY(4)

HONEY(4)


 秋が過ぎて、冬になった。
 Helter Skelterの練習やライヴに加えて、俺はワタルさんに勧められ、プロのベーシストがときどき札幌に来ることを利用して、月一回くらい個人レッスンを受けるようになった。
 透の兄貴の豊(ゆたか)さんが、仕事のついでに、俺を札幌まで乗せてってくれる。で、レッスンスタジオに着いて、そこでとにかく、とにかくしこたま叱られる。サッカー部の顧問や、ワタルさんにも言わ

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HONEY(3)

HONEY(3)


 サッカーが好きだから「サッカー選手になりたい」と言う俺の思考は単純で、そこに理由なんて大して必要なかった。好きだから、それでプロになって、頂点を極めたいって思うのなんか当たり前だと思っていた。そういう単細胞な理屈で、最初はプロのバンドマン、ベーシストになりたいと思っていたけれど、本当に強く決心する理由は他にもいくつかあった。
 まず、俺には姉貴が3人いて妹もいる、つまり5人きょうだいって話を

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HONEY(2)

HONEY(2)


 俺とかおりの物語は、かれこれ幼稚園の頃まで遡る。
 その頃の俺は、とにかく泣いてばかりいた。弱虫で、泣いてばかりいて、いつも幼なじみの濱田悟の後ろをついて回っては泣いていた。俺には姉が3人と妹が1人いて、着ている服はすべてその姉たちのお下がりで、女の子の恰好を何も文句も言わずに着ていた。うちの家には金がなくて、そういうものなんだとわかっていた。今思えば本当に物分かりのいいバカなガキだ。男の服

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HONEY(1)

HONEY(1)


 休日、俺は朝5時半に起きて、そのままTシャツと短パンに着替えてランニングに出る。30分とか1時間とか、そのくらい俺は平気で走れる。なぜなら中学までずっとサッカー部のフォワードで鳴らしてきたからだ。でも今はサッカーをするために走っているんじゃない。ロックバンドのベーシストとして、ステージ上で絶え間なく演奏を続け、アクションを披露するための体力作りだ。
 そこから少しずつ指を動かし始める。運動を

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メランコリー(21)

メランコリー(21)

 それから19年が経って、悟は37歳になった。
 仕事から帰ってきてひと息ついているこの時間は、自分の書斎でいつも、パソコンのradikoのタイムフリー機能を使ってInterFMのDave Fromn Showを聴いているのだが、今日は珍しくそれをかけず、レディオヘッドの『OK COMPUTER』の20周年記念リマスター版「OKNOTOK」のDISC2をかけていた。当時のトム・ヨーク曰く「壁に出来

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メランコリー(20)

メランコリー(20)

「また明日」が涼には存在しないことを知っているのは悟だけだった。
 ライヴの翌日、皆が2学期の始業式に向かうはずの朝、涼はもう学校に姿を見せなかった。悟は始業式を午前中だけでサボって、バスに乗った。
 虹ヶ丘市内から遠く離れた、坂の上にある病院に、涼は母親と妹と思しき二人の女性に付き添われて立っていた。3人は大量の荷物を持っていた。母親は俯き、妹は泣いていた。
 大雨が降りしきっていた。涼は悟のほ

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メランコリー(19)

メランコリー(19)

 ヘルター・シェルターの解散ライヴ2DAYS「COME ON」がMilk Barで、8月中旬、夏休み最終日の土日に行われた。解散ライヴにはやはりMik Barしかないという意見で全員一致。しかし、普段30人、ぎゅうつめに人が入って100人という収容人数のMilk Barは、今のヘルター・シェルターの人気だと客が間違いなく入りきらない。そこで2日間にして、ロックフェス風に盛り上げようと潤が提案した。

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メランコリー(18)

メランコリー(18)

 ブランキー・ジェット・シティの解散を知ると同時に、5月に出たラストアルバム『HARLEM JETS』はもちろんすぐに聴いていた。演奏や楽曲に円熟味が増して、最高にカッコイイアルバムだった。特に『COME ON』のような曲に、バンドが今までにない高みに達し、達成感を覚えていることが感じられた。
 そして7月上旬、ラストシングル『SATURDAY NIGHT』がリリースされた。初めてそれを聴いたとき

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メランコリー(17)

メランコリー(17)

 涼からのアクションがあったのは6月の雨の日だった。
 その日は練習もなく、6時間目が終わって、悟が下校しようとしているときに、涼が背中を叩いてきた。
「今日、僕の家に来ない? どうしても伝えたいことがあって」
 驚いた。涼とは高校1年生以来の付き合いだが、涼の家に招かれたのは初めてだった。高校1年生の頃はよく二人で一緒にいたが、あのときだってどのような状況になろうと涼は絶対自分の家にだけは呼ばな

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メランコリー(16)

メランコリー(16)

 4月になる頃には、ヘルター・シェルターの四人はそれぞれの進路に向けて歩き出していた。
 潤はプロを目指して東京に行くことを決めた。先に上京したSKUNKのメンバーと個人的にやりとりをしており、ベーシストが抜けて後釜に入ってほしいと頼まれているのも理由のひとつだ。そのために東京の国公立の四大か、音楽の専門学校を志望した。経済的な理由だった。だが一時的にでも専門学校の学費を払っていると実家の負担があ

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