Naomi Channel

ノートを始めたきっかけは入院した事です。今日で8日目。70代も間近の2021年7月9日…

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ノートを始めたきっかけは入院した事です。今日で8日目。70代も間近の2021年7月9日(金)に、日記がわりに記します。

最近の記事

3か月ぶりのnote投稿

7月13日に13日間の入院生活におさらばし家に帰ってきた。それまでスマホで投稿していたが、今日10月14日(木)にやっとまた続きを書く気になり、今度は本気で書こうと考えたので、ノートパソコンでログインすることにした。 と、開いてみると中途半端な記事を下書きとして保存していたので、それを先ほど投稿し、この記事からが3か月ぶりのその後の生活の記録となる。 7月下旬に、最新式のCTを備えている大きな病院にセカンドオピニオンを取りに行った。というのも、もし首の手術ということになる

    • 退院後の経過(1)

      7月13日(火)の11時に、友人に車を出してもらい娘が迎えに来てくれた。13日間の入院生活は、終わってみればあっという間だった。 家に帰ってみると、自分の部屋は心なしか片付いていて整然とした顔で迎えてくれた。 最後に痛み止め座薬を病院で打って以来、何日間も激痛がなくなりホッとしたが、少しでも重いものを持ったらまた元の木網になると思い、さまざまなことを人に頼んだ。 それでも、何が原因か?二晩続けてみきがわの首が激しく痛み、2個の坐薬を使った。本当に難しい。ほんの少しの水を

      • 入院前後の覚書(6)

        入院当日は、造影剤なしのCTスキャン?それともレントゲン?すでに記憶は定かではない。後で持ってきてくれたいつも使っているノートに大まかなメモは取ったが、やはり詳細は思い出せない。 とりあえず当日の整形外科医の診断は、頚椎第一が変形している、とのこと。私が既往症としてのリウマチを申告していたので、「リウマチにより第一関節が変形する方があるが、今はリウマチの変形ではない」との見立てだった。 髄液が取れなかったので、その日の検査は終了、5階の5人部屋に運ばれた。大阪弁の主治医が

        • 入院前後の覚書(5)

          昨日退院してきた。帰ってきたら友人がお花を持ってきてくれていた。神の創造物を目にして全身が和み、癒される。 部屋は娘2人が片付けてくれていて、かなり最近物を捨てて来たけれどもう一段階、家の中を見直して捨てて整理していこう、と言う気になった。 ーーーー 座薬は運び込まれた当日午後に一回目を打った後は、24時間痛みが襲って来なかったが、そのあと、点滴の痛み止めにしてもらったらすぐにまた激しい頭痛首痛が襲って来たので、また座薬に変えてもらった。 その後は、12時間から19時

        3か月ぶりのnote投稿

          退院の日が来た!

          ついに今日の11時に退院と昨日決まった。何とか写真の痛み止め座薬を卒業してから退院したかったのだが、しょうがない。それを待ってたらいつまで経っても退院はできないかもしれないのだから。 ま、それはないとしても、私が最も避けたかった偏頭痛持ち、頭痛薬常習者になる可能性はまだ捨てることができないでいる。 紹介状を書いてもらってセカンドオピニオンを取ることにしている。セカンドオピニオンの大切さは当然なのだが、特に入院したこの病院は主治医が、検査機器が古いので、というくらいなのだ。

          退院の日が来た!

          入院前後の覚書(4)耳栓編-2

          おはようございます! 夜明け前の4時12分。noteを書き始めた。昨夜はここのところ2回40時間、間隔の開いた痛み止め座薬の間隔が40時間になろうとする夜8時になっても頭痛が訪れることなく、朝まで持ちそうな気がしたので、座薬を打つことなく8時半に寝た。 0時にトイレに起き、やはり頭痛がなく、間隔最長記録更新に突入したと喜んだが、今度はカーテンを挟んだ前の高齢の女性のうわ言で眠れなくなった。 前回書いた耳栓が決定版であることは間違いないのだが、100%音を遮断しているわけ

          入院前後の覚書(4)耳栓編-2

          入院前後の覚書(3)耳栓編

          入院当日は、とりあえず痛み止め座薬で痛みが和らぎ5人部屋の窓際に寝かされた。元々どこの部屋も大きな声を出す患者がいることと、一人部屋は差額が日額約15,000円ということで、一人部屋に入れるはずもなく、 「どうしてもうるさくてダメだったら言ってください」と言われて、5階の大部屋に入った。 その晩は案の定眠れなかった。その騒ぎとは?ま、これは体験した人にしかわからない、凄まじいものである。隣のベッドの高齢の女性は24時間(これは大袈裟ではない)あーあーうーうーうーんと大声で

          入院前後の覚書(3)耳栓編

          入院前後の覚書(2)

          救急車を呼ぶ3日ほど前から、首の激痛はベッドから起き上がれないほどになっていた。トイレに行くために激痛を耐えて起き上がり何度も歩かなければならないのが嫌になりアマゾンで屎尿瓶を注文し一度だけ試したが、すぐに救急車を呼んだのであまり使わなかった。 退院したら夜中に活躍するだろう。 ともあれ、運び込まれ症状を訴えると、大阪弁のとても当たりの柔らかい偉そうではない内科の医師が、「ワクチンの影響あるかもしれんな」と言った。 病気を治したり命を救ったりができるわけではない医師なの

          入院前後の覚書(2)

          入院前後の覚書(1)

          6月1日に1回目のワクチン、ファイザーをうった3日後、左側面の偏頭痛が始まった。それが3週間続き、懲りて2回目は誰に勧められても絶対に打たない、という決意をした。 その偏頭痛は今まで体験したことのないタイプのものだった。こういう感想は、知人友人の中に数人いる。 病院で以前もらったロキソニンが余っていたので、二日続けて飲んだが、あまり効かなかった。 私は随分前から西洋医学の薬は単発では飲むけれど常飲したくないと考えているので、二日でやめた。 その後、普通に家事仕事など家

          入院前後の覚書(1)

          入院生活10日目のランチ 3度の食事はとても美味しい

          今朝朝食後に廊下の体重計で測ったら、57.75キロあった。洋服分0.7くらいを引いて57.0くらいかなと思う。 入院四日目くらいから、お昼ご飯の11時45分と夕食の5時45分との間が空き過ぎていて、絶対安静でベッドだけの生活が、廊下を歩いてトイレに行って良いことになり、さらに聞いてみるとエレベーターを降りて一階の売店までの許可が出た。 せっかく腹八分目〜腹六分目位の量なのでそこでおやつを食べずに退院まで過ごせば、全くの運動無しの生活でも55.5キロをキープできたかもしれな

          入院生活10日目のランチ 3度の食事はとても美味しい

          朝食とダイエットの話

          温めた食パン薄切り2枚 マーガリン ツナマカロニサラダ 牛乳 黄桃缶 13分かけて食べた。それにしても今の私には口に入れたくないものが沢山ある。 まず、食パン、マーガリン、牛乳、これらは病気の元なので全く食べなくなって2ヶ月ほど経つが、この際、飢え死にするわけにもいかずひたすら食べるのみ。 家では、プロテイン、玄米、菜食中心豆類、魚時々、肉時々を習慣とし始めたが、2週間程なら良いだろう、と思いありがたく食べている。 入院時の体重は55.5キロだった。6月に入り偏頭痛も

          朝食とダイエットの話

          「おはようございます!」今朝も7時ピッタリに熱いタオル。

          入院10日目の朝が来た。顔を拭いて馬油クリームを塗り眉毛を描く。 やっと見られる顔になって7時45分には運ばれる朝食を食べ始める。 五階のエレベーターを出るとすぐ右側にナースステーションを見て真正面の5人部屋に7月1日から住んでいる。 ずーともうここに住んで、上げ膳据え膳で体温とと血圧を記録してもらい、夜中の屎尿瓶は持っていってきれいにしてもらう。 こんな楽な生活はないなあー、なんていってるうちはまだまだ退院にはほど遠いんでしょう。 隣の幾つくらいか?80代の後半?

          「おはようございます!」今朝も7時ピッタリに熱いタオル。

          6/1ファイザーのワクチン一回目を打って6/4左側頭部の偏頭痛が始まり、3週間続いた後、首に痛みが加わり激痛と化し6月末には3日間頭と首の激痛で8.9度の発熱があったのでもう限界!と7/1に119番してもらいました。遠くの病室で「助けてください」と高齢の女性が叫び続けています。

          6/1ファイザーのワクチン一回目を打って6/4左側頭部の偏頭痛が始まり、3週間続いた後、首に痛みが加わり激痛と化し6月末には3日間頭と首の激痛で8.9度の発熱があったのでもう限界!と7/1に119番してもらいました。遠くの病室で「助けてください」と高齢の女性が叫び続けています。