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【創作】朝の渚で【スナップショット】


 
 
ああ、気持ちいい風だ
 
ええ
 
素晴らしい青空
涼しい海風
太陽の音が聞こえるようだ
こんな朝は散歩するに限るね
 
そんなことを
父も言っていた
あの日も
父は一人でこの朝の海岸を
散策していた
今でも思い出す
遠くを歩く
どこか憂鬱気なあの人の顔を
 
幼い君はどう思った?
 
鮮明に覚えている
父は何か苦しみを抱えているのだと
そう直感した
そんな風に感じたことは
初めてだった
 
お義母さんから聞いたよ
あまり感情を表に出さない
大変寡黙な方だったって
一度も怒ったことがなかったと
 
そう、私にもそうだった
仕事でいつも遅く帰って来て
休日もないかのように
どこかに付き合いで出かけていく
でも私の前でだらしない格好を
見せたことは無くて
家ではいつも
きちんとした服を着ていた
書斎で夜
ウイスキーを飲みながら
本を読んだり
何か書き物をしている姿が
今でも目に浮かぶ
真面目な紳士だと思った
偉ぶったりしない、
尊敬できる優しい人だと思った
 
一緒にここに旅行に来た時も
そんな見方は変わらなかった?
 
ええ、全く
海に入ろうとせず
私をいつも遠くで見守りながら
渚で本を読んでいた
一緒に食事をしたり
お城の跡を観に行ったりする時は
私が退屈しないように
歴史の面白い話を
静かに話してくれた
決して退屈ではない大人の人
そんな印象だった
 
そんな印象が変わった
 
そう、あの時に
まるで、ほんの些細な証言のほころびで
今までの犯人たちの行動や言動の意味が
180度変わる
推理小説のように
一人でいる父の顔を見た時
父は苦しんでいるのだと思った
急に
今まで父の寡黙さや真面目さだと
思っていたものが
私や母に対して
ある種の壁を作っている行為のように
感じた
父が私の前でいつも
きちんとしていたのは
私に素顔のようなものを
見せないためなのだろう
父は私を全く愛していないのだと
直感した
私の姿に気づくと
父の顔からそんな表情は消え
嬉しそうに手を振った
 
多分そんな表情を隠すために
帰りではいつもと変わらなかった?
 
変わらなかったはず
帰りに私が何を考えたのかは
忘れた
多分父に合わせるように
いつもの娘を演じていたのだろうと思う
父がどう感じていたかは
分からない
あの朝の渚での一瞬より後は
よく覚えていない
それまでの二人だけの
休暇が楽しかったことは
ホテルで食べた
オレンジのシャーベットが
美味しかったなんてことも併せて
よく覚えているのに
 
その後もお義父さんは
君に対して変わらず接した?
 
どうかな
ただ、私の父に対しての見方は
確実に変わった
父がある種の他人であることに
気づいた
多分あの時
私の幼年時代のようなものが
終わったんだと思う
父は表面上は変わらないけど
そんな私に気づいていた気もする
最後に会った日、
唐突にここのホテルに泊まったことを
懐かしそうに語っていた
なぜそんなことを言うのか
分からなかったけど
今思うと単に私との思い出を
懐古する以上の意味が
あったのかもしれない
その後のことも想像できなかった
あの人は私にとってとうとう最後まで
謎のままだった
 
あの手紙があってもかい?
 
ええ、母はとても騒ぎ立てていたけど
私はそこまで重要なものではないと
今も感じている
父に私たち家族とは別の生活があっても
私たちに対して最後まで
他人行儀に接していたことの
理由にはならないと
いや、どうだろう
相手の方の前では
私に見えなかった何かを
見せていたのかもしれない
相手の方も亡くなられているから
もう、分からない
結局そうした大切なものが
永遠に私から失われてしまったように
感じる
 
僕は君に対して
ずっと誠実でいるよ
隠しごとも秘密もしない
君を置いていくこともしないから
 
ありがとう
その気持ち、
とても有難く受け取っておく
私も努力するよ
でもおそらく
どれほど誠実で
お互いの生活を共有しても
人間には
他人には理解することができない
何かがあると私は思っている
それでも相手を敬って
相手を思いやって生きることの大切さを
父が教えてくれた気がする
それは偽善かもしれない
それでもやっぱり大切なこと
人生には
甘いシャーベットが溶けた後に
苦い後味も残る場合もあるから

色々なことがあってもなお
お義父さんは君にとって
大事な人だった

うん
父と一緒に過ごした
この場所の幸福な思い出、
あの夏の日の心地よさと
ほんの少しの痛みは
私の中にそういうものを残したんだ






(終)


※【スナップショット】では
ワンシチュエーションでの
短いダイアローグや詩を
不定期に載せていきます。

※過去の「スナップショット」置き場



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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