アレな東大生 &

アレな東大生のアレなエッセー。 アレ。アレ。

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最近の記事

お知らせ

日頃より投稿を読んでくださっている皆さま、いつもありがとうございます。 読んでるよ!などとご連絡をいただくこともあり、そのようなときはとても嬉しい気持ちになります。 ありがとうございます。 これから4週間と少しの間、試験を受けたりしなければならず、一時的に投稿をお休みさせていただきます。 また再開する際にご連絡させていただきます。 よろしくお願いいたします。 Source of photo: https://stories.freepik.com/

    • 悩みすぎて眠れない夜に。

      悩まなくていいことに悩みすぎてしまう時がある。 切り替えがうまくいかないというか。 感情に流されるままになってしまう。 やるべきことはわかっているんだけど、切り替えができない。 そんな時は思い切って辞める。 気持ちを無理に切り替えようとはしない。 ただし、二つルールを作る。 一つ、大好きな人と時間を過ごすこと。 一緒にいると落ち着く人、親しい人。 誰でも良いけどなるべくポジティブな気持ちになれる人がいいと思う。 もう一つ、全て肯定すること。 どんな話にな

      • 完璧は求めない。

        完璧は求めない。 僕は決断をするとき、行動するとき、完璧を求めないようにしている。 それより反応を見て反省することにエネルギーを割いている。 これは何も仕事だけに限らない。 例えば人との会話や人間関係なんかでもそう。 なんでも迷いながら恐る恐るやることはうまくいかない。 なんか説得力が無くなるからだと思う。 なんでかよく分からないけど、思い切りがないことは響かない。 不思議なんだけど、事実。 だけど、失敗したくないし、恥ずかしいし、嫌われたくない。 これは

        • 食事も情報もバランス重視。

          見たくないものも時に見るようにしている。 人間の心というのは不思議なもので、無意識のうちに自分の都合の良い情報ばかりを処理している。 自分が見たいもの、心地よいもの。 意識してないとそっちばかりに偏る。 これはこれで別にいい。 問題なのは偏食ばかりしていると、せっかくの機会を奪ってしまうということ。 僕たちがまだ知らなかったおいしい食べ物があるのに。 それを食べるチャンスもある。 それでも僕たちはよくそのチャンスを逃してしまう。 日常の色々な場面でそういうこ

          世を渡る。

          世の中には二つの稼ぎ方がある。 一つはフリーとして稼ぐこと。 コピーライターやアーティスト、芸術家なんかがそれにあたる。 もう一つが組織人として稼ぐやり方。 昔から今に至るまでこの二つのやり方しかない。 どちらを目指すかは人それぞれ。 どちらにも良いところもあれば、やだなと思うところもあると思う。 一般的にはフリーは天才でないと務まらないイメージであり、組織人は理不尽な人間関係含めうまく立ち回ることが求められる。 素質としてはそうかもしれないが、その軸だけで「

          がきんちょから学ぶのさ。

          子供の無垢さに触れる。 僕は子供たちが大好きだ。 子供に会うと自分が忘れていた感情、空気、情熱を取り戻すことができる。 彼らは純粋だ。 だから何にでも染まる。 可能性は無限大だ。 なんだってできる。 どうも大人になると、過去の経験則でできるできないを決めつけすぎる。 水槽に金魚を入れて、しばらくしてから透明の柵を設ける。 すると金魚はさっきまで通れたのに柵の影響で通れなくなっていることに気づく。 しばらく向こう側に行こうとチャレンジするが、のちにトライしな

          がきんちょから学ぶのさ。

          ダサいひと。

          ちゃんとダサい人でありたい。 大人になると、浅はかさに勝てなくなってくる。 毎日を丁寧に生きていないと、自分の薄っぺらさが出てしまう。 反対にカッコよい大人というのはすごく味わい深い人だと思う。 地に足がついている人。 会えば会うほどその人の魅力に引き寄せられていく人。 それが味わい深さ。 味わい深さを演出するために料理人は色々な仕掛けを講じる。 これが隠し味。 カッコよい大人にとっての隠し味は何だろうか。 それはダサさなんじゃないかと思う。 自分のカッ

          ダサいひと。

          その瞬間に適切な言動をとる。

          瞬間瞬間で、適切な言動をとることはやっぱり難しい。 どんな時でも的確な言動を出せる人がいる。 それは僕が人として尊敬している人たち。 彼らはその場その場ですごく説得感のあるコメントを残せる。 僕もそういう人たちを見て、感動して、そうなりたいと願っている。 それでもやっぱり難しい。 意見のすれ違いや些細なケンカ、タイミング。 色々な要素がある。 それが瞬間瞬間の言動。 言葉と行動のラリー。 日々反省してばかりいる。 あの時余計なことを言わなければ、あの時ち

          その瞬間に適切な言動をとる。

          余裕がなければ野暮になる。

          余裕がなければ野暮になる。 余裕であることを日本人はネガティブに捉えることが多いと思う。 余裕のある人はサボっていると見られやすい。 アメリカで働くカナダ人の友人に聞くと、彼らは実はサボるのがすごく上手だと分かる。 もっと砕けて言うと余裕がある。 これなんでだろうって色々聞いてみるうちに、どうやら働き方の違いもあるんじゃないかと思う。 どうやら彼らは必ず17時に退社したいらしい。 さっさと終わって、みんなでビールを飲んで、遊んで。 はやく仕事を終わらせることが

          余裕がなければ野暮になる。

          消耗は消耗を生む。

          消耗は消耗を生む。 人生で行き詰まったとき、大事なのは消耗の度合いだ。 これはどれだけデカい失敗だったかということとはちょっと違う。 消耗は事実じゃなくて、自分がどう感じているか。 たとえどでかいやらかしを行っても、全く消耗していない場合もある。 反対に大したミスでもないのにすごく消耗していく場合もある。 消耗は必ずしも悪いことではない。 消耗する、つまり疲れるから僕たちは工夫する。 より快適に人生を送るために取捨選択をするのも、消耗するから。 でもココには

          消耗は消耗を生む。

          アイデアが浮かびやすい場所。

          アイデアが浮かびやすい場所というのがある。 電車の中。 満員電車。暑い。苦しい。 車内に充満する汗の臭い。憂鬱そうにつり革に捕まる人々。 ぼくが最も気が滅入る場所の一つ。 でもココでたくさんのアイデアが浮かぶ。 それはある変化をつけてから。 ある変化。 それは電車を遠足に変えること。 これはリクルートで数々の情報誌を立ち上げた倉田学さんがおっしゃっている。 僕たちは普段、なにかと不安だから考え事ばかりしている。 自分にはアレが足りないんじゃないか、まだ出

          アイデアが浮かびやすい場所。

          楽しみ続けるために。

          楽しいは簡単ではない。 物事を楽しむということは僕たちの気持ち次第かもしれない。 どんなことにも自分なりに意味を見出して楽しむことはできるとぼくは思う。 それは他人からは単純作業と思われていても自分の中では楽しい。という状態は結構起こる。 それはひとえに自分次第。 それはそうなんだけど、一方で楽しみ続けるということは実はすごく難しい。 最初のうちは楽しい作業も、ある時は全くやる気が出ないかもしれない。 次第に何が楽しいのか疑問に思うかもしれない。 その時楽しむ

          楽しみ続けるために。

          なぜそういうミスをするのか...?

          また同じ間違いをやってしまった。 自分の直したいところ、イヤなところ。 直したいとは思っていても、悔しいほど何度も繰り返してしまう。 やらないようにしようという意識も大事。 反省すること。 でもそれだけでは続かない。 おんなじミスというのは意識だけでは阻止できない。 仕組みを考える。 バカな自分でもなんとか対処できるような工夫をする。 システムと言ってもいい。 これすごく大切。 システムとか、制度とか言うと、血も涙もないという印象を抱くかもしれないけど。

          なぜそういうミスをするのか...?

          ことわざは説教じゃない。

          反面教師。 人のふり見て我がふり直せ。 昔からこの手のことわざは多い。 なんでこんなに多いんだろうと考えてみた。 僕たちは偏っている。 好きな人を見るときは良いところばかりが見えがちになる。 反対に苦手な人に対してはその人の嫌なところばかりが目につく。 そしてもう一つ大事なこと。 それは僕たちはいつも自分には甘く、他人には厳しいということ。 厳しくなくても、他人には客観的になれる。 良いところと悪いところがセットで見えやすい。 話をまとめると、僕たちは自

          ことわざは説教じゃない。

          コンテンツのクォリティと行動のハードルについて。

          最近人から、「よく毎日書けますね。ネタ尽きないんですか?」と言われる。 ネタが尽きるかもっていう瞬間は確かにある。 でも尽きることはやっぱり無い。 言われてみてから考えてみた。 普通に考えたら、毎日は大変。 でもちょっと違う感覚。 僕は、「毎日だから続く」だと思っている。 毎日消費されるモノとかコンテンツってのは消費期限が短い。 だからそんな煮詰まってなくても、もーこれも行っちゃえってなる。 これが年一回、月一回の連載だったら...。そうは行かない。 消費

          コンテンツのクォリティと行動のハードルについて。

          スポーツには筋書きがない。

          スポーツには筋書きがない。 ドラマには筋書きがある。 脚本家や監督が自らの経験や想像から筋書きを、書く。 演者はそれぞれがこの筋書きを解釈し、表現する。 そういう意味ではドラマや映画も偶然そのものだと思う。 『そして父になる』や『おくりびと』『万引き家族』などで世界的にも有名な是枝監督も同じようなことを言っている。 是枝監督については僕も色々と書きたいが、またの機会に。 それでもスポーツや現実の人生とはやっぱり違う。 映画を通して伝えたいメッセージ自体は事実で

          スポーツには筋書きがない。