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私のうつ病の記録

私にとって「うつ病」はこれまでの人生(経歴)を語る上で重要なことです。うつ病を経験したからこそ、自分の立ち回り方が自然になれたと思います。

つまらない虚栄心が自分を不幸にしていく。人からの評価を気にしすぎて、偽りの自分を演じて、周りに対して壁を作り続けてきました。

今でも、時に「よく思われたい」という気持ちから、周りに対して壁を作ることがあります。その度に「ありのまま」を思い出すようにしています。

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最初の入り口は適応障害だった

初めてうつ病を発症したのは、大学院に進学した2年目のころ。当時は大学での研究と塾講師のアルバイトを両立させていたのですが、どちらも中途半端でうまく事を進められず、心身ともに疲労がピークに達してしまいました。

その後、心療科のカウンセラーから「適応障害」と診断されました。

どちらでも周りの評価を気にしすぎて、徐々に心が潰れていきました。研究はもともと好きでしたが、厳しい評価を受けることもありました。もっと頑張らないとと奮起していたのですが、同時に心身の疲労が蓄積していることから、目を逸らしていたように思います。

時間の経過と共に鎮静化したので、もう大丈夫と安心していました。ところが、就職後にさらにひどい状況で再発してしまいます。

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就職後に本格的なうつ病を経験する

会社は体育会系の雰囲気ではありませんでしたが、日々積み上がるノルマをこなしているうちに、次第に追い詰められていきました。厳しいコメントを頂くことも多かったです。

周り(同期など)に負けないためにも、ここで踏ん張らないといけない。そんな思いで発破をかけ続けてきましたが、次第に限界を迎えてしまいます。

今度は心療内科を受診して、本格的に「うつ病」と診断されました。それを受けて会社は休職することに。

復職までに1年と半年ほど要しました。それから5年ほどが経過して、上司にも恵まれたことで、ようやく元の日常を取り戻すことができました。

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いま振り返って思うこと

周りの評価を気にすること。これは私の中で長年かけてこびり付いた、ある種の性質かもしれません。

以前に自己分析をセッションとして行っていただいたことがあるのですが、そこで「周りに褒められたい」というのが私の人生での軸であることを知りました。

最初は両親の評価を気にしていました。それがやがて先生や上司、周りに対して同じ感情を抱くように。全ては褒められたいという自身の軸が暴走した形でした。

実社会はひとりでは生きていけません。なので、周りの評価を気にすることが全て悪い訳ではありません。頑張るという活力にもなりますから。

ただし、私の場合は周りと自分を比較して、焦りから虚栄心を振りかざしていたことが問題でした。いま、冷静に振り返るとそう思います。

まさに「ありのまま」の自分で在り続けること。現在の自分を偽装したりせずに、自然体の自分で勝負するということです。そうしたら、肩の荷が降りたような感じになりました。

うつ病を治すというより、自身の価値観を変えた。それが私のうつ病を乗り越えたきっかけでした。

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おわりに

今回は私がうつ病になるまでの経緯について書いてみました。個人的にはかなり勇気の必要なことでした。あまりポジティブな話でもないので。

今回の虚栄心を振りかざすことの他にも、うつ病になる要因はありました(単に打たれ弱いことなど)。今回はその中のひとつに着目して、自身の体験談として書いてみました。

人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患う。

論語に記されている言葉です。人から自分がどう思われているかを気にするより、あなたが人の心を見抜けないことを気にしなさい、という意味だそうです。

私もこのことを念頭に置いて、引き続き頑張りたいと思います。

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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。なるべく毎日更新する気持ちで取り組んでいきます。あなたの人生の新たな1ページに添えたら嬉しいです。何卒よろしくお願いいたします。

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