【エッセイ】こわいを知った日

 子どものころ、母や祖母が「あーこわい」「やーこわい」と言うのを不思議に思っていた。
 こわいには、疲れたとかしんどいとかだるいという意味がある。でも、言葉としては知っていても感覚がよくわからない。疲れたは疲れただし、だるいはだるい。だから、自分ではこわいと言うことはなかった。

 それから月日は流れ、大人になった。
 丈夫がとりえのわたしも、しばらく体調がすぐれない期間があった。
 病院に行くほどではないが、頭痛や吐き気がする。生あくびが止まらない。体が重くて朝から横になりたい。帰宅したら床に倒れこんで動けない。肌が荒れる。地震かと思ったら動悸だった。
 他にも、頭から爪先まで小さな不調が続いてとてもつらかった。
 誰かに助けを求めたかったが、どのようにこの不調を訴えてよいかわからない。
 疲れた? それもあるけど。
 だるい? それだけじゃない。
 しんどい? 近い感じではある。
 どれもそうだけど、いまいちしっくりこない。
 なんとか自分の状況に合う言葉を見つけようとして、出てきたのが「こわい」だった。
 そうか、これが「こわい」なのか!
 こわいは大人にしかわからない感覚なのかもしれない。そしてわたしは、大人になってしまったのだと自覚した。母や祖母も、きっと折々に同じような不調を感じたのだろう。そう思うと感慨深い。
 「こわい」を知ったから大人になるのか、大人になったから「こわい」がわかるようになったのか。
 どちらにせよ、あまり歓迎したいものではない。

 このときの不調は、その後鉄分のサプリメントを飲むことでやや改善した。
 それでもやっぱり、こわいときはこわい。

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