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魂は、いてくれるのでしょうか。

出逢ったのは昨年の暮れ。
自分自身の「 油絵個展 」開催の時。

私はといえば、次々と来て下さるお客様に、お礼を言うだけで気持ちが持っていかれるほど、いっぱいの状態。
世の中がクリスマスの世界に覆われて、独特な密室空間を作り出していた頃。

その女性は穏やかに佇んで、涙ぐみながら私の絵を見あげている。

「どの絵も、涙が出てきます」
そう言いながら、こちらに振り返る。

同じ都区内に暮らしていて、猫が大好きで、ヴィーガンではないけれど野菜が好き。

彼女はベージュの素朴なワンピースから覗く小さな手を快活に動かしながら、丸い目をいっそう丸くして笑い、けれどとても穏やかに、静かに話している。
小学生の女の子のようなおかっぱ頭で、それが彼女の表情に似合っている。

ああこの人は、自分の時間にいつもゆとりがあって、好きなことを楽しんで毎日を暮らしているのだな、という印象を得た。
きっと心のやさしい人なのだろう。

それから1年は経っていないものの、翌年の10月末、その彼女からメッセージが来た。

「お会いしたいです」

少し驚いたが、きっと良い時間が過ごせるに違いない。

食事をしながら、彼女が教えてくれたこと。
今、一人暮らしだということ。
猫の家族が3ついるということ。
そして、21歳の娘がいる、ということ。

お子さんがいたのですか、しかも成人しているお子さんが。
全くそうは見えませんでした。
だって、まだ私よりもずっと若い方だとばかり。

彼女はまた、笑う。
穏やかに、やさしい気体をまとっている。

では、お嬢さんも独立されて、家を出て一人暮らしをされているということですね。
月並みな言葉が出る。

また彼女は、静かに笑う。

食事が終わり、どこかでお茶にしましょうということになった。
素敵なお店があるからそこに行きましょう、と言って歩き出すので、慌てて追いかける。

「 歩かせてごめんなさい 」と振り向く彼女に、歩くのは大好きですと答えると、まぁ良かった!と言う。

横に並んで歩き始めた時、彼女が言った。

「娘は、死にました」

数秒前まで「 娘さんが生きて一人暮らしをしている世界 」を生きていた私は、面食らった。

もう、その娘さんの肉体は、姿は、この世にはなかった。

病気ですか?
いいえ、病気ではないのです

そこから先は、聞かないでおこう。

私の「 油絵個展 」に来てくれた時、
既に娘さんは他界しており、5ヶ月が経っていた。
あの時の、どこか異空間を生きているような、ふわりとした彼女の居方は、もしかするとこういうことだったのか。

「 あなたの絵を見ていると、涙が出てしまいます 」

何度も言ってくれる。
きっとそれは、私自身が深い悲しみの渦の中でいつも描いているからでしょうか、私はそんなことを言った。本当だった。

悲しみは、決してネガティブな要素だけではないし、悲しみを持ち続けて涙するのは、決して後ろ向きなことではないと、私は確信している。
悲しみだけが持つ、他者と生きていける力、自身を生かす力がある。

「 あの子は、私のそばにいつもいる、と感じる瞬間があるのです 」

臨死体験を2度も繰り返した私には、この魂というものが生きて生きて生き続けているということを、どのようにこの人にわかってもらえるのだろうか、という思いでいっぱいになった。

「 あなたにお会いしたかったのは、このことを聞いてほしかったからです 」

私たちは、私たちだけの話しを続けながら、全ての世界とつながっていた。
悲しみはやさしさにつながり、悲しみは人を支え、悲しみは愛にたどり着く。

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