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罪の漂う

重い。
とにかく重い。

何がって、写真がびっしりと詰め込まれた「アルバム」である。
長年、両親の家にあったものを、わたしが預かることになった。

大きな紙袋にして、17個ほど。
唖然としつつ、寝室の床に並べられたそれらの塊は、様々な意味で重い。

目の前に、どっかりと鎮座するそれを、見たり見なかったり。

静止ができない。

まずは、よくここまで持ってきたものだと、我ながら褒めてみる。

わたしたちの子ども時代の写真はもちろんのこと、そんなものはあっけなく飛び越えて、両親の大学時代(同じ大学だった)、更には子ども時代、さらに時空を超えて、祖父母の学生時代まで残っている。
もはや現実味のない、前世ほども昔のようなその世界に、圧倒されて引き込まれ、しばらくは帰還できない。

16歳になる姪は、
この中にある写真と添え書きを見て、おいおいと泣いた。

当時3歳の彼女を捨てて出て行った、若い母をそこに見つけたからだ。

彼女の父親であるわたしの弟は、彼女がある程度大きくなる時まで、それらを見せまいと、しまっていた。

こういうのも、パンドラの箱というのだろうか。

若い母は、赤ん坊の彼女を抱きしめ、笑っている。
「わたしの大事なベビー」と書かれていた。
「わたしを母にしてくれて、本当にありがとう」とも。

イタリア人の母の、拙い日本語の文字。

わたしは、お母さんから愛されていたんだ、と声なくして、さめざめと泣く姪を前に、わたしは「そうだよ」としか言えなかった。

一人の人間のアイデンティティを根付かせるものは、一体何だろうか。

16年間、自分の母の写真を隠していた父親。
初めて見る、母の顔。
抱きしめられている、自分。

いや弟よ、君だって、別れた人の姿を見たくなかったから、しまっておいたのだろう。
そして、それを静観していた、わたし。

憎かった。
二度と顔を見たくないとも思っていた。
「子を産めば、日本の永住権が得られるから」と言い放ったあの女が、心底嫌いだった。
床を這う赤ん坊の我が子に、パンくずを投げて拾わせては、笑って見ていた、あの女が。

けれど、姪が育んできたであろうこれまでの自身のルーツに、人生に、母親の姿や言葉が全くなかったこと、故意にそれらを奪って消していたことは、どうやって考えれば良いのだろう。

姪が泣く姿を見て、はじめてそんなことに気づくなんて。
嗚呼なんということをしたのか。
なんということを、してしまったのか。

姪は、あまりにも繊細で、敏感な少女に育った。
周りの状況を瞬時に把握して、感情をコントロールして、中学生の時、精神を病んだ。

アルバム以上に重いものが、わたしの頭上に降りてきた。
手錠こそされはしないが。
わたしはもう、罪の深淵をまとってしまった。

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