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思索的なデザイン?スペキュラティヴ・デザインについて考える。

デザインには様々な種類が存在する。今回はスペキュラティヴ・デザインについて少し話そうと思う。

仲介者であるスペキュラティヴ・デザイン

大規模なスペキュラティヴ(思索的)思考は、デザイン思考やソーシャル・デザインとは異なる。

デザイン思考は問題解決に着目する。ソーシャル・デザインは、純粋に商業的な目標から離れてより複雑な人間の問題と向き合う。両者に共通するものは、やはり何かを解決することだ。

一方、大規模なスペキュラティヴ・デザインは、「正式な現実」に戦いを挑む。私たちが「正しい」と思っている現実に「本当に正しいのか?」と問題提起(デザイン)して、一種の反抗を表明するのだ。

スペキュラティヴ・デザインは、アイデアを刺激し、伝染させ、促進し、一歩後ろに下がって価値観や倫理と向き合おうとする。

夢や想像と日常生活を隔てている境界線を取り払い、現実的な現実と「非現実的な」現実との区別をあいまいにする。前者は私たちの目の前に広がっている現実のことであり、後者はモニタの向こう側、本のページの中、人々の想像の奥深くに横たわる現実のことだ。

デザインを通じた思索によって、我々の世界が将来的になりうる多元的な世界に形を与えられる。現在が過去の結果として存在していることは周知の事実だろう。しかし、現在が未来によって、つまり我々の明日への希望や夢によって形成されている、という考え方は多くの方にとって馴染みがないだろう。

デザインを変化と関連して論じるとき、たびたび登場するのが「小突く」という概念だ。デザインは、誰か(例:企業)が望むような選択を誰か(例:消費者)に下してもらえるような仕組みを導入することで、人々の行動を変える力を持っている。たとえば、子供たちにもっと健康的な食事をとってもらいたいなら、お菓子は店の棚の下段に陳列し、ヘルシーな食べ物を視線の高さに持ってくるというものだ。

問題提起へ

実現できる物事の本当の限界は、どういう代案が実行可能か、という人々の考えによっても決まる。

スペキュラティブ・デザインは、実行可能なものからあまり現実的ではないものまで、様々な可能性を具体的な形にし、検討のできる状態にする。

スペキュラティブ・デザインは促進剤でもある。私たちの想像力を掻き立てるのだ。それが実際に実現できなかったとしても、他に実現可能なものがあるのではないかと感じさせてくれるのだ。

スペキュラティブ・デザインは、現実自体だけでなく、私たちと現実の関係についても再考させてくれる。

私たちの頭の中にあるアイデアが、これからの世界を形作る。私たちの価値観、倫理観、固定観念が変われば、今とは全く異なる世界が生まれてくるのだ。

無数の世界

今この地球上には70億人以上が存在する。その一人ひとりが自分だけの世界を持っている。そこは、自分以外の他人が暮らしている世界とは全く異なるだろう。

現実は果たして本当に一つだけなのか。一人ひとりの世界が異なるなら、現実も実は無数にあるのではないのか。

それならば、今私たちの目の前に広がる「現実」とは何なのか。自分の頭を通して見る世界は自分の世界である。客観的に見た「リアルな現実」も実際に存在している。

破壊、守護

デザイナーは大きく二つに分かれると考える。オブジェクトを破壊するデザイナーとオブジェクトの悪い側、つまり消費を促すものを作ることに加担するデザイナーである。

ディ○ニーから、ドラマ、ブランドまで、好む好まないに関わらず、私たちは多種多様な現実のなかで暮らしている。

この破壊する側の中心的存在が「スペキュラティヴ・デザイン」である。破壊という言葉はやや語弊かもしれない。

スペキュラティヴ・デザインを通して、深刻なほど大規模な問題に対して思索を活かし、様々な可能性を提起する仲介者のような存在だと考える。

皆、芸術家

一人ひとりが異なる世界を持っているなら、その世界に遊びに行ってみたいと思う。

多くの人は旅行が好きだ。その一つの理由に違う世界を味わえるからというものがある。実際小説や映画を読んだり、鑑賞したりするのも普段は味合うことができない世界を体験したいからだと思う。

デザインの役割は、そのプロセスを決めることではなく、促すことである。私も自分の世界観を発信したいと思う。それにはもちろん自己満足もあるだろう。しかし、デザイナーとして私は自分の作品を通して、多くの人の独自の世界に何か影響を与えたいと思う。

私の野望は誰かの世界にハルマゲドンを起こしたい。

参考文献

アンソニー・ダン & フィオナ・レイビー、"スペキュラティブ・デザイン 問題解決から、問題提起へ。" 


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