退院の日が来た!
ついに今日の11時に退院と昨日決まった。何とか写真の痛み止め座薬を卒業してから退院したかったのだが、しょうがない。それを待ってたらいつまで経っても退院はできないかもしれないのだから。
ま、それはないとしても、私が最も避けたかった偏頭痛持ち、頭痛薬常習者になる可能性はまだ捨てることができないでいる。
紹介状を書いてもらってセカンドオピニオンを取ることにしている。セカンドオピニオンの大切さは当然なのだが、特に入院したこの病院は主治医が、検査機器が古いので、というくらいなのだ。
当然最新式のMRIのある、しかも家から近い、将来的な手術の可能性も考えて全てが万全な病院にすぐに予約を取り検査に行くことにした。
最後の朝食を食べ、いよいよ退院だ!
13日間、上げ膳据え膳で、安静にできたし、騒音公害も何とか発狂せずに乗り越えたし、めでたしめでたしだ。
思い返すこと約23年前。
千葉県の柏に住んでいた頃、インフルエンザか何か、頭痛と微熱とが1ヶ月続き、末っ子がまだ一歳半くらいで育児もままならず入院した。
その時は6人部屋だったかな、そこは、今入院している病院ほどの老人ばかりの病院ではなかったが、1人高齢の女性が私の対角線上の遠いベッドに居た。
その人はそれほどの大きな声を出すわけではなかったが、日中、女の人がお見舞いに来ていてずーと会話をしていた。
「うんうん、そうなの。本当に〜なんだよね〜」
「ええ、本当に困っちゃうのよ...」
「そりゃ大変だね。うんうん」
てな具合。
ひそひそ、あれこれあれこれ。
随分話が弾んでるなあと、気にせずこっちは具合悪いからうとうとしつつ、食事食べたらトイレ行ったりなんだかんだ時間が過ぎて、ハッと気がついた。
何と!なんと!ナント!
1人で漫才みたいに喋って、相手方に回って答えて、また自分が喋って、相手のセリフを言って、と延々と本当に延々と何時間もその2人の会話風を1人がやってたのだ!
それに気がついた時の驚きはいまだに鮮明だ。私は絶望的になった。その会話は、時々休みがあるが夜中も続き起こされた。
隣に運び込まれた高熱の肺炎の若い女性に、
「あれ、うるさくないですか?」
と聞くと、
「うちにも年寄りがいて慣れてるので気になりません」と答えた。
嘘つけ‼️
と私は心の中で叫び、ついにはナースステーションに駆け込み、訴えた。
「私は具合が悪くて入院してるんですよ!原因不明の熱で!それをあんなひどい日中も夜中も延々と、訳の分からない会話を聞かされて、寝られる訳ないでしょ!
私を大部屋と同じ料金で1人部屋に変えるか、あの患者を何処かに隔離するか、それができないんだったら、私の入院料金を無料にしなさいよ!
それもできないんだったら、訴えてやる!」
と、喧嘩慣れした熱があるとは思えない太い声で脅しをかけた。
映画のようにドスを効かせ、冷静に有無を言わさず、決めようとは思ったのだが、なんせ育ちが育ちなだけに、最初のかっこよさは吹っ飛び、最後は恐喝か?精神異常者か?と思われても仕方のない訴えとなった。
今にして思えば、看護婦も慣れたもんだったのかもしれない。黙って聞いていて返事もしなかったが、すぐにその患者のベッドはどこかに運ばれていった。
その後はとても安らかに眠ることができ、これといった病気もなく元気になって退院した。
トイレに立った時にチラっと見たら、私が怒鳴り込みにいったナースステーションの、隣の処置室のような場所に寝かされていて相変わらずブツブツ言っていた。
全く、文句をつけなきゃ我慢させられるなんて、ふざけた話だ。
と、以上は45歳の時の私。
現在は68となり、自分ももし頭がおかしくなっても生きていたら、大部屋なら、同じに周りに迷惑をかけっぱなしなんだろうなと想像すると、我慢するしかない、という心境に変わった。
ただ、昨夜は0時からずっと声で眠れず、4時ごろには一瞬頭をよぎった。2つ右隣の背骨の圧迫骨折で寝ている人みたいな、小さな声で、うるさい、というのではなく、5階のフロアー中に聞こえるような、「うるさああああああああい!!!」
を、私の太い太い声帯で叫んでみようか?と。
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