見出し画像

「エレファントカシマシ とスピッツの研究」  (第一回)

 はじめに

 タイトルは、私をドイツ文学の深み(のみならず近代詩人の心の襞)へと誘ってくださった、手塚富雄大先生の名著『ゲオルゲとリルケの研究』に寄せたもの。
 ヒマな方だけ聞いて欲しい、私はこの頃つくづく思う、
二大詩人「ゲオルゲとリルケの関係」は私の青春のバンド「エレファントカシマシ とスピッツの関係」に酷似していると。
 すなわち、この投稿は「エレファントカシマシ とスピッツの研究」と題してはいるが、その反面、この二大詩人、「ゲオルゲ」(Stefan Anton George、以下「ゲオルゲ」と記す)と「リルケ」(Rainer Maria Rilke、以下「リルケ」と記す)についての理解を深める意図もある。
 こう思い始めると、それぞれの心の襞に触れていきたくなる性分が私にはある様で、前掲の『ゲオルゲとリルケの研究』を参考に各詩人、各バンドのアティテュードを感じ取ってみようと試みる。

 「スピッツ」との出会い

 私の青春は90年代のバンドブームにある。物心つくまで、それまでは音楽の時間に担任の先生がラジカセを持って来て、みんなに聴かせてくださったクラシックの有名な作曲家の名曲を聴いて、教科書の歌を歌ったり演奏したりして、それで満足であった。愉快であった。

 だが、どうしたことだろう。小学校の高学年になってクラスメートが何気に口ずさんでいる巷の曲が妙に引っかかる。でも、誰の曲なのか尋ねようと思うほど意識にも上らない、だけど気になっている。

 だいぶ経って、『THE夜もヒッパレ』という番組を家族で何気なしに見ていると、あ、出た、この曲だ!

チェリー/スピッツ

  この歌番組は、本人が歌うのではなくて、他の有名人が自分流にアレンジして熱唱する。
 この頃、未だにスピッツ本人が歌ってるこの「チェリー」なる曲を聴いたことがない。
 クラスメートの歌声と「THE夜もヒッパレ」で別の有名人が歌ってるのを聴いただけだが、どうしてもこのスピッツというミュージシャンのCDが欲しいと自分で思った最初の出会いである。それ以前にテレビのヒットチャートを賑わせていて、「いいな」と思う曲はあったし、玉置浩二の「田園」が入ったアルバムはそれ以前に買ってもらってよく聴いていた。
 
 しかし、スピッツを知った時の感覚というのは、ちょっと違った。

        曲そのものが自分の中で浮いていた。

 スピッツの「チェリー」のシングル盤をワクワクしながら買って、家にあったプレーヤーで聴いた。裏に書いてある歌詞カードを読みながら。なんとも不思議な歌詞であった。
 イントロのドラミング、演奏の安定感、ボーカルの声、歌詞の世界観、サウンドの優しさ、メロディーの懐かしさ、子供心に、「プロのミュージシャンを知れた!」と興奮した。


 タイトルの「チェリー」は歌詞の中に一度も現れなかった。
後で購入したシングル「ロビンソン」も同様、やはり歌詞には出て来なかった。

 私はスピッツのアルバムを集めたくなった、1stアルバムから。ロック雑誌のインタビューを単行本化した物を買って読み漁った。

何でこんな曲が作れるんだ?

 「ニノウデの世界」「海とピンク」「月に帰る」「死神の岬へ」不思議でしょうがない、何なんだこれは。でも、心地よい。
 私は単行本の中から、スピッツの曲作りに必要な要素、いくつかの答えとなりそうなヒントを見つけてみた。

ー日本のミュージシャンで共感する人は誰かいますか。
「いっぱいいますよ。エレファントカシマシ は大好きでCD全部持ってますしね。自分たちの世界に近いなあという意味で好きなのはね、ナーヴ・カッツェとジャックス!」
(『スピッツ』1998年7月31日二版発行 渋谷陽一 株式会社ロッキング・オン P7 )
ーブルーハーツに影響されたとこの間のインタビューでも正直に語ってたけれども、それはどういう影響だったの?
「俺がやろうと思ってたことを先にやっちゃった、みたいな。一時バンドやめたのもブルーハーツが出てきたからで。
                (中略)
ただ歌謡を速いビートに乗っけてるっていうのを先にやられたなっていう風に感じて『あー、もうバンドやっても仕方ないからまた別のアイデアでも考えるか』とか思って」
(『スピッツ』1998年7月31日二版発行 渋谷陽一 株式会社ロッキング・オン  P9~10 )
「そういう漠然としたイメージを持った詞っていうのを持ってきて、それを各メンバーが聴いて各楽器でそのイメージを膨らましていくみたいな。・・・・・・パノラマっていうかね、1行ごとに世界がポンポン変わっていくのとかいいなと思うし」
                (中略)
「僕のやり方として、絵描くのと一緒で例えばリンゴっていうものを描くとして、それを油絵の具で描くとした時に、必ずしも赤だけで塗らないっていう。青とか黄色とかも入れていくうちになんかそういうほんとのリンゴの赤っていうのが見えてくるっていうところで、言葉っていうのも全然関係ないようなところからポッと入れたりとか、全然その曲のタイトルとつながらないような言葉とかをたくさん入れて、それで結局タイトルの言葉っていうのは出てこなかったにしてもそのタイトルをイメージさせるデッカいイメージみたいなのが構築されたらなっていう・・・・・・。
                 (中略)
拒否されないために言葉は敢えて誰にでもわかるの使うっていう風にはしてるんですよ。自分にしかわからない言葉とか使ってもいいんですけど、それを誰にでもーだから、聴いて拒否されないような、イヤでもイメージを浮かばせてやろうみたいな。イヤでもトリップさせてやろうみたいなね」
(『スピッツ』1998年7月31日二版発行 渋谷陽一 株式会社ロッキング・オン  P11〜12 )

 デビュー当時から、スピッツというバンド(特に草野マサムネ氏)は積極的に自分達の曲作り観を詳しく雑誌のインタビューに語っているのである。後に私はエレファントカシマシ というロックバンドにどハマりして行くこととなるが、エレファントカシマシ のデビュー当時のインタビューと比べてもみても包み隠さず、「スピッツ」というバンドの芸術観、ロック観を語っているように思うのである。
 そして、最近世界に名だたる詩人の詩を読むに当たって、「リルケ」という詩人に出会い、リルケの詩を読む時、先に引用した草野マサムネ氏の曲作り観が頭の片隅にあった私は、リルケが展開した「事物詩」という詩の形式を割とすんなり受容することが出来たように思うのである。スピッツの詞世界を理解することはリルケの詩世界を理解する助けとなり、リルケの詩を研究することは、スピッツの曲作りを研究することにも通じるのではないか、という漠然とした関連付けからこの投稿は始める。

                              つづく


 



 

 


 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?