見出し画像

友情と礼節の幸福 -私の「泣ける」映画

友情と礼節とは、お金儲けの道具ではありません。それらは利回りが悪く、投資にも向いていない。そして、それゆえに、人生を賭ける価値があります。



 
私が映画を観るのが趣味だと言うと「泣ける映画」を教えて、と言われることがあるのですが、私はそもそも映画や小説で泣くことがあまりなく、結構困ってしまいます。

また、世間的に「泣ける」とされる映画でなく、マイナーな映画が思い浮かびがちなので、限られた時間だとその良さが説明できないのもあります。
 
というわけで、今日はそんな気を遣わなくていいnoteを使って、私の「泣ける」映画について語ってみたいと思います。それは、1939年の、ゲーリー・クーパー主演のアメリカ映画『ボー・ジェスト』です。
 
といっても、ハンカチを濡らしに来るタイプの完璧な映画ではなく、色々とツッコミどころ満載の「名作」(私は名作だと思っています)です。でも観終わると、不思議とじんわりとした感動に包まれてしまう自分がいるのです。



 
『ボー・ジェスト』は、パージファル・クリストファー・レンの1924年の小説に基づく、ウィリアム・ウェルマン監督の映画です。ウェルマンは第1回アカデミー作品賞を獲った名作『つばさ』でも知られる名監督です。

『ボー・ジェスト』ポスター


まず、原作者のペンネームからしてツッコミどころ満載です。パージファルは「聖杯伝説」の騎士の一人。クリストファー・レンは、ロンドン大火から復興に尽力した名建築家。日本で言うと「徳川歌麿」さんとペンネームを付ける感じでしょうか。一応、本業はイギリスの軍人だったそうで、そんな彼の通俗ベストセラー小説原作です(邦訳もあるようですが未読)。
 
そして、タイトルもまたすごい。「ボー・ジェスト」とは、この物語の主人公の名前。フランス語で「美しいジェスチャー(物腰、ふるまい)」を意味します。

いかにも、高潔そうなイメージの名前で、英語で書かれた小説なのに、フランス語なのが最高に気取っています。既にお腹いっぱいになってきましたが、続けましょう。



 
舞台は、北アフリカの砂漠の只中のジンダーヌフ砦。フランス部隊が偵察に来たところ、砦が全員死亡しているのを見つけます。そして、目を離した隙に、火があがり、砦は燃え上がります。
 
そこから遡ること15年前。ボー、ジョン、ディグビーの3兄弟は孤児であり、イギリスの上流階級の婦人、パトリシア叔母さんの元で育てられました。ボーに比べて、作者に適当に名前を付けられた感のある2人が泣けます。しかし3人は非常に仲が良く、そして、イギリス流のジェントルマンの教育を受けて育ちます。
 
この3人の住む屋敷が、木々と美しい池のある、心落ち着く場所なのが素晴らしい。それは、冒頭の砂漠と対照をなしています。




 
さて、3人は成人します。ボーを演じるのはゲーリー・クーパー。ダンディでタキシードが似合う彼が、特に働きもしない上流階級の若者を演じているのはちょっと不思議な感じですが、そんなある日、大事件が起きます。

パトリシア叔母さんが大事にしていた宝石「ブルー・ウォータ―」が、何者かに盗難されてしまうのです。しかもそれは、一家の全員がその宝石を見ていた場で、停電が起きて、あかりが着いたら消えていた、というベタな展開。一家の誰かが盗んだのです。
 
その夜、ボーが出奔します。「ブルー・ウォーターは私が盗んだ」との置き手紙を残して。あの格好よくて、誠実そうなボーが。するとジョンとディグビーも、兄を追うように屋敷を出て行きます。そして、3人はフランスの外人部隊で再会するのです。


お屋敷に居た時の3兄弟と
叔母の養子イザベル(スーザン・ヘイワード)




 
何というか、人生の選択が軽いというか、そんなことで快適なこの生活を捨てていいのか、という気がするのは、私が現代っ子だからなのでしょう。
 
ジョンとディグビーにしてみれば、ボーは孤児院から一緒の、尊敬して愛する長兄。彼の名誉は守る、そして3人死ぬ時は一緒だという、無償の友情を感じます。『三國志』もそうですが、私はこういう疑いのない信頼が描かれる作品が好きです。
 
フランスの外人部隊というのは、壮絶に過酷な任務で知られ、国籍や過去の経歴不問の軍隊です(現在でもそうです)。

それで、30~40年代の映画には、過去に罪を抱えた主人公たちがこの世の全てを捨てて入る場所、のようなある種ロマンチックな設定が横行しました(『モロッコ』、『地の果てを行く』、『外人部隊』等)。それもどうかと思うのですが。

ボー(ゲーリー・クーパー)


合流した3人はジンダーヌフ砦に配属されます。そこは冷酷なマーコフ曹長が、恐怖で隊を絞り上げ、アラブの部族の襲撃を絶えず受ける、灼熱の過酷な場所です。



 
ネットの映画感想等を見ていると、このマーコフを嫌う方が多いようです。確かに、彼は、規律を求める割に自分には甘く、金にがめつく、自分の昇進しか考えず、部下の兵士たちにも嫌われまくっている、狡猾で冷酷な男です。が、私はそこまで嫌悪感が湧かないというところです。
 
何というか、ブラック企業の営業課長みたいというか、大きな会社でもないのに、自分の地位でやたら威張って、会社の売り上げを達成するため、日々這いずり回っているサラリーマン感があります。
 
砂漠の中の砦を守るという、不毛な職務が余計そう思わせる。彼もまた、大きな組織にとっては、いずれ捨てられる駒でしかないのが、見ているだけで分かります。営業成績はいいのに人望がなさ過ぎて、営業部長くらいは行けるけど役員にはなれない感が、妙にリアルです。

マーコフ(中)
演じたブライアン・ドンレヴィは
アカデミー助演男優賞にノミネートされた




 
内側にはこんな滅茶苦茶な曹長と、荒くれ兵士たち。外側には真っ白な砂漠からどこともなく現れるアラブの兵士たちに対峙しなければいけない3兄弟なのですが、とにかく、前向きというか、明るいのです。

勿論、状況はあまりに厳しく、彼らは能天気ではない。それでも、いつでもユーモアを忘れず、3人でいれば、何とかなると思わせる絆があります。

左:ディグビー(ロバート・プレストン)
中:ボー(ゲーリー・クーパー)
右:ジョン(レイ・ミランド)



 
そして、内外で緊張が高まって、クライマックスを迎える。恐らく予測はつくと思いますが、何人かは帰らず、何人かは生き延びることになります。
 
生き残った者は、あの懐かしい屋敷に帰り、叔母さんたちと再会します。そこで明らかになる、衝撃の事実。
 
3兄弟の行く末を二十年以上見守り続けたパトリシア叔母さんが、最後に呆然とした顔でこう呟きます。

ボー・ジェスト、「美しきふるまい」。
・・・彼にふさわしい名前だと思わない?
 

 
このラストを見る度に、私は目頭が熱くなります。そうです、人生において重要なことは、お金や、贅沢な生活ではきっとありません。自分の名前にふさわしい人間であり続けることです。


 
ここでの名前は、親からつけてもらった名前という意味だけではありません。ペンネームやハンドルネームでもいい、自分でつけた、自分自身がこうありたい、こう生きたいという思いの結晶です。その思いに生涯忠実でいること。ボーたち3兄弟は、それを果たしているのです。
 
また、「美しきふるまい」とは他人を思いやる礼節のことでもあると思います。それを身に付け、最も身近な人々を救うこと。その意味は映画を観るとわかります。

礼節は、時には運命を狂わせます。それでも、その運命を受け入れ、礼節を貫き通すこと。そこには見返りなどない。ないからこそ、美しい。それがきっと生きることであるように思えるのです。



 
 
この作品は現在から見れば、ツッコミどころ満載なのは確かです。しかし、美しい憩いの水辺の幼少期から、不毛な灼熱の砂漠の乾ききった大人たちの職場まで、案外、現代に通じるような象徴的な設定となっています。不自然? 大袈裟? それが何だと言うのでしょう。私たちの人生だって、偶然続きの不自然なものではないでしょうか。
 
そして、ここには友情と礼節という、二つの無償の愛が溢れています。たとえ自分が犠牲になってでも、酷薄な運命が降りかかったとしても、その無償の愛を貫き、自分を生かしてくれた愛する人たちに忠実でいること。
 
私たちは、そうしたものを貫き通すにはあまりにも弱く、どうしても状況に流されてしまう。でも無償の愛とはまた、生きる活力をも与えてくれるのだと、朗らかな3兄弟を見て思います。

私はそうした思いに涙し、力を貰う。だからこそ、この映画は、私にとっての「泣ける」映画なのです。


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


こちらでは、文学・音楽・絵画・映画といった芸術に関するエッセイや批評、創作を、日々更新しています。過去の記事は、各マガジンからご覧いただけます。

楽しんでいただけましたら、スキ及びフォローをしていただけますと幸いです。大変励みになります。





この記事が参加している募集

私のイチオシ

おすすめ名作映画

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?