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理系の作文の作法を考え直してみた話 -2-

理科系の作文技術とは何か。理系の仕事をしている身でありながら、何となく意識できていない部分を感じていて、今回この本を取りました。

結局のところ、文章はコミュニケーションの手段のひとつで、伝わらないことが何よりも不毛なことだと思います。その上で、自分のやり方(主軸)を再構築するための機会にします。

今回は2回に分けています。前回は技術面の話が中心でした。今回はよりビジネスライクなところを言及できたらと。前回の記事はこちらです。

今回の主題のひとつは「曖昧さ」を生み出すことの悪影響です。個人的な感想は千差万別ですが、理科系の話題では千差万別などは許されません。タイミングはどうあれ、答えはひとつの真実という形に収束するからです。

これは「明言を避ける」ことの危険性を示しています。ビジネスにも通じることだと思います。


言い切りの姿勢を持つ

日本語は特に「責任回避」の言い方(緩衝表現)が根強いようです。言葉にすると「思われる」「らしい」という表現です。

表現のひとつに「鮮明でない言葉はフランス語ではない」がありますが、対比して「はっきりした表現は日本語ではない」と本書では例えました。

欧米は「契約」を文化にして社会を形成してきた訳ですが、日本は「感情」を文化にしてきた。どちらの良し悪しまでは決め切れませんが、理科系の文書においては、欧米型の考え方が大事なのです。

英語の文章は、明確に書くこと、曖昧な点を残さずに書くこと何よりも大切だ。何事かを書くときに、多少ぼかしておく(いわば余地を残しておく)ほうがいいと思う場合があるかもしれない。しかし、英語で書くときにはこれは許されないのである。文を書くたびに「この分は正確にいうと何を意味するのか」を自問することを勧める。もしこの問に答えられなければ、その分は省いてしまうほうがいい。

イギリスの理論物理学者レゲットのエッセイより

自分もこれは思い当たる節があります。そもそも英語と日本語は言葉の順序が逆になりがちです。前回も書いたように、全文に目を通さないと内容が理解できないという書き方は、まさに日本語に特有の問題と言えます。

間違えた時を想像するとなかなか怖いですが、明確な姿勢を気張りながらも持つこと。時には意識する必要もありそうです。

誤解を生まない言い方を意識する

文章を書いたときに、これで誤解されないかという意識が度々芽生えます。自分が恐怖心を持ちがちだからかもしれませんが、誤解のリスクを読み返しながら排除する癖は付いていると思います。

そのための王道的なテクニックとされるのは、文章中で「意見」「事実」を区別することです。

何か意見を言うときには、自身の姿勢(心構え)も大事ですが、客観的な事実をベースに論理立てられた内容を話すことが遥かに重要です。ただし、自分自身の思い込みから意見を述べてしまうこともあるので、注意したいところです。

天才は別として、常人がスッキリと筋の通ったものを書きたいなら、自分の書いたものを厳しく見直す能力と何度でも書き直す根気が必要である。

まんがでわかる「理科系の作文技術」の台詞より

本に実際に書いてあったことではありますが、自分が学生時代に論文書いた時もそうでしたので、何度も見直すことの大切さを改めて実感しました。

そのための基本として「誤解されない言い方」を意識したいです。誤解のリスクを最小限にするための文章(術)とは何かを考え続けながら。

おわりに

今回は2回に分けて「理科系の作文技術」に対する感想を書きました。文書作成は今では自分自身の仕事の話にも繋がることが多いので、自分事で多くの振り返りができました。

普段からブログとして書いている文章でも、何かと活かせる話題が多くありました。エッセイについては「結論」「道筋」を決めてから書くことの意識付けなどです。

全ては量と質の両方を担保するための文章(術)を目指して。今後に活かせそうな話でした。

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最後まで読んで頂き、ありがとうございます。この記事があなたの人生の新たな気づきになれたら幸いです。今後とも宜しくお願いいたします♪♪
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