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【創作】真夜中のバーで【スナップショット】

やれやれ凄い雨だ
 
スカートまでずぶぬれですよ、私
 
取り敢えず乾かそう
飲み物は?
 
お酒はもういいです
コーヒーで
 
ホットコーヒーとブランデーを
 
止みますかねえ
 
どうせ、始発まで少し時間がある
ここでやり過ごすさ
 
ここを出たくないけど
私はホテルで仮眠したいですね
 
ここで寝ればいい
 
無理ですよ
 
僕はどうせ眠れない
どこにいたって同じだ
 
大丈夫ですか?
 
もう無理だな
これは習慣になってしまった
暗闇の中で安らぎがうまれない
毎晩眠りにつくということがない
ただ気を失って
気付いたら朝になっている
それは眠りではない
 
眠ろうという意志はあるんですか
 
いや、無いな
あまりにも眠りというものを
久しく感じていないから
多分そういう意志も消えてしまった
ガソリン切れのまま走り続けている
酒で上手く紛らわせるさ
 
私はここじゃ眠れないし
付きあいますよ
安らぎを感じたことはあるんですか
 
安らぎ、そうだな
昔、奇妙な体験をしたことがある
 
どんな体験ですか?
 
高校生の頃一度だけ
絵のモデルを頼まれたんだ
経緯は忘れたけどプロの画家からね
ポーズをとると言っても楽なもの
女の人の膝に身体を横たえて
死んだふりをするんだ
女の人は僕の頭と膝裏を抱えて
悲しんでいる
 
それ、何かの彫刻であったような
 
そうなのか?
女性のモデルは画家の奥さんだった
髪が長くてとにかく美しい人だった
高校生の僕にも
優しく気を遣ってくれた
 
なるほど
美人に抱かれて
大変美味しい思いをしたと
 
その通り
勿論奥さんが疲れないように
手の下や膝の上に
支えやクッションを入れてあった
午後のひと時、僕はずっと
彼女に抱かれていた
柑橘系の爽やかな
香水の匂いが漂っている
僕は動かないまま
じっと美しい彼女を見上げている
彼女の呼吸の度に動く喉や
ほくろや目尻の皺を覚えるほど
飽きずに眺めていた
でも何もしないまま眺めるのにも
限界が来る
気が付くと僕は眠っていて
時間になって奥さんが
優しく起こしてくれた
 
それは深い眠りだった
 
そう、あれほど深く
安らげる眠りは後にも先にも
味わったことはない
 
そういう風俗のサービス
ありそうですね
 
そういうのと一つだけ違うのは
僕も彼女も旦那さんの眼差しに
ずっと曝されていたことだ
 
なるほど、確かに
 
芸術を作るという目的の
材料に僕たちはなっていた
僕自身の快楽のためでなく
 
でも、邪な気持ちで
彼女を眺めていたんでしょう
 
まあ、最初のうちはね
彼女の夫の目の前で
彼女をずっと眺めているという
状況に興奮したのは事実だ
でも、彼女に手を伸ばすこともできず
死んだふりをしているだけ
美しい存在が目の前にいるのに
僕は何も手出しできない
こんなことをして何になる?
そんな思いが頭をもたげていった
 
邪な欲望も消えていった?
 
そうだ
そんなことを毎日繰り返すうちに
僕は奇妙な思いに囚われていった
僕と彼女はわずかに
触れ合っているだけで
会話もほとんどしていないし
セックスもしていない
でも、彼女の存在そのものが
僕の中に浸透してきて
僕を眠りに導いている
僕は彼女の存在そのものを
誰よりも理解しているのではないか
そんな奇妙な錯覚が生まれてきた
 
不思議な感覚ですね
 
不思議なことに
それは愛ではないかと思ったんだ
もしかしたら本当の愛とは
このように言葉も交わさず
性的な欲求も満たさず
ただ適切な距離で
ずっと一緒に触れあって
いられることなのではないか
であるなら、僕と彼女の間に
ある種の愛が流れていると
 
アイドルのファンが
アイドルの恋人よりも
自分はその人のことを分かっていると
思うようなものですね
 
なるほど
それはその通りかもしれない
でも、皮肉ではなく、それが僕たちの
人生の真実なのかもしれないよ
僕たちが見ることができるのは
その人の偶像でしかない
 
私たちはお互いの偶像を見て
理解し合っていると思い込んでいる
 
そう、眠りに落ちる直前の
半覚醒の状態だけが
そうした誤解を消して
ほんの一瞬
お互いの存在の核のようなものに
触れさせるのかもしれない
でも、僕たちは眠ってしまって
そうした状態を失っていく
 
触れたと思ったら、また遠ざかる
 
そうだ、シャーベットのように
舌にのせた途端
熱で消えてしまって
その存在は消えてしまう
僕たちはただ舌の上に残る
甘い味だけを味わうしかない
でも本当の愛とは
そういうものかもしれない
そうした愛が僕を安らぎと
眠りに導いたのかもしれない
 
それで、その奥さんとはその後?
 
何もない
二週間でモデルは終わった
その後何度か会って立ち話をしただけ
若くして病気で亡くなられたよ
彼女に抱きとめられていたあの時間が
彼女とのほぼ全てだった
それ以降
僕は深い眠りについたことはない
 
きっと、またそういう人に会えますよ
 
よい気休めの言葉だ
 
雨が止んだみたいですね
 
本当だ
始発まではまだ時間があるかな
駅までは濡れずに済みそうだ








(終)


※【スナップショット】では
ワンシチュエーションでの
短いダイアローグや詩を
不定期に載せていきます。


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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