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暮らし始めて2ヶ月のキロク

高知に移り住んで2ヶ月。
「移住」という言葉はまだしっくり来ていないくらい軽く住んで働いているのだけど。それでも「ここで暮らしたい」「ここで働きたい」という2つの大きな希望を叶えられているいまはとても幸せな状況だと思う。

四国は梅雨に入り、ここに来た最初の頃のように海へ山へと行けはしなくなった。その分家でゆっくり珈琲を飲んだり本を読んだり日記を書いたりして、自分の現在地について考える時間を持てるようになっている。だから今の自分の思うことを、いくつか記録しておこうと思う。

1.どう考えても楽しすぎる

もともと旅行でこの街に来ていて、「ここで暮らしたい」という気持ちから住み始めた私なので、ここでの生活はそれは楽しいだろうと想像していた。だけど、それにしても楽しすぎる。もともとやりたいと思っていた「土地に根を張る暮らし」みたいなものもできているし、美味しいご飯もお酒も、海も近くのお店も、旅行中にあると知っていたものはすべて満喫できている。予想外だったのは、住み始めてから見えてくるものの豊富さだ。新しく知る場所で新しく出会った人がまた素敵な場所を教えてくれ、その場所でまた別の人が別の素敵な場所を…というループは今のところものすごいスピードで進んでいて、なのに全く終りが見えない。正直小さな街なのですぐ網羅できるのでは、と思っていたけどとんでもなかった。同じ店にも何度も通いたくなるし、そこの人に何度でも会いたくなる。また地元の人達の親切さも予想を超えていて。行く先々で美味しいものを頂いたり貴重なものを見せてもらったり。
予想外だったことのもうひとつは、仕事の楽しさ。私は対人恐怖を抱えていて「人が好き」なんて言う奴の気がしれないと思っていたのだけど、宿で出会うお客さんや、地元の人たちとの会話が楽しすぎて驚いている。私、こんなに人と話すの好きだったんだ!

2.この先のことはまだわからない

移住、という話によく絡むのが「いつまでいるの?」問題な気がする。正直私は今の時点では「高知に骨を埋めたい」とまでは思っていない。それを求められるのだとしたら、正直しんどいだろうなとも思う。
今は「とりあえず1年」という形で家も仕事ももらっているのだけど、その1年を超えたらどうなるのかはほんとに真っ白だ。1年ではとてもこの街を楽しみ尽くせない、もっと居たいと思う自分もいれば、20代のうちに海外も含めて行きたい場所、やりたいことはいくらでもある!と思う自分もいる。
私の場合はこれまでの2,3年間拠点を持たずにふらふらとしていたこともあり、生活も仕事も人間関係も拠点がほしいと思って高知に来た、というタイミングでもある。宿で働いているから、今の私はふらふらと旅をする人たちを拠点で迎え、また送り出す立場になっている。この経験は初めてで、そこに居心地の良さを感じている自分がいる。土地に根ざし、土地のものを食べ、四季を知り、土地の人と関係を作っていくというのはそれ自体がすごく魅力的なことだ。
そのために必要なのは「土地の嫌な部分も知ること」だとよく言われる。長く暮らしていると、自分が受け入れられない部分も見えてくる。それを知ってなお住みたいと思ってこそ、その土地で生きていくことができるのだと。そう言われるとそうなのかもしれない、とも思う。だって今の私に見えているのは楽しいことばかりだ。まるで頭がお花畑かのように、良いことしか見えていない。ただ急ぐこともないのかな、と考えている。そのうちだんだん見えてくるでしょ、嫌なところ。数カ月後にまたnoteで、今度は愚痴を吐いているかもしれない。嫌な部分が見えてくるのも、それもまた面白い体験として見れればいいのだけど。まあそれはその時の私に委ねることにする。

3.車と金銭的な問題

車を買った。まだ来てないけど。この小さな街で暮らしていく分には自転車で頑張れるけど、やっぱり高知県内を広く回りたいな、という思いが芽生えてきてえいやっと買った。ありがたいことに知り合いの知り合いに安く譲っていただけることになり、頼れる相談先が見つかったということもある。これからの梅雨の時期は特に、「車がないから無理」と自分の行動範囲や頭の中のフィールドが狭くなってしまうのが怖くもあった。
車が来たらもっとアクティブに動けるの、とても楽しみではある。一方で、金銭的な問題はちゃんと目前に迫っている。車の維持費、高い……。フリアコよりはとても良い条件で宿で働かせてもらってはいるのだけど、何分週4しか働いていないので金銭面は心もとない。県外へ出たりライブや映画にお金を使いたいとなったら貯金を切り崩すしかない。だからお休みが3日もある今の生活をとても愛しているけど、そろそろ仕事を増やそうかなとは思っている。本来私にとって働くのは楽しいし、仕事で関わりを増やせるのは嬉しいことだ。それを知っているから、疲弊してその気持ちを失わない程度に良き職場を探したい。

4.土地の人と自分から関わっていく、ということ

私が高知を好きな理由の一つに、人のコミュニケーションのとり方がある。主語が大きくなって恐縮なので私の勝手な感想と思ってもらいたいのだけど、高知ではコミュニケーションに摩擦がある、と思う。摩擦があるコミュニケーションは、「そつのない会話」と対になると思ってもらえるとわかりやすい。するするする〜と流れるように続いていくのではなくて、ガッツと引っかかって止まることが多々ある。「えっそれどういうこと?」「違う違う」「そういうことじゃなくて」「そうとは思わないけど」というフレーズをよく聞くし、言葉以外にも聞き手が真顔だったり、相槌が適当だったりして驚くことが多い。私が丁寧なコミュニケーション&そつのない会話育ちだからかもしれないが、高知の摩擦があるコミュニケーションに私はドキッとして、でもそうありたいと思うのだ。

コミュニケーションの違いは徐々に慣れていくもので、時間がかかるとは思っているのだけど、なにぶん私は人見知りなので「うっ…話しかけられない…」となることが割とある。高知に来る前に比べたらものすごく人と話すようになったし、みんなにもコミュニケーション能力が高いとか顔が広いとか言ってもらえてありがたいのだけど、実はかなり頑張っているつもり。私が話せるようになったのは好きな土地で好きな人達と生きているからで、土地や人への興味が尽きないからだ。だから話したい!もっと人と話したい!…と思いつつ、今までの人見知り人生で語彙が培われていない問題に直面している。世間話をしたいけど、どんな言葉をかければいいのかとっさに出てこないのだ。私がうまく会話を広げなかったお客さんが、宿のオーナーとすごく楽しそうに話している姿を見ては、自分の経験不足にちょっと落ち込む。そんなことを繰り返しながら、どうにか喋れる機会を増やしている日々だ。でも摩擦のあるコミュニケーションの高知、どもろうが詰まろうが「なにか喋ろうとしている」と相手に伝わることに意味がある、と気づいてきた。私はあなたと喋りたい、そういう姿勢をカッコつけずに見せていきたい。

5.「文化」に触れる機会。そういう話をする人と会う機会

この街には映画館がない。というか高知に毎日上映している映画館は1館しかない。私はミニシアター系が好きなので他に4つくらい劇場があるのは嬉しいのだけど、そこは月に2回とかしか上映していないし、近くもないので映画を見るハードルが高い。これは田舎あるあるなのかもしれず、私の地元と対して状況は変わらないのだけど、やっぱり映画については東京や仙台が恋しくなる。あとは本。本屋さんがない…。県内には立派な図書館が増えているし高知市にはおしゃれな蔦屋書店もあって最高なのだけど、これもやはり近くには少ない。それはどういうことかというと、周りで話の合う人を見つけにくい、ということでもある。
私が大学を卒業してすぐこっちに来たというのもある。大学とこことでは話題が全く違う。好きな本について語ったり、社会問題について意見を交換したり、映画をおすすめし合ったり…そういう私の一面が、そろそろ錆びつきそうである。毎日旅人と話し地元の人と酒を飲みスナックで歌い休日には山や海や川で遊んでいたら私の中の文学少女が流石にブチギレそうになったので、慌てて映画の時間と読書の時間を増やした。増やしてみると、やっぱり映画や本でしか取れない栄養があることに気づく。日々地に足を着き顔の見える人たちとともに生活を営みながら、目線や頭の中をどれだけ広くしておけるか。それが今考えていることだ。

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