『地球防衛軍(1957)』~スゲェ!超科学vs超科学のガチ勝負!!
いや驚いた、こんな面白い作品だったなんて。
『地球防衛軍』については5ヶ月前に記したが、改めて観るとやはり「超科学vs超科学」のガチ度合いが凄い。こんなに迫力あったのか、と驚くしかなかった。
本当に以前書いた通りだったが、画の迫力はもちろんのこと、物語の展開も思った以上にパパッと進むため「あれ、こんなに面白い映画だったの?」と再認識させられた。
……わざわざ「こんなに」と書くのには理由がある。自分は本作をそこまで面白いとは思ってなかったからだ。
原因はかつて中学生時代に観た『ゴジラファンタジー』にある。伊福部昭による楽曲『SF交響ファンタジー』を東宝特撮怪獣映画の映像と共に堪能できるこのビデオ作品は、自分の特撮人生に多大な影響を与えた。音楽はもちろんのことシーンの抜粋や編集も絶妙で、とりわけ最終章・第三幕のクライマックスは「地球防衛軍のテーマ」であり、人類vsミステリアンの一大攻防戦に大興奮。初見は某市町村にあるLDライブラリーだったが、あまりにも気に入った結果何度も足繁く通い続け、ついにはビデオまで買った。それくらい好きだった。
その流れで『地球防衛軍』も観たが、感想としては「ノリが悪い、イマイチ」だった。ただ今思えば、そう思ってしまったのも無理はない。そもそも交響楽版はオリジナルサントラをよりアップテンポにアレンジしたものだし、第一『ゴジラファンタジー』の映像もその楽曲に合わせて編集したものだ。そこに元作品とのギャップを感じてしまったのである。
「あのビデオは相当、格好良さを盛っていたのかなぁ」
と、長い間思い続けていた……
が、今日になってそれは覆った。面白いじゃん、これ!
物語は驚くほどホイホイ進む。不審な山火事が起きたと思えば集落がまるまる陥没するし、巨大なロボット怪獣が出たと思えば防衛隊が攻撃を開始。それが終わったと思えばお次はミステリアンドーム出現、と瞬くほど展開が早い。その合間に佐原・白川のラドン組と平田・河内の初代ゴジラ組によるドラマパートも描かれるが、それらは必要最低限に、それでもしっかり要所を押さえてて本当に余計なものが無いのだ。
じゃあそれ以外は何を描いてるかと言うと、人類vsミステリアンの一大攻防戦だ。トコトンまでにそうなのである。砲火が飛び交い、ジェット機や円盤が空を舞い、光線が乱舞する。色も鮮やかな兵器が登場し、さらにど派手な光線が走る。そして大爆発。これらのビジュアルが何とも美しい映像で鑑賞できるのだ。かつて観た、色褪せや傷だらけのビデオ映像とはまるで比較にならない。
あと1957年において、ほんの数カットとはいえ円盤と戦闘機による空中戦を描いている先進性には驚いた。こんな映像を、いや「画」を作っていただなんて。これが観られただけでも大満足。
そこに伊福部昭の音楽が被さるわけだが、先に挙げた特撮映像の強さが良すぎて「パースペクティブ・サウンドの再現」という部分をすっかり確認し忘れていた。これは迂闊だったが、画面右で爆発が起きるとちゃんと右スピーカーから爆発音が聞こえてきたのは覚えている。疑似ステレオとはこういう効果を狙ってたのか。
あと気になった点をつらつらと。
・物語はある山村での賑やかな盆踊りシーンから始まるが、これはもしや前年の『宇宙人東京に現わる(大映)』への意趣返しか。あの作品はどこかの居酒屋に主要人物が飯食いに来る場面から始まる。SFらしさの無いところから物語がスタート、という点では似ているが、その山村が後に(ミステリアンが仕掛けた)陥没事故で壊滅するあたり、どんどん容赦ない方向へ持っていくことでスケールを広げていく感も覚えた。
・そのミステリアンも改めて観ると狡猾さが際立つ。自分から攻撃を仕掛けておいて「我々の力を示すために多少の犠牲は止むを得ない」とサラッと語り、さらに「攻撃を仕掛けなければ我々は何もしない」と言い放つ。そしてひとたび勝利を収めたとなれば「所有地の拡大」を堂々と宣言する。まさに本性表したり、である。にしても、この宇宙人像はどこから来たのか。先の『宇宙人東京に現わる』のパイラ人は自らの手で核兵器の開発を止めて平和主義を謳い、原水爆開発を止めるために地球へやって来た。一方でミステリアンは母星を核戦争で失った。これも意趣返しに見えてきましたね。
上映は17日(木曜)まで。大迫力の超科学決戦を劇場でぜひ!