【本の街を訪ねて②】命を吹き込まれた本たち
角川武蔵野ミュージアム4階に、世界で初めて「本の街」が出現した。
インターネットがあたりまえに使われるようになり、われわれは情報の大海原を自由に航海できるようになった。
しかし、何だろう。私は不満だ。毎日が不満でしかたない。
SNSは快適で安心。でも、それでいいのかな?インターネットの空間は、たしかに地理的物理的な制約を取り払った。でも、そこでもたらされたのは、本当に創造的な自由だろうか。私は思う。時空を再構築する自由は、ウェブやグーグル、フェイスブックやツイッターによってかえって狭められたのではないか。多くの人は、無限の広がり・瞬時のアクセス・優先度やグループ分けの自動化によって、世界の歩きかたを狭められたのではないか、と。そんな私が訪れた、できたてのところざわサクラタウン。
松岡正剛館長推高25000冊図書が、誰にとっても身近な9つのカテゴリー(書域)に分類されている。さらに指げられた大小キーワードで採ると次々つながり連想本が楽しめる。
来訪者と本の、新しい出会いの場になるように、丁寧に道案内がなされオリジナルな仕掛けも設えた。縦横自由に出し入れ可能な特性本目も魅力的。
角川武蔵野ミュージアムの本たちは、アートやナチュラルヒストリーや変わったオブジェたちとも共存することになったのである。
ブックストリートの構成も特徴的だ。
エディットタウンの本棚は、ET1「記憶の森へ」からET9「個性で勝負する」までの、9つの「書域」に分かれている。
ET1「記憶の森へ」、ET2「世界歴史文化集」、ET3「むつかしい本たち」、ET4「脳と心とメディア」、ET5「日本の正体」、ET6「男と女のあいだ」、ET7「イメージがいっぱい」、ET8「仕事も暮しも」、ET9「個性で勝負する」である。
この9類の書域には、これまでどんな図書館や書店でも試みられなかった新しい文脈がマルチリレーショナルに躍如する。
さらに、書域はそれぞれ約5の「書区」をもち、その書区にさらに小割りの約10列の「書列」(本棚割り)が用意される。
書列には「エデンの園より」「天体の読み方」「ことばの起源と発生」「ブッダの生涯」「海民と海賊」「大江戸八百八町」「物理学の歩み」といったステップワード(大見出し)と、「46億年をひとっとび」「中国思想はここから始まった」「一度はマルクス」「原子力は禁断の科学か」といったキーフレーズ(小見出し)とが明示され、来館者に目の前の「本の並び」が何を意図しているのか、わかりやすく呼びかけているようにした。
親コードが書域、子コードが書区、孫コードが書列なのである。
これらの本棚はブックストリートの両側に、まるで商店街の大小の店々のように踵を接してゆるやかに蛇行して進み、約2万5000冊の本を収容する。
本が並んでいるだけではない。ストリートの天井からはサインやフラッグや立体ポスターが来館者を誘い、本側の随所には小型モニターが埋まっていて、そのまわりの本に関する情報を手助けするいろいろな動画や画像を見せている。そうとう大胆な構成だ。
なぜこんなふうにしたのかといえば、いくつかの理由があるのだが、主には、第1に本たちを既存の図書分類から解き放ちたかった。第2に「本の賑わい」を演出したかった。第3に来館者の「連想の翼」を広げやすくしたかったのである。
さらに奥に進むと角川関連の文化省積30000冊が主役となる「本棚円形劇場」が開幕、モニタースクリーンも劇的だ。
武蔵野ミュージアム1階にあるお土産やさん。なかなか面白い商品が置いてある。ここでじっくりと値踏みするのも一興。
プロジェクションマッピングかな?1階には刻一刻と変化し続ける本もあった。まさに命を吹き込まれた本のようであった。
外に出て、森の方に歩くと、そこには様々な色で表現されている卵??のようなオブジェがたくさん置かれていた。
チームラボの「どんぐりの森の呼応する生命」というデジタルアートだ。
武蔵野の雑木林を代表するコナラなどの落葉広葉樹の森を、角川武蔵野ミュージアムは武蔵野樹林と呼んでいる。
近くにはカフェもあり、ここで休憩するのも良いだろう。
本棚は背景ではなく舞台の主役。ここは一冊一冊が持ち味を披露する劇場ですよ、ということを伝えている。命を吹き込まれた本のお披露目会場である。
人と本は共存しなければ未来はない。
書籍知の巨人松岡正長率いるどこにもない「本の街」。ぜひ行ってみよう。
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