見出し画像

デュオの魅力 -音楽で対話することの良さ



 
 
【金曜日は音楽の日】
 
 
以前、私が面白く読んだ漫画に、新川直司の『四月は君の嘘』があります。

クラシック音楽を題材にして、アニメ化もしたこの作品。トラウマを抱えて弾けなくなった、元天才ピアニストの少年と、天真爛漫な凄腕ヴァイオリニストの少女の物語です。



 
興味深いのは、この作品がオーケストラでなく、ソリストでもなく、デュオを題材にしていることです。
 
オーケストラであれば、集団の中でいかに自分の色を出すか、いかにそれを統率するかという、個と全体との葛藤になります。漫画『のだめカンタービレ』やアニメ『響け! ユーフォニアム』はそういった作品でしょう。
 
ソロであれば、個人同士の火花散る戦いとなります。小説『蜜蜂と遠雷』や、漫画『ピアノの森』が挙げられるでしょう。
 
デュオというのは、ある種の個のぶつかり合いであり、同時に、対話でもあります。

どちらかに寄せたままでは進まないし、バラバラになったら音楽にはならない。時には自分の主張を押し通しつつ、どこかで擦り合わせる必要があります。
 
そこに、恋愛や憧れ、そして相手の心に踏み込むことといった、個人の感情をうまく落とし込んだのが、『四月は君の嘘』の魅力でしょう。




私は、ダイアローグだけで成り立っている「スナップショット」シリーズを書いていることもあり、もしかすると、こういう「対話」が好きなのかもしれません。
 
対話には、一人の独白とも違う、相手に反応して変化することの甘美さと、相手を受け入れる礼節がある。それは私にとって、大切なもののように思えます。





デュオの音楽で一番好きなのは、チェロの名手ピエール・フルニエと、名ピアニスト、ヴィルヘルム・ケンプが共演した、ベートーヴェンのチェロソナタ集(グラモフォン)かもしれません。



 
フルニエのチェロは、若々しい澄んだ響きでありながら、どことなく老成した落ち着きがあります。「チェロの貴公子」と呼ばれたその言葉のままに、優雅で高貴な響きです。
 
そしてケンプは、シンプルで、しみじみとした味わいのピアニスト。お互い、俺が俺がとでしゃばるタイプでなく、相手を引き立てつつ、音楽の糸を紡ぐことの喜びが伝わってきます。
 
割と似た資質同士だからこそ、共鳴によって、お互いの魅力が倍増されたと言えるでしょう。




 
『四月は君の嘘』と同じ、ヴァイオリンとピアノのデュオなら、クリスチャン・フェラスとピエール・バルビゼのデュオが好きです。
 
華やかでエキゾチックなフェラスのヴァイオリンと、それに染まらない固い音のバルビゼの絡み合いは、音楽の美しさを引き立てています。ブラームスのヴァイオリン・ソナタは、そんな二人の魅力全開の演奏です。


青柳いずみこ氏の名著『ピアノストが見たピアニスト』では、バルビゼに師事した青柳氏によって、二人の出会いと顛末が語られています。
 
バルビゼの演奏を聴いたフェラスが、彼と一緒に弾きたいと言って、始まったデュオ。最初から息はぴったりで、行く先々で拍手喝采を浴び、レコードは次々に賞を受賞。
 
やがて、早熟の天才だったフェラスは疲弊して、ツアーから引退。バルビゼも国立音楽院で教職に就き、デュオは解消します。
 
その後、フェラスは困窮して没落。

食事中に、彼の死を伝える電話を妻が受けた後、バルビゼは「フェラスが死んだのか」と静かに尋ねたといいます。

その後何も言わずに食事を続けたという、その逸話には、どこか痛切なものがあります。
 
青柳氏は、二人のデュオについてこう語っています。
 

フェラスを活かそうとすることで、バルビゼもまた活かされたという側面があるのだ。フェラスの溢れる音楽をときにコントロールし、時に十全に流してやり、要所要所を締め、そして自分も歌う。
 
ヴァイオリンに触発されてか? 違うと思う。もともと彼の中にあるものが引き出されているのだ。自己抑制の強いバルビゼは、一人で弾くと禁欲的になりがちだが、おおらかにのびやかに弾くヴァイオリンに乗ると、自然に気持ちが外に出てくる。


まさにこの「相手の隠れた力を引き出す」ことこそが、デュオの魅力と言えるでしょう。




クラシックだと、魅力的なデュオの演奏が多いのに対し、ジャズだと、寧ろトリオが多くなるのは興味深いところです(勿論、ジャズにも、例えばビル・エヴァンスとジム・ホールが共演した『アンダーカレント』のような名盤はありますが)。
 
ジャズトリオとは、ソロ(ピアノや管楽器)に、ベースとドラムのリズム隊が加わったもの。ソロの良さと、バンド形式の集団音楽の面白さを合わせた形態と言うべきなのかもしれません。
 
デュオというのは、どちらもメロディーを奏でる楽器が殆どだから、リズムや間はお互いが作ります。それゆえに、より濃密に相手に踏み込まないといけないように思えます。




例えば、カウンセラーとのセラピーというのは、基本的には二人の「対話」がメインです。そうでないと、人の隠れた部分は、露わにできない。
 
誰かを信頼し、心を開くということは、二人でいるからこそ、できることなのかもしれません。

独りよがりでも、人前での派手なパフォーマンスでもなく、自分と、自分以外の人を尊重すること。それは、真に信頼し合って、リラックスした二人でいるからこそできる。
 
それはつまりは、カップルで居続けることの極意でもあるのでしょう。
 
デュオの音楽の魅力とは、そんな、良き夫婦のような、心のやり取りと信頼を記録したところにあるのかもしれません。

そんなことを考えながら、音楽を聴いてみると、また別の楽しい響きが聞こえてくるかもしれませんね。



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


こちらでは、文学・音楽・絵画・映画といった芸術に関するエッセイや批評、創作を、日々更新しています。過去の記事は、各マガジンからご覧いただけます。

楽しんでいただけましたら、スキ及びフォローをしていただけますと幸いです。大変励みになります。


 

この記事が参加している募集

#私のイチオシ

50,748件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?