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光の方へ

「この職場を去って良いのだ」

そんな決定打を、心臓の爆音とともに噛み締める。

誰も悪くない。悪者なんていない。

いや、そう考えようとしているだけだ。

人のせいにする自分が嫌だから、そう考えようとしているのだ。
そして、そんな自分も嫌になる。

今は、強度のHSPだとわかった自分を、
この特性のおかげでこんなにも自身を追い詰めてきたのだということを、大事にやさしく木綿の布か何かに包んで、守ってやりたいのだ。

これまでの社会人としての決して短くはない時間、本当にお疲れ様だったねと、言ってあげなくて一体誰が言ってくれるのだ。

それでもまだ今ここで、
わたしは管理者であり、自分よりも若いスタッフを束ね、最期の日が来るまで、責任を持って仕事の遂行をするのだ。

あと少しの辛抱のはずなのだ。

わたしの前に仁王立ちになり、
高圧的に卑下しつつ睨むように、ガサガサした言葉を浴びせてくる、この恐ろしい女性と離れられる日が、あと少しで来る。

いちいち傷付くわたしが悪いのか、
責任者のくせに関わる相手によって萎縮してしまうわたしが悪いのか。

そして毎月怒涛の如く押し寄せる複雑極まりないデスクワークの数々。

ひとつひとつ、踏みしめるようにゆっくりと、
丁寧に掘り下げてしか業務をこなせないわたしが、この情報過多で、期限付きの業務がいくつもある、この現場にいてはいけないのだった。

いよいよ、とうとう、決めたのだ。

もう、組織で働く道を終わらせると。

若くして起業する人達、とうの昔にフリーランスで生きている人達からしてみたら、なんとオーバーで大仰な決断をしているのだと思うことだろう。

けれど組織で働くことが当然だと思って生きてきたこの頭の硬い輩には、この度の決断がとてつもなく冒険であり、ほとほと精根尽き果てて、行き倒れては立ち上がり、ようやく辿り着いた終着点なのだ。

それと引き換えに、可愛い発達障害の子どもたちと離れてしまっても、だ。

嗚呼、子どもたちを思うとやはり悲しい。

賢くも尊い魂を持った清純な彼らは、すぐにわたしを忘れてしまうだろう。

絵本の読み聞かせを熱心に聞く姿、
芸術療法で驚くような世界を生み出して見せてくれた日のこと、
叱った後にポロリとこぼした涙が美しくて胸が痛んだこと、

忘れません。




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