見出し画像

メランコリー(20)

「また明日」が涼には存在しないことを知っているのは悟だけだった。
 ライヴの翌日、皆が2学期の始業式に向かうはずの朝、涼はもう学校に姿を見せなかった。悟は始業式を午前中だけでサボって、バスに乗った。
 虹ヶ丘市内から遠く離れた、坂の上にある病院に、涼は母親と妹と思しき二人の女性に付き添われて立っていた。3人は大量の荷物を持っていた。母親は俯き、妹は泣いていた。
 大雨が降りしきっていた。涼は悟のほうを一度振り返り、わずかな微笑みを浮かべた。そして、家族のほうを見て、病院に向かって歩き出した。雨に吸い込まれるように、その姿は見えなくなった。
 いつか破滅する。それでも僕のことを見捨てないでいてくれ。覚えてくれ。愛してくれ。そんなことを言って、去って、散っていく、涼。
「ああああああああ」
 悟は泣いた。傘を殴り捨て、地面を叩きながら泣き叫んだ。
「涼おおおおおおお」
 何もしてやれない、自分の無力さを憎んだ。
 ぽつぽつと通りを行き交う人々が、悟のほうを見て、目をそらして去って行った。悟が患者なのだと、気が狂っているのだと思われているのだろう。
 それでも涙は止まらなかった。
 くずおれて、泣き叫び、涼の名を呼んだ。その間中、涼が「俺のすべてが詰まってる」と断言した、あの『メランコリー』のデモテープの歌声が、頭の中で流れていた。

メランコリー

傷口が大きく 開いてるよ
ばっくりと紅い血を流している
未来が見えないと不安になる
描いていたのに塗り潰される

ねえ 心がもたれて うずくまるよ
今 手に取って啜ったざくろの果実

あなたが居て ここに居て
こぼれ落ちたメランコリー 一人にしないで
痛いよ 流れゆく希望の滴
明けない夜に沈む 瞳を開いて

渦巻く感情 両手に抱きしめて
暗い海の中を歩いてゆく
夢が叶わない僕はいらない
あなたさえどこかで微笑(わら)ってくれたなら

ああ くずおれる 僕を傍らで抱いて
今 あなたの頬に流れ落ちるいばらの涙

あなたが居て ここに来て
夜を貪るメランコリー 一人にしないで
見ないで 弱り朽ちてゆくだけの
闇に囚われた僕の 心を開いて

あなたが居て ここに来て
こぼれ落ちたメランコリー 一人にしないで
痛いよ 流れゆく希望の滴
明けない夜に沈む 瞳を開いて
あなたが居て ここに来て
夜を貪るメランコリー 一人にしないで
見ないで 弱り朽ちてゆくだけの
闇に囚われた僕の 心を開いて

暗い海の中を歩いてゆく
あなたさえどこかで微笑(わら)ってくれたなら

「お前の中で、お前らの間で、『何か』が起こってるのは何となくわかってた」
 小学6年生のときの屈辱的な体験、そして涼との間の一連の出来事は、一生胸の内にしまっておこうと決めていた。けれど潤にだけはどうしても隠せなかった。
「けどそれが具体的に何か、俺には皆目思いつきもしなかった」
 2001年3月、潤が東京の大学に合格して旅立つ前日、悟は潤を自室に招き入れ、全てを打ち明けた。潤に会うのはもう最後かもしれないと思ったから。
「今、そう言われて、正直どう受け止めていいかわかんないけど、お前やあいつに対してずっと抱えてた違和感や疑問がやっと明らかになった気がしたよ。話してくれてありがとう」
「うん」
「俺のことを憎まなかったのは何でだ?」
「わからない。何度も、お前を憎む機会はあった。数え切れないくらい、嫉妬した。でも俺はある時点から、多分、お前と同じフィールドに立ってないと思うんだ。普通の人間は、お前みたく芸能人にならない。次元の違う人間を本気で憎みようがない」
「ハハ、悪ぃな」
 そう言って潤は悪びれることもなく笑った。そして言った。
「悟とは性格も違うし、趣味もダチも微妙に違うけど、何か昔から離れられないんだよな。要するに特別っての? 透とかとはまた違う「何か」があんだよ。それが何かはわかんねえんだけど」
「うん」
「ホラ昔言ったよな、悟はチビで声も変わってなくて、ガキのようなツラして、ナニも俺の半分ぐらいしかなくて」
「昔も今もそんなはずないだろ」
「だからさ、最後にさ、アレやろうぜ、アレ」
 潤が小学6年生の頃と同じ構えを久しぶりに見せた。
「アレやるか、アレ」
「オラオラオラオラオラオラオラオラ!」
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!」
 空中を殴り合うポーズをしながら、二人は子どもの頃と同じように、無邪気に笑い合った。
 そうして翌日、潤は東京へと旅立っていった。

いつの日か小説や文章で食べていくことを夢見て毎日頑張っています。いただいたサポートを執筆に活かします。