artel

洋画家、芸術療法士。 大好きだった心理職は、組織の辛さが極限になり辞職。 絵を描き続け…

artel

洋画家、芸術療法士。 大好きだった心理職は、組織の辛さが極限になり辞職。 絵を描き続けつつ、強い不安感と重い感覚に包まれながら生きている自分は、なぜこうも苦しいのか。 日々を猫たちと綴っていくことで、どこかに軽やかな光が見えるのならば。

最近の記事

樹々を描いている。 油絵のご依頼をいただいた方に、描いている。 わたしを唯一、生かしてくれるものだから。

    • 魂は、いてくれるのでしょうか。

      出逢ったのは昨年の暮れ。 自分自身の「 油絵個展 」開催の時。 私はといえば、次々と来て下さるお客様に、お礼を言うだけで気持ちが持っていかれるほど、いっぱいの状態。 世の中がクリスマスの世界に覆われて、独特な密室空間を作り出していた頃。 その女性は穏やかに佇んで、涙ぐみながら私の絵を見あげている。 「どの絵も、涙が出てきます」 そう言いながら、こちらに振り返る。 同じ都区内に暮らしていて、猫が大好きで、ヴィーガンではないけれど野菜が好き。 彼女はベージュの素朴なワン

      • 生きる力

        深い樹木の森は淡いエメラルドグリーンで、 セルリアンブルーで、 絵を描く自分の魂は、 いつもそこで少し笑って、じっと佇んでいる。 その森の中に立っている時だけ、 ようやく自分に辿り着き、 内省の世界にたゆたうことができる。 森の外はしんどくて、 できない自分が常に生きていて、 身体の不調も絶え間なく主張してくるものだから、連動して精神の不調にも波及してくる。 天界から降りてくるもの、 若かった母との光の時間、半年しか生きられなかった犬、まるで前世ほども昔の記憶。 生

        • 死なないように

          いっけんすると、「普通に」人と笑って話すことができて、社会の中で生活ができているけれど、死にたいと思いながら生きている、私のような人間は、どうにも面倒くさい。 いい加減にしろよ。 スーパーで、小さい人が泣いて、母親に叱られているのを見て、その涙ながらの顔を見て。 自分の心を悲しみでいっぱいにして、一緒に泣くのは、やめろ。 トランスジェンダーの芸能人が自死をしたことを知って、さめざめと泣いて、何も手をつけられないくせに、何事もなかったかのように夕飯の支度をするのは、やめろ。

        樹々を描いている。 油絵のご依頼をいただいた方に、描いている。 わたしを唯一、生かしてくれるものだから。

          罪の漂う

          重い。 とにかく重い。 何がって、写真がびっしりと詰め込まれた「アルバム」である。 長年、両親の家にあったものを、わたしが預かることになった。 大きな紙袋にして、17個ほど。 唖然としつつ、寝室の床に並べられたそれらの塊は、様々な意味で重い。 目の前に、どっかりと鎮座するそれを、見たり見なかったり。 静止ができない。 まずは、よくここまで持ってきたものだと、我ながら褒めてみる。 わたしたちの子ども時代の写真はもちろんのこと、そんなものはあっけなく飛び越えて、両親の

          その時を待つ

          画家として、絵の注文をいただけることは、幸せです。 画家として生きるようになってから、絵の注文が途切れたことは、1度もありません。 絵の注文をいただいたからには、ご希望に添えるよう心を込めて、誠実に、真摯に描いて、お渡しをするのみです。 いつも思います。 だから、描けないままで放置は、絶対にできません。 絵の注文が来るから、死ぬのを延期しよう。 注文がなくなった時、タイミングをみて死のう。 でも、まだ注文は、途切れません。 いつ、死ねるのでしょうか。

          その時を待つ

          精神が壊れる一端

          素敵な唐の椅子は、祖母がいつも座っていたもの。 「よく来たね」と言ってくれて、「待ってたよ」と言ってくれて、わたしの名を呼んでくれた、あの祖母が、いつもいつも座っていたもの。 曲線が美しいアンティーク風の箪笥は、わたしが高校生の頃、母が買ってくれたもの。 自分の部屋にあって、見ているだけでたのしくて。 1番上の段には、友達からの手紙を入れていた。 物に執着するということと、物に心の支えを見いだすことは、違う。 ましてや、愛すべき物ならば。 それらを「捨てないで」と言って

          精神が壊れる一端

          情動

          小学生のわたしが、泣いている。 みんなは、どうしてみんなで一緒にいられるの? 自分はどうして、広い校庭で1人なの。 頭にボールを強くぶつけられて、泣いている。 驚いてうずくまるわたしを見て、みんな笑っている。 どうしてみんな、笑えるの? 下校の時間がやっと来て、涙のあとが頬に残り。 下駄箱には、靴がない。 裸足で泣いて、道路を歩く。 母もさぞ、悲しかっただろう。 腹が立ったことだろう。 でも、学校は絶対に休ませてもらえなかった。 そんな時代。 わたしはすっかり気も強

          クラウス・ノミ

          歌う姿だけを見るならば、このコスチュームの人物は、一体何者なのかと少し心がザワつくだろう。 悪魔的に過激で、衝動を音にぶつけるような、怖い雰囲気の表現者だろうか。 今となっては、たとえ彼がそうだったとしても、好きになってしまっただろう。 クラウス・ノミを愛する世界中の人が、彼を思う時、寂しさ、悲しみ、痛み、孤独や愛おしさを抱くのだ。 笑うと、実にあどけない少年のようだし、メイクをしていない彼の姿は、生きた天使のようだ。 実際に彼は、真っ直ぐに生きていた。 まだ今ほど

          クラウス・ノミ

          光の粒

          おおよそ幽霊とか、謎の妖怪みたいなものと遭遇しそうな夜の森に、わたし達はゆっくりと進んで行く。 今朝から降りしきる雨が夕方には止んで、足元の土は柔らかく、湿気を感じる。 森の中全体が、湿度と湯気をまとって、ふくふくと湧いている。 日々LEDの猛烈な光に晒されている目と脳は、この暗闇を切望していたのだ。 まさしく、暗闇。 どこを見渡しても漆黒。 だけど天井には星がはっきりと見えた。 「人間には、この黒い世界が必要なんだ」と友人が言う。 写真家の彼女は、ホタルを撮影す

          厭世観の海

          ゼロか100かの感覚が、自分にはどこか備わっているらしい。 普段は、じつに穏やかで静けさを好む、内省的な人間。 自身を最大限に良く見積もるとしたら、そんなふうに思うのだけど。 一方では、短絡的で激しい側面を持つ自分に、とても幻滅する。 元来、"落雷が頭上に落ちて来る"ような感覚でショックを受けやすい。 これもエンパスのなせる技か。 事件が起きると、振り子の針がバーンと振り切られて、心の計測が不能な状態になる。 そして、嗚呼またかと思う。 またこんな極端なことをしてし

          厭世観の海

          独り言は届かぬが

          これは、じつに愚かで短絡的なあなたへの、わたしからの独り言です。 容赦のない猛毒が1滴、いや2滴ほど沈んでいるかと思います。 独り言だから、あなたには残念なことに届きませんが、わたしの強大にして深すぎる想念が、気付かぬうちにあなたのすべてを包囲してしまったとしたら、 それはそれで良いかもしれないと、毒をたらした本人は思うところです。 あなたは、さしずめ"机上のお勉強"を精一杯に頑張って、数ある試験に合格なさったのでしょう。 そうです、精神科医というのは、患者の心をみる

          独り言は届かぬが

          身を守る服を持たないわたしたち

          「偏見、差別はいけない」と、世の中でよく言われる。 では実際にそんな場面に遭遇したことが、あるだろうか。 誰かが誰かを「偏見、差別している」場面を、見たことはあるだろうか。 精神障害を持つ方々の面談や自立支援を、長く仕事としていた頃、わたしは彼らのことが大好きだった。 統合失調症で幻覚や幻聴に苦しみ、つい「幻聴さん」に話しかけてしまう人たち。 体感幻覚が激しかった女性は、普段とても穏やかで優しい人だった。 けれど、身体がひとりで「吹き飛ばされていく」様は、本人でなくと

          身を守る服を持たないわたしたち

          その前に人間である

          ノンバイナリーである前に、人間である。 それだけでもう、いい加減に十分だ。 今となっては、誰かに理解されたい訳でもない。 けれどクローゼットの奥に隠したい訳でもない。 男性でも女性でもない己の性を、他者に言い放つことで、その相手を困らせたくないだけだ。 女性ではないのに、世間から当たり前のように女性として扱われてきた己の道程を、今さら「苦しくて辛くて我慢ならない人生だ」と言ったところで、実際何がどうなるというのだ。 「自分を女性扱いしないでほしい、なぜならば女性ではな

          その前に人間である

          終わらないものがたり

          あなたが、もうこの世にはいないので聞くすべもない。 わたしはというと、今もこうして生きている。 辛いだの苦しいだの、悲しいだの傷付いただのと、口の先で言い放っては涙を流しながら、それでもこうして生きている。 先に逝った者は心象となり、守り神となり、傾聴者になる。 最近、わたし達とよく似た2人のことを綴っている文学を知ったのだよ。 男女の恋愛しか許されなかった時代に生きた、2人の人生の話しを。 あなたが今も生きていて、あの時のように甥や姪に囲まれ、弟夫婦の家に身を寄せ

          終わらないものがたり

          光の方へ

          「この職場を去って良いのだ」 そんな決定打を、心臓の爆音とともに噛み締める。 誰も悪くない。悪者なんていない。 いや、そう考えようとしているだけだ。 人のせいにする自分が嫌だから、そう考えようとしているのだ。 そして、そんな自分も嫌になる。 今は、強度のHSPだとわかった自分を、 この特性のおかげでこんなにも自身を追い詰めてきたのだということを、大事にやさしく木綿の布か何かに包んで、守ってやりたいのだ。 これまでの社会人としての決して短くはない時間、本当にお疲れ様