見出し画像

身を守る服を持たないわたしたち

「偏見、差別はいけない」と、世の中でよく言われる。
では実際にそんな場面に遭遇したことが、あるだろうか。

誰かが誰かを「偏見、差別している」場面を、見たことはあるだろうか。

精神障害を持つ方々の面談や自立支援を、長く仕事としていた頃、わたしは彼らのことが大好きだった。

統合失調症で幻覚や幻聴に苦しみ、つい「幻聴さん」に話しかけてしまう人たち。

体感幻覚が激しかった女性は、普段とても穏やかで優しい人だった。
けれど、身体がひとりで「吹き飛ばされていく」様は、本人でなくとも"霊に怖いことをされている"と感じてしまうほどだった。

もともと持っている鬱が、とくに寒い季節になるとさらに重くなることを「知っている」人たちは、秋が深まってくると自ら様々な"準備"を始める。

アスペルガーや、パーソナリティー障害の人たちは、もつれにもつれた細い蔦がからまって、自身のままならぬ心を、これでもかと縛り上げているかのようだった。
それは簡単にほどけるものではないだけでなく、他者と関わるごとに、その枝を複雑に伸ばしてしまうように思えた。

「彼ら」と言うと"彼ら側"と、支援者である"こちら側"を、壁で仕切っているように伝わる。

けれどもわたしはあえて、
尊くも素晴らしくも、戦時下を泣きながら、暴れながら、そして1歩も動けない石になりながら、自身を表す言葉という言葉を根こそぎ奪われながら、なんとかその日一日を生きようとしている、まったく人間らしい愛すべき同士としての彼らを、心を込めて「彼ら」と呼ぶ。

人間というものの根源を思わずにはいられない、彼らと生きたあの時間が、わたしの生きた時間でもあった。

数年後、
女体ばかりを油絵具で抽象画として描き続け、待合室と診察室に、隙間なくそれらを飾る80代の医師から、わたしは"反応性鬱病"という診断名をもらった。

「頭の後ろから白い湯気が出て、シューと音を立てている」感覚を、その時はじめて体験した。

精神科医の彼は、ゴッホが大好きだったので、「遊びにいらっしゃいよ」と言う彼に促されて、休診日に絵や画家について、精神の病というものについて、多くを話しに出かけて行った。
これは明らかに女性の膣を描いているよなぁ、というカラフルな絵を、右の視野に感じながら。

同時に、
わたしがこれまで関わらせていただいた、精神障害を持つ人たちが、市町村役場において、どれほど差別と偏見で苦しめられ、馬鹿にされ、泣いてきたかも、身をもって知るところとなった。

それは、1年間だけ「自立支援証」の交付で受診の支援を受けるために、精神障害の人たちだけが手続きをする窓口へ行った時であった。

それまでは精神障害の人たちに対しての仕事として、福祉のスタッフとして、手続き業務のためによく出向いていた場所。
でも今は、"当事者"としてそこに立っていた。

全ての人がそうだとは言わない。
しかし、わたしの他に来ていた障害のある方々に対して、どの職員もあからさまに尊大で意地が悪かった。

知的に障害があるとわかる方からの素朴な質問に対しては、演技のような無視を決め込み、上から見下す「もの言い」と態度をとっていたのは、今思い出しても辛い。
そしてもちろん例外なく、わたしも職員たちからは、辛辣極まりない態度と言動を浴びせられた。

深く傷ついただけでなく、底知れぬ怒りのエネルギーで、役所の建物を爆破させてしまいそうだった。

気付けば、「そのような言い方や態度は、あまりにも酷いです!」と、言い放っていた。
しかし職員達は、頭のおかしい奴が何かわめいて騒いでいる、と思ったらしくニヤリとほくそ笑んで、互いに合図を送り合っているだけであった。
こんなことが、ここでは常態化しているということが、すぐにわかった。

ああ、わたしはこれまで大好きな彼らと分かち合えていると思っていた。
でも、こういうことだったのか。
こういうことだったのか。

人間は、心が壊れてしまった時に、
根源的なものに還り、
普遍的な魂にたどり着くように思える。

誰しもが壊れる。

ひとり、路上でむせび泣く時がある。

わたしは、自身がそうであるように、
弱く苦しんでむせび泣く人の方へと、これからも行きたいのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?