見出し画像

軍艦島とイノベーション

戦略コンサルタントのアップルです。

今回は、軍艦島について書いてみようと思います。軍艦島には日本最先端の施設があったという事実を紹介するとともに、「なぜそうした最先端のものが生まれたのか?」についてのアップルの考察を書きます。

軍艦島は、イノベーションが生まれる環境や街づくりの在り方について示唆があります。ぜひご覧ください。

軍艦島とは

軍艦島は2015年に世界文化遺産に登録されたことで注目が集まり、知名度がぐっと上がったので、聞いたことがある方も多いのではないかと思います。正式名称は端島(はしま)といいます。外観が軍艦に似ているため軍艦島という名称(あだ名)がつきました。

軍艦島は、長崎市の沖合4キロメートルに位置する、面積0.06平方キロメートルのものすごく小さな島です(東京ドームの1.4倍のサイズ)。19世紀末から炭鉱(海底炭鉱)の拠点として栄え、約100年にわたって三菱鉱業の鉱員とその家族が住んでいました(島の所有者も当時は三菱鉱業)。

画像4

画像1

1974年に炭鉱が閉山するのに伴い、全住民が島を離れ、無人島となりました。以降は長崎の観光名所のひとつになっています。

軍艦島のすごさ

炭鉱町だった頃の軍艦島にはいくつかのすごいところがありました。
興味をそそる3つの特徴をご紹介しましょう。

①超高い人口密度
軍艦島の特徴は、なんといっても高い人口密度です。東京ドームの1.4倍という狭い土地に、最盛期は5,000人以上が住んでいました!これは東京都の人口密度の10倍にあたります。日本で突出して人口密度が高かったのが、東京でも大阪でもなく、この軍艦島だったのです。

②なんでも揃った「コンパクトシティ」
軍艦島には生活に必要なすべてのサービスが揃っていました。すなわちコンパクトシティだったのです。子供もたくさん住んでいたので保育所や小中学校はもちろんのこと、
・床屋・美容院
・テニスコート
・プール
・パチンコ
・雀荘
・スナック
・映画館
などの娯楽施設が揃っていました。
さらには遊郭もあったというから驚きです。

(軍艦島のパチンコ店)

ダウンロード

高度成長期の炭鉱夫というのは稼ぎが良かったようです。炭鉱夫には、リスクと重労働に見合うだけの給与が支払われ、軍艦島の住民も高所得者でした。炭鉱で稼いだお金を上記のような島内の様々な娯楽につぎ込んでいたわけです。

コンパクトシティというと、どちらかと言えば、過疎化や高齢化が進む中で何とか街の機能を集約してやりくりする地方都市をイメージしますが、軍艦島は、島民ががっつり稼いでじゃぶじゃぶお金を落とす「金回りのいいコンパクトシティ」だったというわけです。

③ハイテク建造物が立ち並ぶ「近未来都市」
また、軍艦島は、その狭い土地の中に多くの人が住むために高層建築物が乱立していたのも特徴です。島に高層建築物がたくさん建っていたので「軍艦」のようにみえたというわけです。

大正時代に日本初の鉄筋コンクリートマンションが立てられたのもこの軍艦島でした。

(1916年に軍艦島に初めて建てられた集合住宅(7階建て))

集合住宅

また、中学校も7階建てでした。7階建ての中学校というのは、現代の東京でもあまりないと思います。

このように、当時の軍艦島は、日本でもっとも近代的な建造物が立ち並ぶ「最先端の近未来都市」でもあったのです。

軍艦島が示唆すること

このように軍艦島は、なんでも揃ったコンパクトシティであり、ハイテク建造物が立ち並ぶ近未来都市でした。日本の端っこの長崎県の島にこういう町が形成されたことはなかなか興味深いです。

当時の日本にとって、軍艦島はスマートシティだったといえるでしょう。鉄筋コンクリートの高層建築物というイノベーションもここで生まれました。

なぜこうしたスマート化やイノベーションが起きたかを考えてみると、2つの要因が浮かび上がります。

ひとつは、お金が潤沢であったことです。三菱鉱業、及びその従業員である軍艦島の炭鉱夫は、石炭の採掘によって儲かっていました。儲けたお金が原資としてあったからこそ、島内の施設が整備されるとともに、住民が島内の各種サービスにお金を落とすことができたわけです。

もうひとつは、土地が狭いという「制約」があったことです。狭い土地の中で多くの人が生活をしないといけなかったため、高層建築物が立てられたり、地下や屋上の活用が進んだりしました。軍艦島がもし広い島で、土地の制約がなかったならば、大正時代に鉄筋コンクリートの集合住宅が建つことはなかったでしょう。

つまり、イノベーションは、
・お金(原資)が潤沢にあり
・かつ、何らかの制約がある

の2つの条件が揃うときに生まれやすいということを示唆しているとアップルは考えています。

スマートシティやコンパクトシティというコンセプトはずいぶんと前からありますが、これらがなかなか進まないのは、上記の2条件を満たしていないからだと思われます。

特に、原資がないというのはクリティカルです。街がスマートになることによって、あるいはコンパクトになることによって、何らかのお金が生まれなければ、ビジネスとしては成立しませんし、取組が継続しません。

なぜ軍艦島が栄えたのかを紐解くことは、イノベーションが生まれる環境づくりやこれからの街づくりの在り方を考える上でも、ヒントにあふれているように思います。


今回はここまでです。
最後までご覧いただきありがとうございました!



この記事が参加している募集

私のイチオシ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?