見出し画像

溶接彫刻:デイビッド・スミスとは

溶接彫刻家デイビッド・スミス(David Smith)とは
デイビッド・スミス (ローランド・デイビッド・スミス /David Smith,1906-1965/US- 彫刻/画家)
抽象表現主義の彫刻家であり、鉄鋼等の金属で、抽象的、かつ、幾何学的な彫刻を制作する作家だ。
それまで、金属彫刻というと、青銅(鋳造)を意味したが、デイビッド・スミスは、溶接トーチで金属を加工して、最初から創り出す、ある意味、創始者だろう。(以前にも、その類型はあるが、当時としては、ユニークな試みだ)

画像1

画像4

画像5

画像2

画像3

(cc) David Smith

略歴 - David Smith
1906年、ディケーター(Decatur/イリノイ州)に生まれる。
1924-25年オハイオ大学、ジョージ・ワシントン大学(ワシントンD.C)で学んでいる。
1926年、ニューヨークへ移住し、ドロシー・デナー(Dorothy Dehner,1901-1994/US-画家・彫刻家)と結婚、彼女の勧めもあって、ニューヨーク・アートスチューデント・リーグ(The Art Students League of New York)で学ぶ。リーグの教師、モダニストの画家ジャン・マトゥルカ(Jan Matulka,1890-1972/チェコ系アメリカ人であり、現代アート作家)は、デイビッド・スミス や、ドロシー・デナーに、ロシア構成主義から、当時の欧州の現代アート(ピカソ、モンドリアン、カンディンスキー..etc)の影響を与えた。
1929年、ジョン・グラハム(John D.Graham,1886-1961/ロシア帝国貴族の生まれのアメリカ人、モダニズム画家-近代主義)と出会い、溶接鋼彫刻に導かれた。その影響は、溶接鋼彫刻のピカソやフリオ・ゴンサレス(Juli González i Pellicer,1876-1942/スペインの絵画・彫刻)等

1930年、世界大恐慌により強化された公共事業促進局が主導した連邦美術計画に参加する、その時に、アドルフ・ゴットリーブ(Adolph Gottlieb ,1903-1974/絵画, 彫刻-抽象表現主義)、ミルトン・エイブリー (Milton Avery,1885-1965/US-画家)との関係は、のちの作品の影響に影響を与えた。
ジョン・グラハムから、アーシル・ゴーキーウィレム・デ・クーニング、スチュアート・デイヴィス等と、出会うことになる。
1931-32年、ヴァージン諸島で、スミスはサンゴからなる最初の彫刻作品を作る。
1940年、スミスはニューヨークを離れ、ニューヨーク州北部、ボルトン・ランディングのジョージ湖の近くの、彼のスタジオへ移住した。
第二次世界大戦中は、ニューヨーク州の機関車会社で溶接工として勤め、機関車や戦車を担当した。
また、当時は女子大学であった、サラ・ローレンス大学(Sarah Lawrence College/現共学)他で教鞭もとる。サラ・ローレンス大学からは、多くの女優、映画演劇関係者が生まれている。
1965年5月23日、ベニントン(Bennington/バーモント州)で交通事故で没、59歳だった。

その作品は、MoMAをはじめ、グローバルに、多くのミュージアムに展示収蔵されている。

画像6

David Smith

(追記)アートを学ぶにも、様々な人物の影響を受け、そして、その作家は、後進を育てている訳だ。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?