厭世観の海
ゼロか100かの感覚が、自分にはどこか備わっているらしい。
普段は、じつに穏やかで静けさを好む、内省的な人間。
自身を最大限に良く見積もるとしたら、そんなふうに思うのだけど。
一方では、短絡的で激しい側面を持つ自分に、とても幻滅する。
元来、"落雷が頭上に落ちて来る"ような感覚でショックを受けやすい。
これもエンパスのなせる技か。
事件が起きると、振り子の針がバーンと振り切られて、心の計測が不能な状態になる。
そして、嗚呼またかと思う。
またこんな極端なことをしてしまったと、深く苦しむ。
事件とは、そのほとんどが身近な人(家族)との摩擦。
では、何をしてしまうのか。
計測不能に振り切れた針のたどり着くところ。
それは、すなわち「家出」をすることだ。
とはいえ、今までただの1度も野宿をしたことはない。
どこまでも歩き、バスに乗り、
見知らぬ駐車場の裏地に立つこともあれば、
その先疲れ果てて普段なら入らないような、
扉を開けるのにも躊躇するような喫茶店に、堂々と入って行くこともある。
今の自分には、こんな店が似合いだというふうに。
野宿だってかまうものか !
(こんな時の気だけは強い)
どうせ死ぬのだからと地獄の沙汰を勝手におびて、コーヒーなどを注文している。
「本当に死ぬ人間には見えないよ」と、自分からのツッコミが後頭部のあたりから聞こえてくる。
小学生が、お母さんに追いかけてきてほしくて、かまってほしくてやる、プチ家出と一体何が違うのか。
否、まるで違うことだけはわかる。
この状態の時の自分は、本当に死に場所を探している気がする。
厭世観を内包して希死念慮を友とし、普段は他者と笑いもすれば、美味しいものを食べもする、そんな自分なのだ。
かつて職場の、臨床心理士の上司は、精神障害を抱える方々との面談をする仕事の際に、「相手の生育歴を掘り下げたって意味が無い」と言った。
私は、そんなふうには思わない。
全てに当てはまらぬとも、生育歴がその後の人生や思いぐせ、自動思考に何らかの影響を与えていることがあるのだから。
私が時に、すぐ破滅的になり、自爆衝動にかられるのは、まさに幼少の頃、父から受けた精神的、身体的暴力のせいだと思っている。
父は晩年こそ優しく穏やかではあったものの、それまでは家庭の中で恐怖政治をかざし、男尊女卑の王であり、下僕の母とわたしは、いつも顔色を見ながら怯えていた。
母はひどく殴られたし、私は大きな時計を頭から振り下ろされて、血が流れた。
毎晩のように皿が飛ぶ。
窓に向かって1枚ずつ投げるからだ。
父と母は、大学時代の先輩と後輩だった。
古い写真の中では二人とも、同じ教授のゼミで笑っている。
いつ何時、物が飛んできてもおかしくない、ぶっ飛ばされてもおかしくない。
怒鳴り声は、毎日聞いているのに慣れることがない。
一方で、小学校では、来る日も来る日もいじめに遭い、上履きは便器に刺さって発見される。
校庭ではどこからボールが飛んできて、突然後頭部に激しく当てられる。
身体と心のショックでうずくまると、笑い声がしている。
トイレに入ると、決まって上からホースの水。
身体と心が衝撃を記憶している。
その記憶の恐怖を、いつまでも刻んでいる。
こんなに大人になっても。
破壊と暴力、そして受ける衝撃と苦痛。
いつもそこがゴールだから、そこに行かないと収束しない。
今も、何ひとつ変わらない。
大きな叫び声、血を見る暴力、泣き狂って、壊れていく自分。
自らそうしたものを呼び起こすことで、収束させようとしている。
他に、収束の仕方がわからないからだ。
いつだって、そこに引き戻される。
呼び起こすのも、引き戻されるのも、自分。
阿鼻叫喚地獄を炸裂させるのは、自分。
認知行動療法?
そんなもの、いらない。
厭世観に希死念慮。
やぶれかぶれのくせに敏感。
だけど、
そんな「入口と出口が同じ場所だった」ループにも気づいているから、救われる日がいつか来るのだろう。
そして今日も、生きていく。
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