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Mark Rothko - そのカテゴリ化は拒否

マーク・ロスコ(Mark Rothko 1903 -1970)-抜粋
ロシア(ラトビア)生まれのユダヤ系のアメリカの画家。
迫害から逃れるためロシアから、アメリカに移住し、イェール大学心理学科中退、パーソンズ美術大学(NY)等で学び、その後、美術教育にも関わる、多様な表現方法を試みている、そして、1935年の革新的なグループ展は評価を得なかった。まだ、ロスコの絵画はこの時期には確立する以前であり、多くの模索を行っている。
私見だが、その時期、彼自身、従来型のアメリカ美術、そして、パリを中心とした欧州の美術の批判だけでは、新しい潮流は生まれないと感じていたかも知れない。
また、この時期、ポロックなどと、WPA(公共事業促進局)の連邦美術計画(ニューディール政策の一環)の仕事もこなした。
1940年にアメリカの市民権を所得、それはデュシャン等もニューヨークを拠点とした時期に合致する(第二次世界大戦という要因)。1946年から作品題名はNoのみとした。縦長のキャンパスに複数の色彩のみで描く手法の抽象画になる、1951年はMoMAのグループ展「15人のアメリカ人」で脚光を浴びる。
そして、ロスコは、抽象表現主義(NY)の作家として、ジャクソン・ポロック等と共に戦後のアメリカ合衆国の美術家で著名な1人である。
ただ、マーク・ロスコは、いかなる芸術運動に分類されることには、反論・拒否している。カテゴリーの中でアーティストは活動している訳ではない、それは、美術史は後から語られるという事だろう。
ロスコは、絵を描くことが自己表現と考えておらず、絵画は、コミュニケーションの手段と考えていた。このコミュニケーションのコンテンツを理解すると世界変わるとも・・・
そう考えると、やはり、美術史的なカテゴリ化はできないだろう、それは、ロスコ絵画とそのコンテンツの流れが語っている。

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(c)Mark Rothko

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