自分を生きること 『ほんとうのリーダーのみつけかた』を読んで
梨木香歩 『ほんとうのリーダーのみつけかた』 岩波書店 を読んで…
大好きな作家さんの一人である、梨木香歩さんの最新刊です。『僕は、そして僕たちはどう生きるか』についての講演やウェブページでの連載が元になった本のようです。
私は梨木香歩さんフリークの一人だ。『僕は、そして僕たちはどう生きるか』を読んだ時、梨木さんの新境地だなと感じた。
個人的には梨木さんの本は、エッセイ集以外は読んでいる。『裏庭』が一番好きな作品だ。
梨木さんのメッセージ性は、「境を生きること、漂うこと、そのなかでいかに自己を保つか?」に通じているように思う。
”リアル”ではなく、”意識と無意識の境”、”現実と異界の境”を生きることについてを書いていると私は受けとっている。そして、境のなかでいかに”自分を生きる”か、臨床家たちの言葉で言えば現実検討をいかに保っていられるか、というメッセージ性も含まれているように感じる。
私としては『沼地のある森を抜けて』から『ピスタチオ』の流れは秀逸だった。『ピスタチオ』は読んでいる間から、震えが止まらなかった。多様性とともに、社会問題だけでなく、”共時性”を物語上に自然に組み込んでいて、私の無意識、自己に揺さぶりをかけてきたように感じたから、実際に震えが止まらなかったんだろう。
梨木さんは、故人である河合隼雄先生に見いだされた作家さんだ。プシケーを読んでいるコアなユンギアンと言えばいいのだろうか…そういう方々はもうご存じの事実だと思う。
私は、彼女は”臨床家”に近い存在の作家さんで、彼女の物語は、”自分を生きること”について常にメッセージ性を投げかけていると感じる。
さて…梨木さんの作品や梨木さん自身について語り始めると止まらなくなるので本題に戻ろうと思う(笑)
個人的に、『僕は、そして僕たちはどう生きるか』は先見の明がある物語だったと感じる。
出版された時代は2011年だったが、連載されていた時期は2007年~2009年まで。
2011年の4月に『僕は、そして僕たちはどう生きるか』に出版されたわけだが…。その前の月には3.11 東日本大震災が起きた時期だ。今のコロナ禍のように日本の社会に大激震が起き、まさに「どう生きるか?」と問われた時期だったように思う。
※以下、『ほんとうのリーダーのみつけかた』より引用あり。
みんなおなじで、みんなあんしん、っていうのが今の日本の空気なんじゃないかと思います。(P12)
あの当時は、”電気を使わないようにしよう”という自粛にTwitter上にいる人が賛同し、世間に広まったり、”原発はなくせ”と今のように社会活動に精を出し始める人がいたり…。
思えば始まりだったのかもしれない。
日本の同調圧力という、悪しき風習、無言のプレッシャーを感じる日々の…と回想する。
ただ今よりも酷くなかったのは、被害が目に見える、関東圏や東北は余震を体感し危機が実感できる(今も続いているが…)、復興に関わろうとすることができたことが影響しているように思う。
私も現地を見に行き、ボランティアに関わっていた1人だが、今回のコロナとはやはりなにか違うと感じる。
世の中の殺伐さがとても気にかかる。
自分のなかの、埋もれているリーダーを掘り起こす、という作業。それは、あなたと、あなた自身のリーダーを一つの群れにしてしまう作業です。チーム・自分。(中略)これ以上にあなたを安定させるリーダーはいない。これは、個人、ということです。 (P29)
(前略)批判精神を持ち、埋もれている魂を掘り起こしてリーダーとして機能させないといけない。そのためには、まずは自分自身で考える、ということが大切です。(P35)
この指摘は、とても的確だと思う。
何かを決定することだけでなく、思う、感じる、想像する…などなど全て自分が主体で、自分がリーダーなのだ。
それを忘れてしまうと、同調圧力に流され、情報過多な社会にも流され迷子になってしまうのではないだろうか。
「え?そうかな?」と思ったことを大切にする。それがあなたらしさを保っていく (P41)
自分をジャッジする視座を外界におかず、自身の内界に軸足をもつ (P54)
だからこそ、この2つの視点は重要だと考える。
疑問をもつこと(時に批判的な視点ともいえるかもしれない)、他者の評価を気にするのではなく、自分が自分をジャッジし、自分を生きていくことが何よりも大切だと私は思う。
流されていくのは楽なことだし、抗わなくていいので、ある種、無駄なエネルギーも使わなくて済むし、なによりみんなと一緒っていうことに安心感を抱くのだろう。
気持ちは想像できるが、私はそれに対して否と言いたい。
自分で情報を取捨選択し、考え、感じ、決断し、表現することこそ、自分を生きることだと思うからだ。
明晰であること、的確であること、必要最低限の描写で表現したいことを余すところなく伝えられるよう努めること……。 (P66)
最後に…。
臨床家としてこの文章が心に残った。
言葉、表現の仕方はとても大切だ。私たちの仕事は人の人生、その人がどう生きていくかに関わっている。
時には黙ること、考え抜くこと、次回に持ち越し抱えることも大切な仕事だと、個人的には思う。
そして、「明晰で、的確で、必要最低限の描写で表現したいことを余すことなく伝えられるよう努める」ことが臨床家としての一つの仕事だと感じる。
臨床家自身が、自分を生きていないとしたら、クライエントに届く言葉や態度はあるのだろうか?
個人的にはないんじゃないか?と思う。
カオナシのような空洞さを感じられ、何も分かってない臨床家として三行半を突きつけられてもおかしくないだろうと…想像する。
どんな世の中であっても、流されず、自分を生きることの大切さに、少なくとも自分は自覚的でありたいと強く思った。
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