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対立の構図を描く:アドルフ・ゴットリーブ

対立の構図を描く:アドルフ・ゴットリーブ(Adolph Gottlieb)
アドルフ・ゴットリーブ (Adolph Gottlieb,1903-1974/US- の画家・彫刻家/抽象表現主義)
アメリカ合衆国の抽象表現主義の画家、彫刻家、そして、版画家。
アメリカ抽象表現主義の第一世代だ。
そして、動と静の二元論、また、対立の構図から、構成されている作品の世界だ。

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The Sea Chest

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Burst

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Imaginary Landscape

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by Adolph Gottlieb

略歴-Adolph Gottlieb
1903年、ニューヨークのユダヤ人の両親のもとに生まれる。
1920-1921年までアート・スチューデンツ・リーグ・オブ・ニューヨーク(通称リーグ/The Art Students League of New York)、パーソンズ美術大学(Parsons School of Design)、クーパー・ユニオン(The Cooper Union for the Advancement of Science and Art)、また、その間にパリなどでも学んでいる。
そして、美術教師しながら、1930年以降、ニューヨークの画廊を中心に個展を開催した、そして、作家として活動をはじめる。
1935年には、マーク・ロスコらとともに*グループを創設して注目され、1963年のサンパウロ・ビエンナーレ展では大賞を受賞している。
(註)*抽象表現主義運動:(順不同)マーク・ロスコジャクソン・ポロックバーネット・ニューマンアーシル・ゴーキーウィレム・デ・クーニングたちは、抽象表現主義運動の形成に大きな役割を果たしている。

1937年9月-1938年6月まで、ゴットリーブはツーソン郊外のアリゾナ砂漠に居住した、そこで、シュルレアリスムと形式主義の抽象化の要素を組み合わせたアプローチに移行し、作風が大きく変わった。
アリゾナ砂漠のローカル環境のオブジェクトとシーンをシンボルとしている、そのことは、作品から一時性(1回性)を取り除いていると言うことだ。
アリゾナでの作品は、ニューヨークで発表されるとその抽象性には、賛否が分かれた。

1944年以降、アドルフ・ゴットリーブは、原初的ものへ、関心を強く持ち始め、当初は象形文字風の作品を制作した。
やがて、それは、自然界や神話におけるシンボルライズを追求し、色彩と形態がより純粋化、単純化した表現へと向かった。

その流れは・・
1940年代-1950年代は、シュルレアリストのグループに属していた。
無意識におけるイメージや自動筆記についての視点に精通していた。
それは、The Sea Chestのような神秘的な不調和が普通の風景に表されるシュルレアリスムな作品として表象されるようになる。

1941年頃から、周囲の美術に失望し、ピクトグラフ(絵文字や象形文字/情報や注意を示す)という手法を試みた。
「芸術家の役割はいつも画像製造家でした。異なる時代で異なるイメージが必要です。今日の我々の願望は、この悪しき事柄から必死で逃れる試みであり、それは時代に合わず、時に強迫観念的であり、地下に潜み、絵文字イメージは、私たちの現実である神経症状を表しています。私の心には、抽象と呼ばれる特定の抽象概念は全くありません。それどころか、私たちの時代に対するリアリズムなのです」


1956年後半には、ゴットリーブは「Burst」というシリーズを始めた。Burst シリーズでは自身の表現を、円と糸が巻き取られたような、2つの塊に簡素化し、要素の配置によってさまざまなバリエーションを描いている。このBurst シリーズで、極の伝達において、イメージの簡素化を可能にしてる。 その先は、「Burst」 、そして、「Imaginary Landscape」(架空の風景シーン)等を簡素化して制作している。
ゴットリーブは、画家である訳で、色のない物体を視覚化することはできない。
そして、晩年には、友人である彫刻家のデイビット・スミス(デビット・スミス/David Smith,1906-1965/US- 彫刻/抽象表現主義)と共に、野外彫刻-3点を含む、全てで、42点が作られている。
1967年のインタビユーで、ゴットリーブは、こう語る。
「私にとっては、私が持っている感情や夢を含め、すべてが自然です。すべてが自然の一部です。絵画でさえも、自然の一部になっている。」
「私は自分の仕事に対してイデオロギー的アプローチや教義的アプローチを持っていない。私は自分の個人的な感情、反射神経、本能から絵を描くだけです。」-Adolph Gottlieb

業績は、数えられない程あるが、
1963年、サンパウロビエンナーレにてグランプレミオを受賞(最初のアメリカ人アーティスト)。
1968年、グッゲンハイム美術館、ホイットニー美術館が共同でのアドルフ・ゴットリーブ 展示会が行われた。
その後、ゴットリーブは、1970年に脳卒中で倒れ、後遺症(手足の麻痺)に苦しみながら、描き続け、1974年3月6日没、70歳だった。
晩年まで、アートに関わり、また、後進の作家に援助を行った生涯だ。

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Adolph Gottlieb

1976年には、遺言である、アドルフ&エスター ゴットリープ財団(Adolph and Esther Gottlieb Foundation)が設立され、視覚芸術家に助成金を提供されている。

アドルフ・ゴットリーブは、イメージと文化に貢献した、アメリカ民主主義のもとで活躍した20thの画家の1人だ。ここ、数日、そういったメンバーをピックアップしているが、大切なことは、その生まれた時代の状況下で、作家の理念と結果を出す(作品)と言うことだろう。

Adolph Gottlieb-movie



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